Monthly Archives: 1月 2013

「地方公務員の給与削減」発言

今日の千葉日報に『給与削減に反発 全国知事会』と言う記事がありました。
全国知事会の会議の冒頭に総務相が「消費増税の前に公務員が(身を切る)姿勢を示すべきだ」と給与削減を求めたと言います。
それに対し、各知事から「地方は国よりも行革を進めている」「給与カットで浮いた財源の使い道を示すべきだ」「国と地方が時間をかけて議論すべきだ」という反論が出たという記事です。
私は、少なくとも総務相の要請には残念ながら理屈がないと言わざるを得ません。
それは地方公務員の給与を下げることに賛成や反対をする以前の問題です。誰が考えても、国が対処しなければならない何かが起こったときに地方公務員の給与をカットしろというのは越権行為でしょう。
たとえば、千葉県内には液状化の被害で苦しんでいる人がいますが、だからと言って「総務省職員の給与を下げるべきだ」とは言いません。アクアラインの料金値下げはある意味で千葉県としては死活問題ですが、その財源ねん出のために「総務省職員の給与を下げるべきだ」とは(たとえ知事であっても)普通は言いません。
民主党政権時に、松本復興相が「知恵を出さない奴には金は出さないからな」と言い放ったり、知事に向かってサッカーボールを蹴ったりしたことをふと思い出してしまいました。
言うまでもなく、国と地方の関係は対等なのですから、そういうことは言うものではありませんし、やるものではありません。
もし、総務相が自分の主張に大義があり、やはり地方公務員の給与をカットすべきだと考えているのなら話は簡単です。
法律をつくればよいのです。法律は国会のみつくれますので、法律を持って地方を従わせればよいのです。それが法治国家と言うものでしょう。政権が変わったからには変な技術的アドバイスは慎むべきです。
それにしてもこの発言が(財務相ではなく)総務相だったことについては、私には少々サプライズでした。
総務相が地方分権推進派でないとなると、いったい誰が地方自治を守ってくれるのでしょうか。嫌でも地方の時代は一体いつになるのだろうと心細くなるのです。

都市化は地下化

テレビを見ていましたら、3月15日の終電から3月16日の始発までの間に、東急東横線の渋谷駅が引越しをするとのことです。
着々と工事を進めてきていて、現在の高架の駅から渋谷ヒカリエのビルの地下5階へ駅を移すのだそうです。
これほどの工事を一気に実行するというのですから日本の工事技術の進歩には目を見張るものがあります。
ただ、私は街を歩いていてもどうしても地形を見てしまう癖がありますので、渋谷の駅と言うと『谷底』と言うイメージが脳裏に浮かんできます。
「渋谷」イコール「渋い谷」ですから、もともと何か重金属?物質が含まれた水が豊富な谷だったのかもしれません。
いずれにしても道玄坂や宮益坂など渋谷駅からの移動はたいてい坂を登るところから始まります。
その谷底の渋谷駅前のビルの地下5階に駅ができるとなれば、当然のように水害対策をしっかりしておかないと大変なことになります。
都市化は高層化と地下化とイコールのようです。
昨年のハリケーンによるニューヨーク水没での地下鉄被害は長期間に及びました。
テレビでは触れられていませんでしたが、水害対策の新しい手法などが講じられているのか、少し心配になったのでした。

古くて新しい千葉市の問題提起

今日の日経新聞に『バス赤字解消へ住民負担を提案』という小さな記事がありました。
記事によれば『千葉市は移動手段のない高齢者らを対象に市の負担で運航してきた地域住民向けのバスについて(略)自治会や商店会など地域住民と折半することや、市の負担額の上限を年500万円にすることなど(の運用を始めたい考えだ)』
民間バスが赤字のために運航できなくなった場合、それまで利用してきた高齢者などの交通手段確保は全国的に行政が行ってきました。
一地域のために税金を投入するのはおかしいという意見と地域の利便性確保は常に議論されてきました。その一つの結論として、行政は「これは交通政策として実施するのではない、あくまで福祉施策として行うのだ」という説明をしてきました。
それがとうとう千葉市では財政難と言う観点からでしょうか、『地域住民と折半』『上限500万円』という段階に来てしまったようです。千葉市が現在抱える該当路線は3路線、赤字補てん額は3900万円だと報じられています。
首都圏の一角の政令市でこうした問題提起が行われるのですから、全国的に過疎地を抱える自治体はどういう議論を行っているのでしょうか。おそらく全国の自治体が千葉市の投じた一石を見守っていることと思います。
高齢化・人口減少の圧力がいよいよ居住地を選ぶという個人の権利の制限に及んできました。豪雪地帯の過疎地などでは集住といって、単身世帯のお年寄りには街中の一つの建物に住んでもらおうという議論もあります。
今後は、全国各地で個人の自由にかかわる権利とそれを守るためにどれだけのコストがかかるかという議論されるようになるのかもしれません。
経済成長期にはエコノミック・アニマルという批判的言葉が使われましたが、今度は低成長経済社会において権利についてのエコノミックな計算を行うようになるとすると何とも皮肉な話です。
権利の侵害とその補償のような係争もいずれは起こるでしょう。「その件のエコノミック・ライツは〇〇円です」という判決が出るようなら本当に味気ない話です。

