月別アーカイブ: 12月 2008

後期高齢者医療制度の心配な部分(第235回)

理論的に正しくとも現実には失敗だったということはいくらでもある。
例えば年金制度。
社会保険方式が理論的には正しいと私は思う。
しかし、実際には社会保険庁という組織が丸々必要になり、今となれば税方式にしたほうが明らかに効率的であったと思われる。
「理論より現実」、そしてさらにこの種の制度は基本的に永続性が求められるので、長期的展望に立ってどうか?という検証はしておかねばならない。
今回の独白のテーマ「医療制度」について言えば、これまでの老人保健制度がだめだという点は合意が得られていると思う。
民主党や共産党の面々は、後期高齢者医療制度をもとの老人保健制度に戻せと主張しているが、老人保健制度がダメなことくらい少なくとも民主は分かっているだろう。
だからこそ、民主党自身が新しい制度を創設すべきという決議を提案したのだ。ただ、その新しい制度を提示できないから元に戻せといっているに過ぎない。
元に戻したら余計ひどくなることは、火を見るより明らかなのに無責任なものである。
私が心配しているのは、運営主体が広域連合というわけの分からない組織である点だ。
すなわち、都道府県でもなく、市町村でもない。
都道府県内のすべての市町村が集って構成する。そこに都道府県は入っていない。
広域連合のトップはその都道府県内の市長会の会長のようだ。
少なくとも千葉県の場合は船橋市長である。
しかし、これは多分市長会の会長が交代すれば交代した市の市長になるのだろう。つまり松戸市長になったり市川市長になったりするのであろう。
そして、広域連合の議員は県内すべての市町村議会議長だという。
議長など毎年代わるのが普通で、そうなればあて職の最たるものだ。
つまり、広域連合の意思決定機関が無責任体制なのである。
チェック機能も何もかも心配だらけである。
そもそも広域連合のような都道府県内のすべての市町村で、かつ県が加わらずに何かの制度を運営するという事例を私は知らない。
過去に事例のない団体が過去に事例のない制度を運営し、しかもその制度の運営が非常に難しいのだ。
となれば、その運営は理論的には可能でも、おそらく今後いくつもの失敗が出てくることは避けられない。
ましてや、そこにモラルの乏しい人間が混じれば・・・・
理論ではなく、現実問題として後期高齢者医療制度の心配な点はこのことなのである。
そしてこれはひとりひとりの市長や議長がどれほど有能であっても免れがたいことなのである。

後援会の収支決算(第234回)

今年も後援会収支決算の時期がやってきた。
私の後援会は基本的に会費収入がない。
時折、政治家が寄附を受けてはいけない企業・団体から受けてしまい、あわてて返却したという記事が報じられたりするが、私の場合その懸念はない。
その懸念はない一方で、当然のように慢性的な赤字である。
『収入ゼロ 支出ゼロ』という後援会もあるが、1年間あれば何がしかの活動はしているはずなので支出ゼロということは実際にはほとんどないだろう。
私の後援会も本年の活動に17万315円支出した。
ところが会費はゼロなので、この活動費は私個人が後援会に貸したことにする以外に捻出方法がない。
したがって、後援会から見ると私からの借入金17万1000円、支出17万315円となる。
毎年毎年、赤字であるからこうした作業が繰り返される。
つまり、年を追うごとに私の貸付金が膨らんでいき、後援会の借入金が同額だけ膨らんでいく。
ここで話が終われば、私個人の負担の苦しさが存在するだけで対外的には何も問題がない。
ところが、もう一つの制度が絡んでくるのである。
それは政治家の資産公開だ。
この制度は、基本的には資産が増えたことを報告するので、たとえば貸付金が増えると報告対象になる。
貸付先は公開されないので、先の後援会とのやり取りは、単純に藤井がどこかに何がしかの金額を貸し付けたという形で公開される。
つまり資産公開だけを見ると、あたかも私は資産が増えていてどこかに貸し付けるほど金を稼いだという形に見えるのである。
これは制度の何かがおかしいとしか思えない。
実態を何も示していないし、むしろ誤解を与える情報公開である。
議員になる前には、こんな事に気付くはずもなかった。
こういうことを知って議員の資産公開を見てみると、また違った側面が見えるのではないだろうか?

要介護認定で削減されたもの(第233回)

介護保険がスタートしたとき私は松戸市議会議員だった。
ところが、介護保険が県事業にないことから、県議になってからはどうしても知識が不足がちになる。
たとえば、松戸市はどのくらいの費用を介護認定に使っているかも今にわかにはわからない。
特に、知りたいのは要介護認定である。
何年も前に介護判定について、この『独り言』に書いたが、その後どうなっているのだろうか?
要介護認定の調査項目は14項目減らされた。
増減の理由はまあ分かる。
しかし、減らされた項目について、減らしても大丈夫という理屈はやはり知りたい。
減らされた14項目は
1、火の不始末。
2、幻視・幻聴。
3、暴言・暴行。
4、不潔行為。
5、異食行動。

6、肘関節拘縮。
7、足関節拘縮。
8、じょくそう。
9、皮膚疾患。
10、飲水。
11、環境の変化。
12、電話の利用。
13、指示への反応。
14、日中の生活。
これらのうち、1から5は問題行動に関する項目であるが、素人考えでは本当に減らしても大丈夫なのか?と思う。
もしかしたら別の調査項目で判定できるということかもしれないがどうなっているのだろうか?
調査項目が多ければ調査員の負担も大きい。だから総論はもっと減らすべきとなるのだろう。しかし各論は・・・
制度を手直しすることもなかなか難しいものがあるのである。

裁判員制度は大変!だからこそ(第231回)

裁判員制度のスタートが近づくにつれ反対の声があがって来た。
書店には反対する内容の書籍も並ぶようになってきた。
賛成派も反対派も今の裁判を何とかしなければならないという認識では一致しているように思える。
そこで、賛成派は「現状を打破するために裁判員制度を実施すべし」と言い、反対派は「現状打破は裁判員制度でなくてもできる」と主張する。
また、裁判員制度は国民への負担が大きいという認識でも一致しているように思える。
これを制度の改善で解決を図ろうとするのが賛成派、負担が大きいからやめるべきとするのが反対派という構図のように見える。
私は、「民主主義というのは国のあり方や地域のあり方に国民が関わるべきもの」と思っているので、裁判という重要な制度に一般国民が関与することは当然だと思う。
世界を見渡しても、日本のいまの制度のように一般国民が関わらない、いわゆるプロ任せの国の方が少数派であり、中にはスウェーデンのように1000年も前から導入している国すらある。
国情が違うという議論もあるが、裁判に一般国民が関わっている国のなかで、その制度をやめようという国がない という事実は認識しておく必要があるだろう。
なるほど負担は大きい。苦労の伴う制度である。細部まで詰められていない思いはある。
しかし、それを乗り越えることが他国にできて日本だけできないということはないのではないか。
マイナス面をどれだけ減らせるか、知恵を絞っていかなければならないと思うのである。