Monthly Archives: 5月 2014

挑戦する心

今朝の日経新聞に『梅原猛さんが新作狂言』という記事がありました。氏が89歳であることを考えると、そのバイタリティーに脱帽以外の何ものでもありません。
確か、聖路加病院の日野原院長が『葉っぱのフレディ』のミュージカルを創作したのも80歳の時と聞いたことがあります。人の可能性は無限大だとつくづく思います。
記事を見て、かつて梅原氏から天皇制についてのお考えを伺ったことを思い出しました。
『天皇制の初期の頃は当然天皇にそれほど権力は集中していなかっただろう。その後、女性の天皇の時代、上皇の時代となって、実は当時も実態としては象徴天皇だった。そして、これが今日まで長きにわたり天皇制が続いている理由ではないか』という内容でした。
話が大変な方向へ行ってしまいましたが、常に新しい分野に挑戦するエネルギーのを持ち続けたいと思います。

地震と津波の複雑な関係

昨日の日経新聞に『「宝永」級地震 7000年で16回』という記事がありました。こういう記事は正確に読み取らねばなりません。
記事にはこうあります。『宝永地震に匹敵する巨大地震が、過去7千年の間に少なくとも16回起きていたことを示す津波堆積物を高知県土佐市の池で確認した。』
これは、堆積物すなわち津波を確認したのであって地震を確認したのではありません。
地震があれば必ず津波が起こるとは限りません。逆に、地震がなくとも津波は起こります。
南米から津波が来ることもありますし、海底火山の噴火や海底地すべりでも津波は起こります。また、堆積物と堆積物の間に土壌が形成される時間的な差がないと同一津波のものとされることもあります。
ですから記事の中に「巨大津波で千年分の記録を全て消してしまうこともある。16回よりも多かった可能性もある」との岡村特任教授の話を入れてあるのです。地震と津波の関係は本当に複雑です。

悲しく情けない記事

今朝の朝日新聞に『内部告発で退職 二審も報復認定 千葉の医療死亡事故』という記事がありました。
千葉県がんセンターで相次いだ死亡事故を内部告発した方が嫌がらせを受け退職を余儀なくされた問題の二審判決の記事です。
通報を受けた側の意識の低さに今さらながら驚くとともに、通報者の無念を考えると心が暗くなります。
私は、2008年12月議会(12月3日)の代表質問で公益通報制度について質しています。
『人は誤りを犯すものですし、完璧な人間が存在しない以上、仕組みとしてきちっと内部統制を図っていこうという流れであります。(略)そこでお伺いいたします。 第1に、千葉県はこの公益通報制度について、現在どのように取り組んでいるのか。』
これに対する白戸副知事の答弁は『県では、平成18年4月の公益通報者保護法の施行を受けまして、いち早く体制を整えております。(略)特に、内部職員からの通報にあっては、(略)通報者の保護に努めております。』というものでした。
運用する側の意識が伴わねば、体制が整ってもどうしようもありません。

自治体の一律もありえない

一昨日に続いて一律はおかしいという話をさせていただきます。
松戸市職員のラスパイレス指数が高いという記事がありました。
これも厳密に解釈しないと誤解されやすい事項の一つです。
例えば、松戸市には二つの市立病院があります。そこで働く医療スタッフは市の職員です。
医療関係者は、一般に高所得でしょうから、そうした人が多いとラスパイレス指数は高くなります。つまり、まったく病院を持たない自治体とは単純な比較ができないのです。
医療面の質を落としてもラスパイレス指数を下げた方が良いのか、ラスパイレス指数は高めでも医療の質を落とさない方が良いのかは重要な問題です。私は、やはり病院は必要で、その病院が無駄な赤字を出さないように経営されれば良いと考えます。
行政や議会は、むしろ「ラスパイレス指数が高いのはこういう理由です」という説明をすべきであって、それを怠ってきたことが問題のように思います。

一律はありえない

5月12日に、千葉県地震・津波対策議員連盟として南相馬市を訪れ、飯館村を経由して会津へ入りました。
南相馬では同市の小川市議の説明を受け、同じ「地方公共団体」という言葉で表現される自治体でありながら、まるで違う様相に改めて愕然としました。
南相馬は、10、20、30キロ圏という原発からの距離で市内を3分割され、それぞれの住民が全く違う困難を強いられています。また、飯館村は南相馬の20キロ圏内同様に人が住めない自治体になってしまいました。
お一人お一人の年齢、家族構成、職業等によって希望されることも大きく異なります。住民によって『同じ』はありえず、自治体によっても『同じ』はありえません。
こうした多様性にどこまで政策や制度をマッチさせることができるかが政治の質の高さだと思います。
『十把一絡げ』という言葉があります。しかし、その十把は実に多様で価値ある十把だと認識をし直さねばならないのです。