月別アーカイブ: 8月 2011

新総理「ノーサイドにしましょう。もう」だが

五香町内を歩いているとき、携帯電話が鳴りました。
「野田さんが代表に決まりました。何かコメントを」
東京新聞の記者さんでした。
私は、国のことですから富田茂之代表にお願いしますとお答えしましたが、「万日連絡が取れないと困りますので念のため」とのことで簡単にお答えしました。
それが結局、8月30日の東京新聞に載ったコメントでした。さすがにプロの書き手はうまくまとめます。
見出しは『公明 被災地に光を』で、『公明党千葉県本部幹事長の藤井弘之県議も「期待はできないが、せめて被災県の千葉に光を当ててほしい」と冷ややかだった。』

新代表の野田さんは民主党代表選挙後、壇上からこう訴えました。
「ノーサイドにしましょう。もう」
まさに本音だと思います。この一言が民主党の最大の問題点を端的に示しています。
かつての自民党にみられる派閥抗争のような、いかにも『バラバラ』感が民主党の本質・体質です。
その体質をいかに代表とは言え「ノーサイドにしましょう。もう」で解消できるとはとても思えないのです。
だから、私には期待が持てないのです。
これは野田さんがどうという問題ではなく、誰が代表になったとしてもついて回る問題です。
『ノーサイド』とはラグビーの言葉で『試合終了』という意味です。
私の好きな俳句に『ラガー等のそのかち歌のみじかけれ』という横山白虹の名句があります。
野田さんの『勝ち歌』は、はたして長いのだしょうか?短いのだしょうか?

政府も『オレオレ詐欺』

自治体議会政策学会『第13期 自治政策講座』に参加しました。
『自治体の歳入歳出が語るもの-政策・税・起債』という講座でのことです。
某市の女性議員さんから二つの質問が出ました。
「先生のお示しになった決算カードは私の見たものと違っているのですがどういうことでしょうか?」
『決算カード』は決算統計から作成しますのでいろいろなものが作れます。
そのうち総務省仕様が一般的ですが、それに統一する必要はありません。その辺のことをご存じない方は大勢います。むしろ研究者でも知っている人がほとんどいないようです。
私(ふじい)は「日本一の決算カードにしてほしい」と議会で主張し、千葉県は千葉県仕様のものとなっています。本来なら、千葉県仕様の詳しいものを総務省も採用して欲しいくらいなのです。
もう一つの質問は「臨時財政対策債は後で国が地方交付税措置をしてくれるというのですが、それはいつなのでしょうか?」
臨時財政対策債とは、本来なら国が地方自治体に交付税を渡さなければならないのですが、「今はお金がないので自治体さんの方で借金をしておいてください。その代わりその分は後で返しますから」という借金です。
全国の99%以上の自治体が臨時財政対策債を発行しています。
それを国が「後で地方交付税措置」をするためには、当然、その分だけ地方交付税を増やさなければなりません。
しかし、全国どこの議員であれ首長であれ自治体職員であれ、地方交付税をそれだけ増やせると思っている人は一人もいないでしょう。つまり、後で返せるはずがないのです。
「後で返しますから借金をしておいてください」というのは、まさに『オレオレ詐欺』そのものなのです。
そして、オレオレ詐欺に引っ掛かる人は同じ手口に何度も引っかかるケースがあるように、自治体も同じ手口で何度も騙されているという構図です。
この女性議員も『いつか返してもらえる』と思っているとすれば、まさにだまされていることになります。
臨時財政対策債も市債ですから償還期間があります。返す返さないがいずれ明確になります。その時の政府の言い訳も容易に想像できます。
もっとも、それでも「自分はだまされていた」と思わない議員も結構いるのかもしれません。

