月別アーカイブ: 1月 2009

コメが主食でなくなるとき(第242回)

このところの千葉県議会では、毎回の代表質問や一般質問にコメの消費拡大が訴えられる。
「米粉パンなど米粉を活用せよ!」「飼料用米への転換を!」などの提案をまじえながら議員は訴える。
県当局が「コメの消費拡大に全力で取組みたい」と答弁する。
県民の代表も県民のために働く行政も同じ認識で頑張っている。
にもかかわらずコメの消費が伸びない。
ミクロであるわが家を見ても、小学生のわが子は本当にご飯を食べない。
ご飯を食べさせようとしてもなかなか言うことをきかない。
ご飯は嫌いだとパンばかり食べている。
私はご飯が大好きだが、パスタのおいしさも捨てがたいので、実は人のことを言えた義理ではない。
これだけみんなで取組んでコメの消費は落ち込むばかりとなると残された方法はひとつしかない。
需要と供給の一致したところに価格が決まると言う経済学の基本中の基本原則に従えば。
問題は、ではそうしたときにどういう問題が起こるかである。
第一段階として、誰しもが想定するように兼業で米作りをする人が先ず最初にいなくなるだろう。
このとき米の供給量がどれだけ減るのだろうか?
そして供給量が減ったことによってどうのように価格の上昇するのか?
どのくらい供給量が減るとどのくらい価格が上るか?
さらにどのくらい上れば専業の人が米作りを続けられるか?
そのときの米の供給量は国全体でどのくらい見込めるのか?
こうした疑問点が解明されずに食料自給率を議論してもあまり意味がないように思う。
われわれが生きていくうえで農業は最重要産業だ。にもかかわらず農業情報はあまりに乏しいのである。
このままでは米が主食でなくなるときが必ず来るに違いない。

究極の市況商品?(第241回)

それにしても一時期のガソリン価格の値上げは凄まじいものがあった。
千葉県内のレギュラーガソリン価格の統計数値(財団法人 日本エネルギー経済研究所 石油情報センター調べ)を見ると、平成20年4月にはリッター130円だったが5月158円、6月171円、7月180円、8月183円とぐんぐん上がっていった。
そしてその後は、9月172円、10月161円、11月134円、12月117円と嘘のように下がっていった。
もちろんこれだけで断言すのではないが、もはや石油は、トウモロコシや砂糖などのような市況商品であり、見方によれば金融商品だと言うことである。
市況商品であればこそ実需と切り離され、その時々のマーケットの状況によって価格は自由奔放に乱高下する。
そして、数ヵ月後いくらになる、1年後にいくらになると言う予想が誰にも立てられない商品だというわけだ。
おそらく、今後もこのように世界中から資金が流れ込む商品がどんどん増えていくのだろう。
そうした目で見ていると、夕刊(1月19日 読売新聞)に『カカ移籍 総額300億円報道』とあった。
アラブ首長国連邦の王族がオーナーであるマンチェスター・シティーがACミランからエースを引き抜こうと言うのである。
もしかしたら究極の市況商品は世界のアスリートたちかもしれないと思えてきた。

医療費適正化とは何ぞや?(第240回)

国が都道府県に医療費適正化計画を作らせると言い出したとき、眉につばをつけておかねばと思った。
大体、国が地方になにかしらの計画とかマスタープランを策定させるときには、その裏を読む癖がついているのである。
たとえば天下り先の確保に使われるのではないか?とか特定の団体に儲けさせようとしているのではないか?など疑り深くなっている。
これまでずいぶん騙されてきたのだから当然のことだ。
それに、わが国の医療体制というのは、健康保険組合、共済組合、協会けんぽ(これまでの政府管掌保険)、国民健康保険などばらばらであり、都道府県や国がこれらの団体のデータをどれだけ持っているのかという疑問もあった。
しかし結局、「高齢者の医療の確保に関する法律」第9条第1項の規定に基づき都道府県はそれぞれ『医療費適正化計画』を策定せざるを得なくなったのである。
実は、千葉県の計画はまだ出来上がっていない。おそらく策定されていないのは全国でも5団体ほどだろう。
出来上がっていない県の人間がこういうことを書くのも申し訳ないのだが、出来上がったところの計画を見るとビックリしてしまうのである。
たとえば、平成20年2月に策定された某県の計画は、まず1ページ目を開くと『医療費の現状』という分析になっている。
そこにはこう書かれている。
『平成14年の本県の医療費は、高齢化の進展や医療技術の高度化等に伴い、平成2年度の約1.6倍、老人医療費は約2.3倍に増加してします。』
ここで呆然としてしまうは、『平成14年度の』 という部分である。
ご丁寧にもこの記述の下には、平成2年度と平成14年度の医療費を比較した表まで掲載されているのだが、なぜ平成20年2月の『医療費適正化計画』に『平成14年度』が出てこなければならないのだろうか?
その後の『本県の医療費の推移』も『一人当たり医療費の全国比較』も『平成14年度』の数値であり、比較的新しいものでも『平成17年度』である。
そこで、違う団体の適正化計画を見てようやく理由が分かった。
つまり、データが平成14年度、17年度と3年に一度取られており、某県では17年度が間に合わなかったのだ。
したがって、間に合った県では平成17年度の数値を使っているのだが、それでも平成17年度 である。
そんな古い数字で平成20年度から以後5年間の医療費適正化を推進する計画を立ててしまって本当に大丈夫なのか?
しかも案の定、データも国保と老人保健はあっても、その他の被用者保険のデータが無い。推計の推計の推計だらけである。
ここまで来ると、『医療費の適正化』の前に『データの適正化』を実現せねば、計画倒れではなく誤った計画立案になってしまうのではないかと心配になってくるのである。

