月別アーカイブ: 9月 2012

エネルギーをめぐる米国内議論

ここ数日、日経新聞に相当なスペースを取って、カタールの広告が毎日掲載されていました。
日本との国交樹立40周年とのことですが、それだけの広告とも思えません。やはり米国発の『シェールガス革命』を意識したものだと思います。
原油やガスの開発には多額の資金と時間を要しますので、日本企業も出資しながらカタールの天然ガス開発に携わってきました。したがって、そう簡単に天然ガス価格が下がるものではないのでしょう。
天然ガス開発への関わり具合によっては手放しで喜べないのかもしれませんが、それでもシェールガス革命はガス供給過剰時代をもたらすことは間違いありません。
そうした背景の上に立って、今朝の日経新聞・地球回覧の『米、エネルギー大国化へ自信』を読むと米国大統領選への関心はいやでも高まります。
「米国が中東原油を必要としなくなれば、なぜ日本や中国、韓国などの原油輸入の安全確保のために米国が軍事力を提供する必要があるのか」という非常に危惧される主張もあれば、「日本への天然ガス輸出を認可し、日米は軍事だけではなく天然資源でも同盟であるべきだ」という歓迎すべき主張もあります。
どちらの主張が、今後の米国の主流になるのか目を離せないところです。
同じ日経記事に『核燃再処理 放棄迫る』という記事もありました。当然米国ではそういう議論が出てくるでしょうし、この主張が優勢になることは容易に想像できます。
エネルギー政策は、安全保障そのもの、国益そのものというべき政策です。最高度の情報の集まる政権が的確な判断を下せるかが最重要課題です。徹底した議論と情報の開示の両輪で国内の議論をリードしてほしいと切に願います。

小金清志町町会50周年記念式典

今日は、町会が設立されて50周年の記念式典でした。町会の誕生は昭和37年ということになります。
私は昭和38年11月、叔父の耕耘機に乗せてもらって父と一緒に初めてこの地を訪れました。清志町は、あちらこちらに田んぼの残る緑多き谷地でした。
50周年を迎えたということは、そのうち実に49年間お世話になったことになります。
ご近所の天城さんに昭和40年代の清志町町会活動の様子を納めたDVDを見せていただきました。
おそらく8ミリフィルムで撮ってらしたのをDVDに焼き直したのでしょう。
側溝の消毒や清掃、粗大ゴミ集めなど役員の皆さんが取り組んでおられたり、町中が水浸しになる冠水の状況、町会あげての運動会など懐かしい懐かしい映像でした。
当時、小学生だった私も子供会で東京見学へNHKなどへ行ったり、市内の貝塚や矢切の渡しなどへ行かせていただきました。
ソフトボール大会で小金地区で準優勝し松戸市大会へ進んだものの、ピッチャーの私が打ち込まれて小山の子供会に初戦敗退した悔しい思い出も蘇ってきました。
そうした大勢の皆さんの、もう住んでいない人も含めての大量の思い出が、縦糸となり横糸となり織り重なって今のこの町会があります。こうした思い出をかみしめながら、さらに多くの思い出がこれからも誕生してくることでしょう。
小金清志町が、明るく住みよいそして町会の皆さんがますます仲の良い町として発展するよう微力を尽くし参りたいと思います。
ご関係の皆様、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
(※写真は、町会会館2階で開催されている清志町文化祭の様子です。)

リンカーンの凄味

第16代大統領リンカーンは幾多の名言を残していますが、一番有名なのはゲティスバーグでの演説にある『人民の人民による人民のための政治』だと思います。
先ごろの民主党代表選や自民党総裁選の報道を見ていて、このリンカーンの言葉に思いをはせた人が多かったのではないでしょうか?
青臭いようですが、それでもやはり本当にこの言葉通りの政治を切に願いますし、肝に銘じなければならないとあらためて思います。
私が、リンカーンが凄いと思いますのは、アメリカ合衆国の大統領であるからでも様々な名言を残しているからでもありません。
うつ病対策や自殺問題を勉強するために和歌山のある脳外科の先生からお話を伺ったことがありました。
そのときに「リンカーンですらうつ病だった」とおっしゃったのです。
日記だったか手記だったか忘れましたが、「私ほどだめな人間はいない。死んでしまったほうがよい」と書いていたというのです。
そこで、リンカーンの生涯を調べてみました。すると、なるほどと思わざるを得ませんでした。
1832年 失業 州議選落選
1833年 事業倒産
1834年 州議会当選
1835年 婚約者死亡
1836年 神経衰弱罹病
1838年 州議会議長落選
1845年 下院議員指名投票で敗北
1846年 下院議員当選
1848年 下院議員再選ならず
1849年 国土調査官を拒否される
1854年 上院議員落選
1856年 副大統領指名投票で敗退
1858年 上院議員再度落選
1860年 大統領に選出
人生の切り口にもよるのでしょうが、まさに凄まじいの一言のように思います。(※生涯の記述は後藤完夫「新フットボール専科」より)

貨幣量で物価は調整できるか?

