月別アーカイブ: 6月 2008

風が吹けば桶屋が儲かるか?(第214回)

原油高が止まらない。
ガソリンも値上げ一方である。
報道によれば、この原油高の最大の原因はファンドによる投機だという。
それに対して、あるコメンテイターは「ファンド」イコール「悪」という立場から投機批判をする。
これには少し違和感を感じる。
ファンドの存在意義は稼ぐことである。稼ぐのが使命である。
そしてそのファンドの原資は何か?
おそらくわが国を含む世界各国の年金積立金であり、わが国を含む退職金積立金であり、わが国を含む金融機関に預けてあるところの預貯金であろう。
われわれは結果的にファンドにはどんどん稼いでほしいという行動を取りながら、その行動によって引き起こされた事態をけしからんと憤っている構図がここにありはしないか?
これが国内問題であれば「ファンドは食糧とエネルギー分野で稼いではならない」と言えるのだろうが、国際金融の問題であれば合意を得ることは不可能だろう。
そして好むと好まざるとに関わらず、われわれすべての国民が、その悪徳?ファンドとやらに何らかの形で何処かで必ずつながっているのに違いない。
まったくもって66億人の世の中はあまりにも複雑になりすぎてしまったのだ。

「腑に落ちない」の相乗(第213号)

5月10日の産経新聞に、東京都が大規模事業所に二酸化炭素の排出削減を義務付け、違反した事業者に罰金を課すという条例改正案を提出すると報じられた。
この改正案は単純なものではなく、以下の施策が盛り込まれている。
?二酸化炭素削減に必要な設備投資には補助金を出す。?これまでの削減実績も考慮する。?削減対策計画と削減状況報告書を出させる。?削減不足の事業所には義務付け以上に削減した事業者から排出枠を購入させる。?事業所が都に従わなかった場合は罰金を課す。
この施策で非常に気になるのは、業種によって有利不利は生じないのか?という点である。
どうしても二酸化炭素を多く出してしまう業種もあれば、そうでない業種もあるだろう。つまりは業種ごとに削減量を決めねばならなくなる。
すると必然的に、業種によって排出枠を購入する金額が異ならなければおかしいことになる。
売る方はなるべく高く買ってくれる業種に売りたい。こういう問題をどうクリアするのであろうか?
さすがに「?」でこれまでの実績を考慮するとして、京都議定書での矛盾点を修正しているように見えるが、実際には公平性確保はきわめて困難だろう。
もっともこのことによって優良企業が千葉に来てくれるのなら悪くはない施策だ。
5月14日の朝日新聞に、各家庭が太陽光により発電したことを証明する「グリーン電力証書」を発行してもらい、それを企業が買えば、石油や石炭で発電した電気を使っても自然エネルギーの電気を使ったとみなしてもらえる制度を導入するとの経済産業省の方針が報じられた。
お金を出せば、実際には石油や石炭で発電した電気も自然エネルギーでつくった電気だと思ってあげようというのである。
「おままごと」では、その辺の葉っぱを取ってきてもそれをおかずだとするのがお約束である。そんな遊びを思い起こす。
さて、このように回りくどい施策を打ち出す理由は何か?
事業の目的は明確である。その目的に合致した施策ではなぜいけないか?
こういうときは何かほかに意図があるのではないかと疑ってしまうのは私だけだろうか?

教育に厳し過ぎる財政制度等審議会(第212回)

6月3日、財政制度等審議会は「平成21年度予算編成の基本的考え方について」という意見書を財務大臣に提出した。
私はかねてより『命と未来の格差は無くしたい』 、すなわち医療と教育は日本列島のどこに住んでいても格差の無いようにすべきと主張しているので、同審議会の意見書には賛同しかねている。
理由は、同審議会の教育分野についての厳しい見方である。
案の定、今回の「予算編成の基本的考え」を読むとこう書かれている。
『我が国の児童等一人当たりの教育支出は、主要先進国と遜色はなく、教育予算対GDP比のOECD平均を目指すことに意味はない。義務教育費国庫負担の見直し、国立大学法人運営費交付金・私学助成の削減、奨学金事業の見直しが必要。』
まことに厳しい。『GDP比のOECD平均を目指すこと意味はない。』とまで言うのである。
これまでも、たとえば『義務教育に係る教職員定数の削減目標の達成、教員給与の優遇分の見直し、国立大学法人運営費交付金・私学助成の削減、奨学金事業の回収強化・上限金利の見直しが必要。』
あるいは『教員給与の効率化、学校の統廃合の推進等による義務教育にかかるコストの縮減、国立大学のあり方、運営費交付金の配分ルールについての見直し等を進めいていく必要。』
まことに厳しい。
財政という切り口のみの答申であり、ここには憲法にうたわれた「教育の機会均等」という理念が感じられない。
ましてや、わが国の教員はデータでの比較で少なくないとしているが、OECD諸国の教員はわが国の教員のようにほとんど生徒や児童の私生活まで関わってはいないだろう。
ドイツで教鞭をとっていた方が、ドイツでは職員会議は年に数回だといっていたのを聞いたことがある。
他国のとの比較は単純に数字だけでよいのか、検証の必要があると思う。
なるほど教育の水準イコール予算額ではないとは思う。しかし、あまりにも教育に厳しすぎやしないか。

東扇島の渚にて(第211回)

川崎市の東扇島に防災公園ができたということで視察させていただいた。
川崎駅からバス代片道200円である。
東扇島には橋梁がなく海底トンネルで渡る。
途中さまざまな企業の倉庫やら川崎マリオンなどを経て東公園前に着く。
なるほど立派な防災公園である。
ヘリポートがあり、食糧や資機材の備蓄倉庫があり、海上から物資の補給を受けることのできる小さな湾の中にはちょっとした渚まである。
渚に立つと少し霞んでいるものの北北東に『海ほたる』が見える。
遥かに『海ほたる』が見えた瞬間、私の関心はすでに防災公園そのものよりも、東扇島の成り立ちに向けられていた。
ここに広大な埋立地があり、海底トンネルまで掘って市街地とつながっている。
どれほどの投資額だったろうか?誰が負担したのだろうか?いずれにしても巨費と相当の時間をかけて造り上げた土地だ。
その高価な土地に広大な防災公園がある。単なる公園では説明が難しかったのだろうな、というものだった。
東京湾を埋め立てて海底トンネル(や橋梁)を通して企業を誘致する。これが都市経営の基本的パターンだったときがあった。
もしかしたら、この島ではこのパターンが踏襲できなかったのかもしれないと思ったのだ。
もちろん私の見立て違いかもしれない。素人の浅はかな見方なのに違いない。
結局、このことは未だに確認することができないでいる。