日別アーカイブ: 2010年12月14日

政治は利害調整というが(第457回)

政治の果たすべき役割の主要な一つに利害調整がある。
たとえばお隣の韓国では口蹄疫が猛威をふるっている。
わが国の畜産家、酪農家にしてみれば、韓国からの入国者を厳しくチェックしてほしいと思う。
一方、観光産業の人にしてみれば入国時にあまり厳しいチェックをされると観光客が逃げてしまうと懸念する。
どちらも正しい見方であり自然な考え方である。
では、どうするかと結論を出すのが『政治』ということになる。
このケースは同時代に生きている人たちの間の利害調整だ。
ところが、本当に難しい利害調整は、実は時代を異にする人たちの間に大きく横たわっているのである。
政治は、こうした世代間の利害調整まで責任を負うのだろうか?
もし仮に、現在の政治が将来世代についても責任を負うのだと考えているなら、日本はこれほど膨大な借金を抱えているはずがない。
これから生まれてくる世代には当然選挙権はない。だから将来世代などどうでもいいのだというのが現在政治の結論としか考えられない。
果たしてそれで良いのであろうか。
少なくとも『年金』という制度は、どこまでも持続性が求められる制度である。
わが国の年金制度は賦課方式といって、現役世代が引退世代の年金支給額を支払う仕組みである。
引退世代の年金は現役世代に負担させ、現役世代の年金は将来世代に負担させる。
にもかかわらず、政治は将来世代などどうでもいいなどと罰当たりなことが言えるのだろうか?
もしかしたら、将来世代へツケを回すような国民は、実は『年金』というエレガント(?)な制度を持つ資格がなかったのではないか。
言いかえれば、将来世代へ順繰りに負担をまわして行く『年金』という制度を持った以上、(建設国債ではなく)赤字国債の発行は実は許されなかったのではないか。
仮にも、『年金制度』を維持していこうというのなら国債発行に厳しい歯止めをかける覚悟をもつ べきだったのではないか。
そんな気がしてならないのである。
しかし、現実的には賦課方式の年金制度を持ち、そのうえ赤字国債を歯止めなく発行し、そのうえ将来世代のことは何も考えていない。
考えているのは、いかに自らの政権を維持するか。
その一点を至上命題として党内抗争に今日も明け暮れるのである。