朝日新聞の夕刊2面に『追加緩和の是非議論 日銀が政策決定会合』という見出しがありました。
決して大きな扱いの記事ではありません。しかし、1面の経済記事は『日航再上場、初値3810円』ですので経済記事としては2番目の扱いです。
「欧米の中央銀行が相次いで金融緩和を打ち出したため、日銀も追加緩和に踏み切るとの観測が出ている」
「金融政策では、欧州中央銀行が南欧諸国の国債の無制限買い入れを表明したほか、米連邦準備制度理事会も量的緩和第3弾を発表」
などと書かれています。
さて、いずれにせよこうした政策はどうしても世界と歩調を合わせるしかありません。国の財政赤字がどれだけあるとか金利がどうとかいう以前に、私は日銀も金融緩和に踏み込まざるを得ないと思います。
たとえば、韓国のウォンのように瞬く間にウォン安円高に振れれば、製造業など輸出産業は手も足も出ません。コスト縮減といった乾いたタオルを絞るような努力もあっという間に水の泡です。
為替レートというのは、要するに貨幣流通量の差で決まってしまいます。欧米の貨幣流通量が日本の貨幣流通量よりも相対的に増えれば円高になります。
今、わが国はデフレだというのですから、皆が皆貨幣を持ちたがっている状態です。そのときに貨幣流通量を増やすという選択肢は当然のことと思います。
これにはもう一つの興味深い点、貨幣量が増えれば物価が上がるという貨幣数量説の社会実験との意味合いもあります。
世の中には結論の出ていない論争がいくらもあって、自然科学も社会科学もわからないことだらけです。
どういう結果が出ても、その理由はいくらでも説明できてしまうものなのですが、それはそれとしてやはり自分の感覚で、自分なりの結論は得たいものです。
日銀の金融緩和がどういう状況を生み出すのか、それに先行している欧米の経済にはどのような影響が現れるのか、ここしばらく注視してまいりたいと思います。

年金制度を検討する(2/2)

4)現在の年金制度は世代間で不公平がある。この不公平を解消するには賦課方式から積立方式に変更すべきである。

高齢者ほど受け取る金額が高くなるという世代間不公平は生じています。しかし、若い世代も含めすべての世代が支払った保険料以上に受給できる設計となっています。
さて、賦課方式を積立方式に変更すれば、確かに世代間不公平は解消されます。その代わりに大きな問題が生じます。
仮に、賦課方式を積立方式に切り替えますと、現在受給している方の年金は負担しなければならず、さらにその上に自分が将来受け取るための年金を積み立てなければなりません。つまり二重の負担となってしまいます。

5)その二重負担解消のために現在の積立金を使えばよい。

積立金によって2年から3年分の支給額は確保できます。それではとても足りませんのでおそらく年金支給のために国債を発行することになるでしょう。まずこうした国債発行を良しとするかどうかです。
民主主義国家ですから、仮に国債発行をしてもよいという民意であり、積立方式に切り替えができたとします。
先に問題となったAIJ社のように、今度はどれだけうまく運用ができるかという問題になります。仮に運用に失敗したとすると、世代間の公平は守られたものの年金受給額は減額したということになりかねません。
国際経済や国際金融の動向によって、運用がうまくいった世代と運用がうまくいかなかった世代という新たな世代間不公平が生まれる可能性があります。
賦課方式では、人すなわち『民意』が決めた結果により生じた世代間不公平、積立方式では『市場』が決めた結果により生じた世代間不公平という違いだけのような気がします。
そして、積立方式にするために積立金を失い、国債という借金が増えているのですから、積立方式はそれほど良いものかどうか、私には疑問です。
いずれにしてもより良い折衷案はあるかもしれませんので、議論は幅広く行うべきだと思います。