『まつど文学散歩総集編』に圧倒されました

松戸市役所職員だった宮田正宏氏の『まつど文学散歩総集編』を読ませていただきました。
その内容の広大さと質の高さに圧倒されました。
この本もさることながら、『広報まつど』連載時から新聞各紙に取り上げられていたのも道理です。
ぱっと思い浮かんだのが『偉大な仕事』という言葉です。期待を裏切ることはありません。
小林一茶と松戸のかかわりや楚人冠の俳句の謎の話、与謝野晶子の歌碑建立についてもそれぞれ面白いエピソードです。
私は、一読してさらにさらに深く松戸が好きになりました。
実は、私にはひそかにライフワークと決めている分野があります、
それは『武蔵野探勝』と称した高浜虚子の100回の吟行会についての調査です。遅々としてというよりもほとんど進んでいない調査ですが。
その虚子は、流山、我孫子、柏、浦安、市川を訪ねているのに、実は松戸には足跡がなく大変悔しい思いをしていました。しかし、『まつど文学散歩』によれば、正岡子規が松戸、小金を訪問しているというのでこれまた驚きでもあり、「やや」溜飲が下がりました。
よくぞこれほどの一書を出版していただいたと感謝の念が沸き起こってまいります。松戸に住むすべての人たちが同じ思いだと確信します。
宮田氏には今後ますます偉大なお仕事を続けていただきたいと思いますし、そのためにもどうぞご自愛をなさっていただきたいと思います。私も少しでも松戸に貢献できますようアンテナを高くして参りたいと思います。素晴らしい一書を本当にありがとうございました。

津波警報に高さまで必要か?

「津波警報に高さまで必要か?」というのは古くて新しい問題です。
もしかしたら、以前にこのブログで同じテーマで書いているかもしれません。
にもかかわらず、ここで触れなければと思いましたのは8月26日の自治体議会政策学会で群馬大の片田敏孝教授が話題として出されたからです。
教授の話は、3月11日に出された最初の津波警報は津波の高さが「岩手3メートル」「宮城6メートル」であり、その後「10メートル以上」と訂正されるのですが、その時にはすでに停電で住民に伝わっていなかったというものでした。
私も7月28日の読売新聞に『津波警報更新7割知らず』と報じられた記事をファイルしてありますのでこのことは知っていました。
津波の高さも到達時間も即座に正確に出せるものではありません。阪神淡路大震災の震度の第一報は「大阪震度5」でした。テレビに映し出された映像は大阪市内のコンビニの棚から落ちた缶が数個ころがっているというだけのものでした。
震度計や津波計も壊れますし、停電でデータが送信できなかったりすることもあります。
つまり本当に大変なところへ情報は伝わりにくく、本当に大変なところの情報は外へ出てこないのです。
そのうえ津波警報が「10メートルの津波」と言っても10メートルの津波が襲ってくるのではありません。津波のスピードは水深の約10倍の平方根ですので水深が浅くなればなるほど遅くなり、その分高さを増します。
ですから、7月16日の毎日新聞で報じられていましたが『津波 遡上高40.5メートル』だったのです。遡上してくる高さを警報での高さでイメージしては行動を誤ります。
さて、米国の津波警報では高さは知らせません。その理由は二つあります。
一つは「何メートル」と言ってしまうと、「それなら逃げない」という余計な判断をする人がでてくるからです。
もう一つは高さを知らせない方が早く警報を出せるからです。(計算ミスも防げます)
この二つの理由を乗り越えられるのなら、もちろん高さを知らせるほうがよいに決まっているのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

自分のことはなかなか見えない

糸魚川駅前は北陸新幹線の工事が進められていました。
糸魚川の人たちは新幹線の開通を楽しみにしているのです。
しかし、新幹線がもたらすものは良いことばかりではありません。
秋田の事例では新幹線開通により購買力は仙台に吸い取られてしまいました。
こうしたストロー効果というのは間違いなくあるので、糸魚川の購買力も金沢に奪われる可能性があります。
新幹線は遠方の巨大都市をあたかも隣接の都市に変えてしまいます。
わが松戸市がつねに東京を相手に苦戦を強いられているのと同じ構図です。
松戸は購買力もさることながら、医師も看護師も教員といった人材も東京に吸い取られてしまう苦しさを味わっています。
さて、糸魚川の人たちが新幹線開通を待ち遠しく思っているのと同じように、千葉県民は外郭環状道路の開通を待ち望んでいます。
しかし、もちろんこれにもストロー効果がある道理です。
たとえば、キッコーマンの工場が幸手に去ってしまった(オヤジギャクですみません)のも外環のストロー効果だと私はみています。
しかし、千葉県議会ではこのことが話題になることすらありませんでした。
みんな他人のことはよく見えるのに、自分のことはなかなか見えないのです。
私たちは、つねに視点を変える努力が必要なのだと思います。