月別アーカイブ: 1月 2011

国家が老いるとは?(第493回)

富山和彦氏のコラム『あなたは日本人を信じられるか』(週刊ダイヤモンド2月5日号)は非常に興味深かった。
それは次のようなくだりである。
「仏教や律令制度の受容をめぐって国論が割れた古代以来、明治維新、そして戦後復興期に至るまで、過去の開国期においても、日本と日本人のアイデンティティの根本は揺るがなかった。むしろ海外との交流を通じて吸収したものを見事に逆輸出してきたのがこの国の歴史だ。」
「大丈夫、歴史は繰り返される。かつての勤皇開国論者、勝海舟や坂本龍馬がそうであったように、私は日本人を、日本の若者を信じている。われら日本人を信じること、それがジャパンシンドロームに別れを告げる第一歩なのだ。」
富山氏の言うように、私も日本人を信じている。
ただ一抹の不安も無きにしも非ずであることは述べておかねばならない。
それは富山氏のあげた事例、すなわち「明治維新」にせよ「戦後復興」にせよ、われら日本人は当時若かったのだ。
仏教や律令制度の受容時はよくわからないが、やはり日本社会のリーダーの年齢層は若かったのではないだろうか?
現代日本は、当時より相当老いていることは自覚せねばならない。
会社の寿命が30年であるとか、大国病というのは『老い』が原因であると私は思っている。
したがって、次の二つのことを明記しておかねばならない。
第一に、仮に『老い』が日本の変革を阻害する要因だとすれば、改革はともかく急がなければならないということ。
問題を先送りにすればするほど『老い』は進む。
それだけ富山氏の言うジャパンシンドロームからの脱却が困難になるだろう。
第二に、日本の変革を阻害する老いとは、肉体的なそれもさることながら、もうひとつの老いがあるということだ。
それは営々と積み上げ、社会の各分野に固定化してしまった既得権益である。
これをどう解消していくかが大問題だ。
「明治維新」や「戦後復興」のように、そもそも生活も仕事も不安定なことが当たり前だった時代ではない。
一度、安定した生活を手に入れ、一定程度の生活レベルを経験してしまった後の既得権益の解消である。
そうした生活を脇において変革という大きな勝負に出ることができるかどうか?
この二つが私の不安要因である。
それでも、われら日本人の心に変革を成し遂げる青年の気概があると私も信じている。

新燃岳の噴火(第492回)

中学1年から山登りを始めたと言うと全国の山を歩いていたように思われてしまう。
しかし、40年のキャリアと言っても実際に登った山はほんのわずかである。
今回噴火した新燃岳にも登っていない。お隣の韓国岳に冬に一度だけ登ったことがある程度のものだ。
国土地理院のGPS観測によれば、新燃岳は2009年12月ごろから山体膨張が始まっていたという。
つまり約1年かけてマグマを貯めていた。
そのマグマだまりの位置と量は、火口の西北西約10キロ・地下約6キロに約六百万立法メートル(東京ドームおよそ5杯分)、火口直下地下約3キロのところに約百万立方メートル(東京ドーム0.8杯分)だと推定されている。
噴火直後から「えびの」と「牧園」を結ぶ観測点間の距離が縮んでいることが確認されている。
根拠はまるでないが、1年かかってたまったマグマであるから1年かかって放出するという長期化の可能性もある。
一方、気象庁の調査によれば高千穂河原ビジターセンターで2?3センチの降灰、御池小学校で5センチの降灰が確認されている。
降灰調査状況図を見ると火山灰の堆積量は分からないものの霧島から北東、南東方向へ広く降灰が確認されている。
かつて私は、火山灰による農業への影響について書いたことがある。
(第166回)2008年1月5日 宝永噴火300年
2センチ以上の降灰があると畑作物は1年間収穫不能、牧場も1年間使用不能となる。
稲作にいたっては0.5センチの降灰で1年間収穫不能である。
火山灰の影響がいかに恐ろしいかである。
宮崎、鹿児島は口蹄疫、鳥インフルエンザに加えてトリプルのダメージを受ける。
火山国である我が国にとって、国あげての支援策の実行が急務である。

国会情報収集時代(第491回)

