富山和彦氏のコラム『あなたは日本人を信じられるか』(週刊ダイヤモンド2月5日号)は非常に興味深かった。
それは次のようなくだりである。
「仏教や律令制度の受容をめぐって国論が割れた古代以来、明治維新、そして戦後復興期に至るまで、過去の開国期においても、日本と日本人のアイデンティティの根本は揺るがなかった。むしろ海外との交流を通じて吸収したものを見事に逆輸出してきたのがこの国の歴史だ。」
「大丈夫、歴史は繰り返される。かつての勤皇開国論者、勝海舟や坂本龍馬がそうであったように、私は日本人を、日本の若者を信じている。われら日本人を信じること、それがジャパンシンドロームに別れを告げる第一歩なのだ。」
富山氏の言うように、私も日本人を信じている。
ただ一抹の不安も無きにしも非ずであることは述べておかねばならない。
それは富山氏のあげた事例、すなわち「明治維新」にせよ「戦後復興」にせよ、われら日本人は当時若かったのだ。
仏教や律令制度の受容時はよくわからないが、やはり日本社会のリーダーの年齢層は若かったのではないだろうか?
現代日本は、当時より相当老いていることは自覚せねばならない。
会社の寿命が30年であるとか、大国病というのは『老い』が原因であると私は思っている。
したがって、次の二つのことを明記しておかねばならない。
第一に、仮に『老い』が日本の変革を阻害する要因だとすれば、改革はともかく急がなければならないということ。
問題を先送りにすればするほど『老い』は進む。
それだけ富山氏の言うジャパンシンドロームからの脱却が困難になるだろう。
第二に、日本の変革を阻害する老いとは、肉体的なそれもさることながら、もうひとつの老いがあるということだ。
それは営々と積み上げ、社会の各分野に固定化してしまった既得権益である。
これをどう解消していくかが大問題だ。
「明治維新」や「戦後復興」のように、そもそも生活も仕事も不安定なことが当たり前だった時代ではない。
一度、安定した生活を手に入れ、一定程度の生活レベルを経験してしまった後の既得権益の解消である。
そうした生活を脇において変革という大きな勝負に出ることができるかどうか?
この二つが私の不安要因である。
それでも、われら日本人の心に変革を成し遂げる青年の気概があると私も信じている。
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