月別アーカイブ: 7月 2009

壁に耳あり障子に目あり

日経ビジネス2009年7月20日号に非常に興味深い記事があった。
それは『民主党特集』という企画記事の中の民主党と経団連トップとの「政策を語る会」でのやりとりである。
まず、岡田幹事長が温暖化ガスを2020年に1990年比で25%削減すべきと語ったのに対して、経団連側が失業者の大幅な増加、可処分所得の減少、光熱費の増加など多大な国民負担の増加を懸念する。
同様に、民主党の政策である製造業派遣の原則禁止についても経団連側は苦言を呈し、さらには民主党の社会保障制度に対して財源の具体的な道筋をつけるよう求めた。
さて、私が興味深く思ったのは、次のくだりである。このように書かれている。
『そんなやり取りを壇上で聞きながら、民主党の藤井裕久・最高顧問は心の中でつぶやいた。「経団連も、やはり利益集団に過ぎないな」
この記事を読んだときに思わず私は吹き出してしまった。
何故かと言うと、この「政策を語る会」のテーマの一つに『企業団体献金の禁止』問題があるのだ。
民主党は企業団体献金を3年後に禁止するという。
経団連側は、何故3年後なのかと問いただす。
すると民主党の政務調査会長は、今やめるとわれわれも干上がってしまう。だからこの3年間はこれまで以上の寄付をお願いしたいと頼むのである。
「経団連も、やはり利益集団に過ぎないな」と思っている張本人がその利益集団から寄付をせびる のである。
まさに厚顔無恥としか言いようのないやり取りである。
これらは日本経団連のホームページにしっかりと掲載されている議事録から見ることができる。
もしかしたら、民主党側は議事録が公開されるとは思っていなかったのかもしれない。
議事録が公開されると知っていたら、こんな本音はあからさまにしなかった?かも知れない。

検証!雇用のセーフティネット

1980年ごろは、統計数値を使った原稿を書くのに、よく政府刊行物センターへ足を運んだものである。
仕事柄、ある程度自由に出歩くことが許されていたので、デスクワークの気分転換と一石二鳥であった。
自分の書きたい分野のデータがどういう書籍にあるのか刊行物センターの本棚で迷う時間を楽しんだ。
今はインターネットという圧倒的に強力な武器があるので利便性は100万倍増加したものの楽しさは半減だ。
今週号(7月18日号)の週刊ダイヤモンドの人気コラム『「超」整理日記』(野口悠紀雄氏)を読んでいて引っかかった箇所があった。
『厚生労働省が六月三〇日発表した五月の雇用調整助成金の利用申請状況によると、対象者数はじつに約二三四万人に上る。これは完全失業者数三四七万人の七割近くに相当する。』
ここに書かれている数字がたとえ間違っていなかったとしても、雇用調整助成金の支給を決定した人数ではない『申請者数』と『完全失業者数』を比較することが果たして適当かどうか?
こういう引っ掛かりがあると、数字全体を調べてみたくなるのであるが、インターネット誕生以前ではあまりに大変な作業が想定されるので調べることはありえなかった。
ところが、インターネットではこれまでとは比較にならぬほど簡単に調べられるのだ。
(してみると、私も権威も何も無い独り言とは言え、『ふじいの独り言』を打つキーボードの指が止まりがちになる。)
さて、厚生労働省発表の『雇用調整助成金に係る支給決定状況』によれば、平成21年度4月の」対象者は52万2370人だ。
4月の一ヶ月の人数とは思えない多さである。
この数字は野口氏の数値よりはずいぶんと低く見えるのではあるが、実際には平成21年1月の4150人が2月には5倍の2万1575人、3月はさらに約10倍の21万2348人という激増であり、その上での4月の52万2370人でなのある。
したがって、野口氏の警鐘・警告は内容的には間違いない。
もしかすると平成21年という括りや21年度という括り方をすると、現実は野口氏の指摘よりもひどい結果となる懸念すらある。
逆に言えば、政府与党の創設した中小企業緊急雇用安定助成金や大幅に拡充した雇用調整助成金が今しっかりとセーフティーネットたり得ていると言えるのである。

外縁の地にコストは嵩むか?

夕刊各紙は中国西部の新疆(「しんちゃん」と呼びたい)ウイグル自治区での大規模な騒乱を伝えた。
800万人いると見られるウイグル族は少数民族とは言いがたい。
これほどの規模の宗教も文化も異なる他民族を統治しようというのだから当然無理が生じる。
無理を押さえ込むには、武力も財も、そして場合によっては多くの人間の命さえも必要となろう。
新疆ウイグル自治区でもこれまでどれほどの命が奪われていて、これからさらにどれほどの命が奪われるのであろうか。
やはり外縁の地を統治するには相応のコストを支払わねばならないのである。
ところが、その一方で外縁の地の方がコストが低いケースがある。
首都圏の自治体が外縁の自治体の社会福祉法人に高齢者を送り込むケースがそれである。
都心部で老人ホームを設置するコストは、とても介護報酬では見合わないのだろう。
本年3月に渋川市にある高齢者入居施設で起った火災は、私たちにそんな介護現場の矛盾を垣間見せた。
焼死と言う痛ましい最期をむかえたお年寄りが10人もいたことにやるせない気持ちでいっぱいになる。
厚生労働省は都道府県に対して無届け有料老人ホームの安全点検を要請した。
千葉県内には41施設あり、そのうち39施設に防火安全体制に問題があったことが判明した。
つまり問題のなかったのはたったの2施設だけだったのである。
私は、正直なところ人を預かるということがこんなにも軽かったことに唖然とした。
そして、これが保育所だったらありえないだろうとも思った。
千葉県の改善指導により、現在3施設からこのように改善しますという届出があり、さらに8施設が改善の届出を出す準備に入ったという。
仮にこれらが改善されたとしても13施設。残り28施設はどうなっているのだろう。
残り28施設のオーナーは何をどう考えているのだろう。
これが無届け有料老人ホームの実態である。
しかも、あくまでも無届けであるから本当のところは誰も分からない。

