臓器移植法案は、5月22日の衆議院厚生労働委員会でD案の趣旨説明が行なわれ四つの法案が出そろった。
いよいよ国会内で多数派工作が激化していくわけだが、これが国民あげての議論になっていないのはどうしたことだろう。
前回の改正から10数年もたっているのに実際の移植手術はあまりにも少ない。したがって、私たちの生活にとって身近だとは到底いえない。
この身近であるか身近でないかというのは関心の高さに決定的に影響するので、これをもって一般社会人を責めるのは酷というものだ。
むしろ選択を迫られる国会議員の側が国民的盛り上がりの乏しい中でいかに民意を救いあげるかが問われる。
民意をすくい上げるプロの技をここで見せて欲しいのである。
結論的にいって、私は目の前の命を救いたい。これが多くの国民の素直な感覚であると思う。
だからこそ、一度も会ったこともない他人のお子さんであっても「移植手術にカンパを!」と言われれば1億円を越える寄付が集るのだ。
単なるお金ではない。そこには何とかその子を助けてあげたいという思いが凝縮しているのだ。
その一方で、その子を助けるためになぜそんな高いお金がなければならないのか?
なぜわざわざアメリカまで行かねばならないのか?
アメリカに行かねば助からないというのなら1億円の寄付を集められない国の子どもたちはどういうことになっているのか?
アメリカ人の臓器を移植して、大金を持ってきた(外国人であるところの)日本人の子どもを助けることについて、同じ病気のアメリカ人の子どもやその他の国の子どもたちはどう思っているか?
そういった疑問に対しての議論はほとんどなされていないような気がする。
日本に生まれた子どもは、たとえ臓器移植が必要だったとしても移植手術はできないことになっている。
法律によって15歳未満の子どもの臓器提供が禁じられているからである。
もし、この法律が民意に支えられているとするならば、移植手術を受けに渡米することはおかしな話である。
15歳未満の子どもで臓器移植が必要な子は可愛そうだけれども死になさいという法律なのだから。
ところが現実には、渡米する子どものために善意のカンパが集るのである。
つまりこの法律が国民的合意ではない証左と思えるのである。
どうか今回ばかりは、国会議員たちには公平な目で、理屈や中途半端な論理ではなくぜひ民意をくみ上げる努力をして欲しいと思う。
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