日別アーカイブ: 2010年12月23日

何としても守りたい『松戸市立病院』(第465回)

松戸市立病院が開院したのは昭和25年11月25日のことである。
所在地は小山浅間台705だというので、今の第二中学校の隣接だろうか?
昭和42年に『国保松戸市立病院』となったとされているので、現在の地に移転したのだろう。
その後、昭和58年には小児医療センターが完成し、小児救急の重要拠点となった。
松戸市はもとより東京や茨城からも難しい小児治療に搬送されてくる小さな患者さんがいる。
掌に乗るほどの赤ちゃんを救うことができるのだ。
そんな現場に立ち会うと何としてもこの病院は守らねばならないと決意を新たにする。
昭和60年には第三次救命救急センターの指定を受け、平成8年には災害拠点病院の指定も受けた。
平成20年2月8日には、『地域がん診療連携拠点病院』の指定を受けたが、この指定にあたりわずかばかりではあったが私自身がお手伝いできたことはひそかな誇りである。
この病院は何としても守りたい。
今後の少子高齢社会にあっては、医療ニーズは高まりこそすれ低くなることは考えられない。
おそらく今後は医療サービスを提供できない地域には人が住まなくなるだろう。
もしかしたら、地域によっては医療サービス提供機関の近くにお年寄りに住んでもらうような『集住』制度を導入することになるかもしれないとすら思う。
今の市長が主張する病床3分の1減という案で本当に市民の健康や命を守ることができるのか疑問と不安を覚える。
現在行われている検討委員会では市民のための観点から正しい判断をして欲しいと切に願うものである。

女性専用外来と公明党(第464回)

女性専用外来について、公明党が果たしてきた役割について意外と知られていない。
過大評価も過小評価もあるので、私の認識していることを記述してみたい。
わが国で最初の女性専用外来は鹿児島大学に開設された。
2001年、平成13年5月のことである。
その4ヶ月後の9月に千葉県立東金病院に女性専用外来が開設されるのだが、これは当時の堂本暁子知事の選挙公約でもあった。
その年の12月23日に公明新聞の投稿記事に『女性が診察を受けやすい病院があれば』という意見が掲載される。
それを見た大阪市議会の松原恵子議員がその通りだと思い、翌年3月議会で公明党は女性専用外来設置を訴える。
その夏(7月)、千葉県議会公明党の山崎豊子議員が党代表代行の浜四津敏子参議院議員に東金病院の視察を要請する。
その年2002年11月の公明党全国大会で女性専用外来の開設推進を重点政策に採択。
翌2003年2月に松戸市立病院に女性専用外来が開設される。
こういう流れである。まさにネットワーク政党・公明党の面目躍如である。
良いものは良いとすぐに実現に動く公明党の真価が発揮された一連の成果であった。
これからもこうした良き伝統は守り抜いていきたい。
良き提言、アイデアがあればぜひお寄せください。
2001年5月鹿児島大学に女性専用外来開設
2001年9月千葉県立東金病院に女性専用外来開設
2001年12月公明新聞に投稿記事
2002年3月大阪市議会で公明党女性議員が質問
2002年7月浜四津敏子代表代行が東金病院視察
2002年10月大阪市立十三市民病院に女性専用外来開設
2002年11月女性専用外来が党重点政策に
2003年2月松戸市立病院に女性専用外来開設