月別アーカイブ: 12月 2009

インフラのない町(第336回)

昨年、八ツ場ダムを視察したことは本ホームページに以前に書いた。
ダム周辺を視て回りながら何となく違和感があったのだが、その理由が分らない。
この違和感は、かつて川原湯を訪れたときも、またこの地を通過したときも何となく感じていた。
その理由がようやく分ったのは、恥ずかしながらつい最近のことである。
要するにインフラがないのである。
それは当たり前のことだ。なにしろダムに沈む町なのだから。
だから、この町は道路と住宅地だけが真新しくて『その他』はない。
ところがここへきて、いきなりダムが造られないことになるという。
すると、本日この時点からインフラの整備をする以外にない。それも大急ぎで。
学校はどうなるのだろう?幼稚園は?保育所は?
老人保健施設は?グループホームは?特別養護老人ホームは?
支所(行政)は?集会場は?買い物は?病院は?仕事は?
何十年という遅れを取り戻すのは容易なことではない。
しかも、これまでのように千葉県を含む首都圏の各自治体は負担金を払う理由がない。
むしろこれまで払った私たちの負担金を国から返してもらわねばならないのである。
地域住民の個々の生活再建とは別に、一体どのくらいの税金投入をするのか、空恐ろしい気がする。
このほど、政府は来年度予算の規模を示した。税収以上に借金をするのだという。
しかし、八ツ場ダム周辺のインフラだけを見ても補正予算で対応できる規模ではないだろう。
この点の民主党政府の説明責任もどこかに行ってしまっている。

冬富士の遭難(第335回)

元レーサーの片山右京さんらのパーティーが富士山で遭難した。
亡くなったお二人はテントごと強風に飛ばされたのだと言う。
一般に、冬山で最も注意しなければならないのは、『風』であり、特に富士山はガイドブックの一番最初に「耐風姿勢」の取り方が解説されるほどの凄まじい強風地帯である。
当然そのことは分っていただろう。分っていてもどうしようもないのが登山なのである。
亡くなられたお二人のご冥福を心よりお祈りいたします。
私が初めて冬の八ヶ岳を登ったとき、阿弥陀岳から赤岳へ向かう鞍部の強風にはたじろいだ。
雪面に刺そうというピッケルが、風に吹き戻されて思うところに刺せない。一歩一歩進めようという足が吹き戻されてしまう。
何という悪天候かと思った。
翌日、同じところに立ったときにたまたま昨日が悪天候だったのではなく、この強風はごく当たり前の日常的なものだったことを初めて知った。
その後、北アルプス後立山の爺ガ岳での幕営では、ちゃんと教科書どおりに雪のブロックを積んでいたのに一晩中の強風に苦しめられた。
4人でテントの4隅を強風につぶされないように支え続けた。もちろん一睡もできず、いつ強風が襲ってくるか分らないので一瞬の油断も許されない。
それでも結局、新品の当時最新鋭の『メスナーテント』のポールはものの見事に2本ともへし折られてテントはつぶされた。
また、雪の斜面で簡単に風で転ばされたこともある。
そのときは200メートルほど滑落した。
大きな荷物を背負っていたので滑落停止姿勢に入れない。
ようやく停める体制になったときにはスピードがつきすぎて今度は停めることができない。
滑り落ちながら死を覚悟した。
それでも助かったのは少なくとも私の雪山における技術でも経験でもなくたんに幸運だっただけである。
冬山では「登れた」「登れなかった」は99%が「天候」と「積雪」 で決まってしまう。
技術的なものは本当は差があるのだが、「天候」と「積雪」という二大要因の前には無視できるほどの差になってしまう。
したがって、天候に恵まれて雪の状態がよければ簡単に高山に立ててしまうことがある。
それを実力と錯覚すると遭難に一直線だ。
登山における謙虚さ慎重さが試されるのが冬山なのであり、かつ謙虚で慎重だったとしても遭難がありえるのが冬山の厳しさなのである。

