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正常化の偏見

『正常化の偏見』とは、「危険が差し迫っても事態を楽観視して深刻に受け止めないこと」だと言います。
平成15年の三陸沿岸での津波警報発令時に住民のほとんどが避難しなかったことが分かっていますし、また地下鉄サリン事件の時にも乗客の多くが鼻水、咳、息苦しさを覚えながら「風邪をひいたかな?」と思っていたことが分かっています。
生物としてのわれわれに、こうした『正常化の偏見』があるのは、外部環境からの影響にいちいち反応していたら、むしろ逆に身が持たないということなのでしょう。
昨年12月18日に行なわれた『防災・減災シンポジウム06』は大変示唆にとんだイベントでした。
たとえば、津波警報が出て必死になって避難をする。ところが2メートルの津波が来るはずだったのが実際に来たのは50センチだった。
このとき多くの人は「予報が外れてよかった」と喜ぶのではなく、「また外れた!」と怒るというのです。
この気持ちは良く分かります。季節が冬であったり、天候が豪雨であったりすればなおさら怒るでしょう。
このとき河田恵昭氏(京都大学防災研究所所長)が言います。
「私たちは現象に関して全部分かっているわけではないので、そういうふうに予想通りにいかなかったときに、なぜいかなかったのかということをもっときちっと説明する責任が、やっぱり気象庁のはあるわけです。」
なるほどまったくその通りだと思います。
考えてみれば、私が森田さんの天気予報を好むのは、予報が外れたときに「思ったより寒波が南に下りてこなかったんですよね」などと外れた理由を説明してくれるからです。
こと防災に関して、『正常化の偏見』を限りなくなくしていくためには、そうした気象庁の説明 は絶対に必要です。
そのうえで、避難勧告が出たときには、自分自身に対して『正常化の偏見』が起こっていないかどうか問いただしてみる。
これは気象庁ではなく、自分自身に対しての説明 責任だととらえるべきでしょう。