都道府県レベルのパーセント法(第238回)

パーセント法といえばハンガリーが有名だ。
これは、納税者が自分の意思で選んだ機関や団体に自分の納める税金の何がしかの割合(例えば1%)を寄付できるという制度である。
機関や団体に寄付するという行為が欧米ほど一般的ではないわが国ではなかなか根付かない制度かも知れないが、この修正版が既に市川市などでスタートし、少しずつ各地に広がり始めている。
私は、この『独り言』でしばしば書かせていただいているように、国の統治や自分の地域のあり方に関わるべきと信じているので、この制度も基本的に正しいと思っている。
また、もう一つのメリットとして国籍によって参政権を与えられていない納税者にも(微々たるものとは言え)その権利が行使できる利点もある。
問題は、これを都道府県レベルで実現することが非常に難しい点だ。
所得税や住民税を納めるのは国であり市町村である。
すなわち都道府県は直接納税者とつながっていない。
したがって、納税者の意思を確認しようが無い。
発想を変れば、例えば企業に対してパーセント法の適用ができるかもしれない。
しかし、企業に国の統治や自分の地域のあり方まで考えさせる政策誘導にはどうしても無理がある。
と言って文化などの特定分野に限れば、すでに企業メセナがある。
やはり都道府県レベルの適用はどうしても難しい。

2009年の恐るべき初夢(第237回)

昨年末12月27日にイスラエルはガザへの空爆を開始した。
ハマスのロケット弾攻撃に対抗するためという。
1月10日時点でイスラエルもハマスもともに国際社会の停戦への呼びかけを拒否している。
結局、行き着くところまで行かないと戦争は止まらない。
この報道の陰に隠れてほとんど報じられていないが、アフガニスタンも泥沼の様相だ。
駐留米軍の規模は4万人と伝えられるが、はたしてタリバンを壊滅させることができるのか?
私にはほとんど不可能のように思われる。
アフリカもひどい。コンゴの内戦による死者は500万人を超え、周辺諸国に拡大の様相すらある。
それにしても500万人!である。
千葉県の人口の約8割!福岡県の人口に匹敵する。四国4県あわせたって412万人だ。まさに途方もない数字である。
大問題のイラクについては今では何も報じられない。
昨年の1年間で100万人(足らず?)の死者だから報じられないのも当たり前ということなのか!
世界は戦争に充ち溢れ死屍累々の惨状だ。
オリンピックが行われてもサミットが行われても好況にわいても不況に肩を落としても世界は戦争と戦争と戦争と戦争だ。
いずれも日本人のメンタリティでは、理解することは100%不可能な事柄が現実世界で起っている。
天下を決する戦いだった関が原の戦いですら1日足らずで終わってしまう国に生まれたことはどれほど幸運なことかと思う。
異民族や異宗教が接している大陸と日本や南の国の島々に住む者たちとの決定的な差がここにある。
してみると世界平和の道は、すべての国境線上に完璧なバリアーを築く以外にないのかもしれない。
そして、その神聖で侵すべからざるバリアーを1000年2000年もの間、毎日毎日ながめて暮らしていく。
そんな突拍子も無い考えが、2009年の初夢である。