これはインフルエンザ第一波か?(第334回)

国立感染症研究所は、インフルエンザ流行レベルマップの2009年第49週(11月30日?12月6日)について次のコメントを書いた。
『・・・(患者報告数153131)となり、前週よりも大きく減少した。(中略)第28週以降これまでの累積の推計患者数(暫定値)は約1414万人(95%信頼区間:1396万人?1432万人)である。・・・』
これまでにわが国は約1400万人の新型インフルエンザ患者を出したものの第49週に入って大きく患者数が減ったという。
はたしてこれを第一波と見てよいのだろうか?
7ヶ月前の5月18日の記者会見で舛添厚生労働相は「政府の専門家諮問委員会から新型インフルエンザは季節性と大きく変わらない」との報告を受けたと述べた。
この『季節性インフルエンザと変らない』という発言の受け止め方は三者三様だろう。
一般に、季節性インフルエンザはそれほど重大な病気とは受け止められていない。
場合によっては会社に行こうかというのが最近までの一般的な受け止め方であったのではないか?
舛添大臣は、病原性が弱くタミフルも効くという意味で使ったとしても、やはり「新型」イコール「季節性」という表現は慎重に使うべきであろう。
そして、季節性インフルエンザの場合はその死亡例の多くは高齢者である。
つまり、実はもっとも高齢化が進んでいる日本のような国ほど季節性インフルエンザが猛威を振るいやすいと見なければならない。
したがって、舛添発言は重大な内容だったわけだが、国民全般はまるで逆に理解した。
「ほっとした」「安心した」これが率直な受け止め方だったように思われる。
大臣が何を言おうと、専門家がどう言おうと、新型インフルエンザは、そのような安心できるタイプのウイルスではない。常にそう思っておくことが大事である。
なぜなら、インフルエンザ・ウイルスについて人類はほとんど何も知らないのだ。
さすがに高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)ほどではないにせよ、季節性よりははるかに危険なことは死亡者数がそれを示している。
そして、今回が仮に第一波の終焉だとすると、それ以上の第二波が今後来ることになる。
あと2年ほどは気を緩めず、覚悟を決めておかねばならない。

政権交代時にわかる政治家の真価(第333回)

日本は民主主義国家なのであるから、選挙による政権交代は当然ありうる。
言い方をかえれば未来永劫に続く政権などありえないと言うことである。
平和的に政権が交代するとなれば、政権交代の際にどうスムーズに交代するかということを考えねばならない。
私が宮沢元総理にシンパシーを感じているのは、細川内閣への政権交代の際に実に紳士的に引継ぎを行ったからである。
「分らないことがあれば、何でも聞いてください。」さらにそうも言った。
これが民主主義国家の政権交代の姿であろう。それに比べて、麻生内閣では官房機密費をすっからかんにして去ったと言う。
我ら日本人の「立つ鳥跡を濁さず」という感覚とは相容れないものがある。
官房機密費は毎年15億円ほどあるが、ほぼすべて使い切られている。
本年9月17日の記者会見で、民主党の平野官房長官は官房機密費について問われ、
「そんなものがあるのですか。まったく承知していない。承知していないからコメントできない。」と発言した。
しかし、実際にはその直後に1億2000万円ちゃっかり使っていたことが判明している。
平然と嘘をつく。嘘をついてもなんとも思わない体質なのであろう。
2001年に政調会長だった岡田克也氏は
「官房長官が自分の判断で使用できる金額の内容を開示せず、不明瞭な状態を保っていることは極めて不十分であり、非常に不満に思う」
と述べた。そして、機密費流用防止法案を国会に提出したのである。
残念ながら、もうそんな考え方は、政権党となった現在の民主党のどこを捜しても見つからない。
官房機密費の金庫を空にした麻生政権も、官房機密費の存在をとぼける鳩山政権も、やはり同じ穴に住んでいるのだろうか。