テロに対峙するということ

アルジェリアで犠牲になった方々に心からご冥福をお祈り申し上げます。
テロは絶対に許すことのできない行為です。何の罪もない人の命を奪うことに大義などあるはずがありません。
そのうえで、私たちはテロに対して考えねばならないこと、備えなければならないことがあまりにもあることに気づかされます。
今日の毎日新聞社会面に『政府あてにならず』という大きな見出しがありました。しかし、あてになるほどの情報収集能力を持つことの意味は相当議論されるべきです。それこそそれを是とすればCIAのような組織が必要になるのではないでしょうか?
今回の事件が報じられたとき、私は「これは軍隊を駐留させない限り絶対に防げない」と思いました。ところが、その後の報道で軍隊が駐留している中での事件だと知りました。
つまり、私たちは何も知らない、何も知らされていないといことにあらためて気づかされるのです。
情報がない、知識がないところに正しい結論を出せるはずがありません。特に安全保障の問題はそれこそ知識・情報が大前提であり、そのうえにリアリズムというか、「(何でも)十分あり得るんだ」という切迫感が不可欠です。
ましてや、わが国のように隣国に国家間の約束も国際世論も平気で無視する国があるという現実は深刻です。
テロ行う可能性のあるグループ、地域、国はどこなのか?
どのような手法が考えられるのか?
狙われるとすればどこなのか?
それに対する対応はどうするのか?
テロ攻撃による被害想定は?
このようなことを、実は2001年9月11日以降は議論しておかなければならなかったことに気づかされるのです。
おそらく多分、わが国の最大の弱点は、こうしたことを考えるということではなく、どこが考えるのか?米国や韓国その他の国々が付随する協力を求めてきたときにどこが中心となって対応するのかと言う『当事者決め』のように思います。
今回の事件を受けて、これまで無かったことを奇貨として、危機管理体制の見直しを行うべきだと思うのです。

想像力を刺激される話

これから書く内容は答えのない話です。もし、思わせぶりに受け止める方がいらっしゃればご容赦ください。

今日の日経新聞文化面のコラムは、このほど直木賞を受賞された安倍龍太郎氏のその名もズバリ『直木賞を待つ』でした。
私は、残念ながら氏の受賞作『等伯』は読んでいません。しかし、読んでいないからこそ、このコラムには強烈に想像力を刺激されました。
それは、氏のこういう文章です。
『等伯の苦難に満ちた生涯、それでも絵を描きつづけた情念、そして肉親の死や世上の矛盾すべて昇華する松林図の境地。そこに達する姿をどう描けばいいか、苦心と苦悩の日々がつづいた。それを無事に切り抜けられたのは、法華経の研究家である植木雅俊さんの助言があったからだ。』

この文章を読めば、誰もが植木さんの助言とは何か?気になって仕方がないでしょう。ということで、この助言とはいかなる内容だったか?ということに想像力をいたく刺激されたのです。
ヒントは「法華経の研究家」ですから、法華経の内容にかかわることであることは間違いありません。
ところが、こうした研究と言うのは「資料が乏しい」の正反対で「資料が膨大すぎ」て何が何やら訳が分からないのです。
私としては自分なりの答えは思いついています。それでも「あれ」なのか、「これ」なのか、はたまた「それ」なのか、好奇心はどんどん膨らむ一方です。
小説を読むという時間の使い方は、今の私にとってはあまりに贅沢すぎます。読まねばならない資料が、机にもテーブルにもうず高く積まれていて収拾がつかなくなりそうです。
安倍氏の『等伯』には、きっと『助言の内容』がほぼ分かるように書かれているのでしょう。今となっては遅きに失しましたが今日の日経新聞文化面を読まねばよかったと思い始めています。
このブログを読んだ人にも同じ気持ちにさせてしまったでしょうか?