月別アーカイブ: 2月 2007

良い学校を選ぶか悪い学校を避けるか

良い教育とはこういうものだと確定することは難しい。
そこで、教育を受ける側に決めてもらおうと言うのが学区の自由化であり教育バウチャー制度なのだろう。
さて、我が家にも小学1年生がいる。仮にバウチャー制が導入されたとしてどういう観点で学校を選ぶだろうか?
何を持って良い学校とするかは正直なところ分からないが、少なくとも悪い学校を避けようとするのではないだろうか?
ある学校があって、有能な教員を集め評判の良い教育を行っていたとする。
ところが、その学校で、たった一度重大な「いじめ」問題が発生した場合、いっせいにほとんどの親がその学校を避けるかも知れない。
つまり、その学校の存続問題につながりかねない事態は常に起こる可能性がある。こういう状況下で、「よし、バウチャー制か。がんばろう。」というモチベーションが保てるものかどうか?
むしろ(不祥事などが)何も起こらないようにと萎縮する学校も出てくるのではないか?
いずれにせよ、野心的で冒険的な魅力ある学校づくりという狙いはちょっと考えられない。
バウチャー制が都合よく機能するためのハードルは相当高い気がしてならない。過大な期待は禁物と思われるのである。

二極化の世界

世の中を何でもかんでも二極化して見るというのはやはり間違っていると思う。
世の中がそれほど単純な世界ではないことは誰でも分かっている。
しかし、そうは言ってもそういう風に見ると話が分かりやすかったり、物事を弁じやすかったりするのも事実である。
結局、不正確で荒っぽい話だと断った上で二極化の世界を語ってしまおう。
国の体制を資本主義と共産主義に分けるという古典的手法ではなく、格差社会と非格差社会という括りで国を分けてみる。
共産国家が実は格差社会であることは論を待たないので、資本主義国の代表アメリカと共産国家代表の中国がともに格差社会だというのは面白い現象である。
そして、アメリカも中国も経済的パフォーマンスは非常に良好であるらしい。(一般的にそういわれている)
一方、非格差社会の代表となるとやはり北欧諸国ということになろう。
実はこちらも経済のパフォーマンスは非常に素晴らしい。
すなわち、期せずして代表的格差国家も代表的非格差国家も、ともに経済が良好であるというのが非常に興味深い現象だ。
これをもって単純に『経済成長と社会的格差の有無や程度は無関係である』と言い切るのはさすがに乱暴なことだとは思う。
しかし、この命題は多分正しい。私の直感はそう語っている。

小児急病センターを訪問して

以前から小児急病センターの混雑が指摘されていたのでときどき見に行きたいと思っていた。
ようやく土曜日夜に時間が取れて9時過ぎに訪ねてみた。
自動ドアを開けるや否やもう満員・満員・満員である。
非常に役立っていると言える一方、これは衛生会館時代の比ではないと思った。小児だから当然親御さんがご一緒ということはあるだろうが・・・。
そして、支えてくださっている医師、看護師、薬剤師など関係者有志の方々のご苦労も痛切に感じた。
大体、9時ごろ来た人は11時半ごろ帰っていくので、所要時間は2時間から3時間というところのようである。
診察室は3つしかないので単純に医師を増やせば良いというものではない。また関係部課と議論をしてみたい。