政治は理屈相手ではない

最近読んだ本で非常に参考になったのは一連の行動経済学の本、たとえば「経済は感情で動く」「世界は感情で動く」(ともにマッテオ・モッテルリーニ)「予想通りに不完全」(ダン・アリエリー)や一連の福岡伸一氏の本、たとえば「生物と無生物の間」「動的平衡」である。
これらの本の共通点は、『世の中、理屈通りにはいかない』ということを微に入り細にわたって教えてくれている点である。 人の思考や行動が理屈どおりにいかないのだから、その集合体の世間が理屈通りにいくはずが無い。
たとえば、後期高齢者医療制度の導入に伴って、年金からの保険料天引き問題が起った。
天引きを決めた側の理屈は、わざわざお年寄りが金融機関へ支払いにいかなくてすむようにしたので、その方が喜ばれると思っていた。
ところが実際にはひとの年金から勝手に保険料を徴収するのはけしからんという高齢者の怒りが爆発した。
さて、地方分権への移行に伴い、本年10月から市県民税の年金天引きが始まる。
すでに一部の高齢者から、「これまで10回ないし12回で分納していたのに年6回の年金から天引きでは困る」という苦情が寄せられている。
なるほど12回に分納していた税金を6回で支払うとなれば1回当たりの支払額は2倍になる。
しかし、年金生活者にはボーナスのような臨時の収入はないので、いずれにせよ年6回振り込まれる年金から税を納めねばならない。
つまり、年金が振り込まれたときに払ってしまうか、年金が振り込まれたときには1部支払っておいて、残りを後日支払いに行くかという違いである。
もう一度繰り返すと、『支払いに行く手間が省けて6回で支払う』か、『支払う手間をかけながら一回当たり少ない金額を数多く支払うか』の違いである。
時間や交通費を考えれば、前者の方がコストが低いことは間違いないが、後期高齢者医療制度の実例もある。
後者を選びたいというのはもはや理屈の問題ではなく、理屈を超えた問題なのである。
もしかしたら前者か後者かを選ぶ権利を奪ったことが問題なのかもしれない。
このように世の中は理屈で決まらない部分が相当あり、まさにその理屈を越えた部分をどう解決していくかが政治の使命なのだろう。
昨今の行動経済学ブームを見ると、もしかすると人はますます理屈では動かないようになってきているのかもしれない。

おおはしゃぎ委員長

共産党のホームページを見ていてビックリしたことがある。
それは、5月20日に有明コロシアムで開かれた共産党大演説会での志位委員長講演である。
4月28日に志位委員長がオバマ大統領へ書簡を送り、その返書が5月16日に届いたという。このことについての発言である。
「返書が返ってきたのは歴史上初めての出来事であります。(大きな拍手)」
「この返書は、オバマ大統領の核廃絶に対する真剣さと熱意を示すものであり、私は歓迎したいと思います。(拍手)」
(藤井による注・返書はグリン・デイビス国務次官補が代理として書いたもの)
「この一連のやりとりを通じて、米国政府と日本共産党との間に公式の対話ルートが開かれたことは、大変重要であります。(拍手)」
(藤井による注・「一連のやりとり」とは志位書簡とそれに対する国務次官補の返書のこと)
歴史上初めてのことなので大喜びなのは私も理解できる。
しかし、共産党はその綱領からして米国に対して最大級の批判を繰り返してきた。
『アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威となっている』
『経済的覇権主義も世界の経済に重大な混乱をもたらしている』
そのほか『野望』とか『むきだし』とか『あからさまな覇権主義、帝国主義』など相手を攻撃するときに使用する言葉のオンパレードで、読むと心が暗くなってしまうのが日本共産党綱領である。
まさに年季入りのアメリカを批判を繰り返し、反論は問答無用と撥ね付けてきた共産党が、何んと一通の返書でころっと変ったのである。
これまでの批判は何だったのか?と思われるほどの変りように、私は唖然とした。
しかし、もしかしたら共産党の態度をころっと変えさせた手紙が凄かったのかもしれない。
それほどの手紙をしたためたグリン国務次官補の力量をほめるべきなのかも知れない。
いずれにせよ、これをきっかけにして共産党の頑なな体質が変れば何よりだと思う。
どうか、志位委員長の大喜びが「ぬか喜び」に終わることのないように。