自治体の「のんきな時代」は終わった。
これまでの自治体は、政府からの通知や例のごとく「技術的助言」を受けて予算編成などの作業を進めればこと足りた。
国の方針を待って、県の方針、市の方針を決めればこと足りた。
もちろん、そもそもからしてその姿勢は間違っている。
なぜなら、国の方針を決めるのはあくまでも国会であり、憲法第41条にある通り「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」から。
政府がどう言ってこようと、それは仮の決定・原案であって、最終決定は国会の議決による。
これまでは政府の方針と最終決定が異なることはまず考えられなかった。
しかし、ここ数年は衆参両院の多数派が与党を構成していないケースが常態化してきているのである。
政府がどういう方針を打ち出すにせよ、それを国会が是とするのかどうかを見極めないと自治体は予算すら組めない時代になったのである。
最近の事例で言えば『子ども手当』だ。
本来、国が全額負担すべきだから地方自治体としては負担分は予算計上しないという自治体が少なからずある。
この点は(第488回)2011年1月23日 子ども手当騒動 — 所詮は他人のカネで触れた。
果たして、予算計上しないという判断が正しいかどうか?
政府の言うとおりに地方に負担が押し付けられてしまうのか、国会がそれをノーと判断して否決してしまうのか?
そうした国会情勢の見通しが自治体に求められるのである。
この見通しを誤ると住民の利益は甚だしく損なわれることになる。
まさに、これからの地方自治は国会情報収集時代に入ったのである。
(地方分権はどこへ行ってしまったのか?)

私の中高時代よりも狭い部屋(第490回)

今日の毎日新聞朝刊に『児童養護施設 1部屋の定員1/3に』という記事があり、ようやく「児童福祉施設最低基準」の抜本改正に動き出したかと思った。
これまで児童養護施設の居住定員と面積は「1部屋15人以下、1人あたり面積3.3平方メートル以上」とされてきた。
実は、定員は戦後間もない昭和23年からずっと15人以下のままだった。
1人当たり面積は1997年から今日まで2.47平方メートル以上とされてきた。
特別養護老人ホームの1人当たり面積は10.65平方メートルに改善されても児童養護施設の面積見直しはなされずにいた。
特養ホームの方は、定員も1部屋4人から個室化が進められてきたにもかかわらず児童養護施設の方は見直しが放置されてきた。
記事では一人当たり面積が見直されることには触れられていない。
もしかしたら面積は3.3平方メートルのままなのかもしれない。
ちなみに私は、昭和45年から昭和48年までの4年間、すなわち中学1年から高校1年まで、4人部屋・1人当たり面積4.15平方メートルで暮らしてきた。
そういう下宿生活だった。
プライバシーという言葉など存在するはずもなかった。
児童養護施設の子どもたちの多くは、今から40年前の私の暮らしよりも狭いところで暮らしている。
何とかしてあげたいと切実に思うのである。

政治主導とは何だったのか?(第489回)

1月22日の読売新聞の記事『首相、次官らの政策調整容認』を見て、私は民主党の言う政治主導とは何だったのか、さっぱり分からなくなってしまった。
民主党の政権交代の旗印は政治主導だったのではないか?
そのために省庁間の政策調整から官僚を排除し、閣僚・副大臣ら政務三役で政策調整をしてきたのではないのか?
次官会議よりも官邸主導型の政治を行ってきたのは小泉内閣だったが、実際に次官会議を廃止したのは民主党政権である。
その方針を変更するというのは、むしろ改悪ではないのか?
政権担当能力がないということをようやく民主党自らが認めたと受け止めるべきかもしれない。
議院内閣制というのは、党内の権力闘争の結果によって内閣総理大臣が決まり、内閣総理大臣の都合によって閣僚が決まる。
したがって、決して国民のため、国益のために内閣が構成されるのではない。
議院内閣制そのものがそもそも政治主導たり得ないシステムだということになる。
本来、国民のため、国益のための政治にしようとするならば、やはり国民自らの手で内閣総理大臣選ぶ方式でなければならない気がする。
その意味では、地方政治の方が政治主導である。
政治主導とは何か?
大和総研専務理事の原田泰氏によれば
「総理を中心にした政治目標があって、その実現のために各省の大臣が選ばれ、選ばれた大臣が自ら副大臣や政務官を選び、チームとして行動するということでなければ政治主導にならない」
非常に説得力のある発言だと思う。
『政治主導』の対義語は『官僚主導』である。
『官僚主導』がなぜダメかと言えば、官僚は国益ではなく省益を目指してしまうからだ。
そうであれば、現在の小選挙区制度の下では『政治主導』など端からあり得ない。
小選挙区制度で当選してきた政治家は、国益ではなく選挙区益を目指してしまうからである。