Monthly Archives: 9月 2009

まず行うべきは白書の検証(第315回)

民主主義国家の生命線は情報の公開である。
それなくしては、たとえ選挙制度が公正かつ公平でもまるで意味をなさない。
われわれが国を考えるときに拠りどころとするのは、やはり「白書」「青書」の類である。
ここの記述を元に現状分析をし、さまざまな政策検討を行うことになる。
このオオモトの「白書」「青書」の記述がいい加減だったとしたら、あるいは恣意的だったとしたら政策はメチャクチャになる。
そして、何を信じればよいのかという根幹の問題にもなる。
伊藤周平著「後期高齢者医療制度」(平凡社新書)を読んでいたら見過ごせない記述が出てきた。97ページである。
『医療費の見通しについて厚生労働省は、従来から2025年度の医療費予測を発表してきたが、1994年の「厚生白書」では、それが何と141兆円となっていた。その後、1997年には104兆円、2002年には81兆円、そして今回が65兆円と下方修正されてきた。』
ここまでいい加減だと、これは恣意的だと思わずにはいられない。
医療費の伸びの凄まじさが医療費抑制の理由だと政治家は訴えてきた。
その政治家はどう責任を取ればよいのだろうか?
私の手元に、私たちが作った医療制度の資料がある。
この資料の医療費は、2006年度28.5兆円、2025年度には56兆円となるとしており、まあ現実的な数値であるから責任問題には及ばないものの、仮に1994年度や1997年度、2002年度の白書から資料を作っていたとしたら責任問題に及びかねない。
こうした一つ一つの「白書」「青書」の検証を各省庁ごとに厳格にきっちりとやる ことが重要だ。
これからますます難しい運営を迫られる日本において、いまさら「白書」「青書」の検証をやらねばならないというのは全く愚かしくも情けない話だ。
しかし、民主主義国家として胸を張るためには、どうしてもやらねばならないことだと私は思う。
今般大きな問題となっている外務省の「核の密約」に象徴されるように、まさに官僚の信用は地に落ちてしまったのである。

八ツ場ダムの議論に欠けているもの(第314回)

9月24日の読売新聞の八ツ場ダム中止に対する社説『公約至上主義には無理がある』の結論は、「中止の場合の財源は貴重な国民の税金であり、ダム完成より中止の方が余計に金がかかる。そうした損得勘定も考慮すべき(趣旨)」という内容だ。
9月23日の毎日新聞の社説『時代錯誤正す「象徴」に』では、どれくらいかかるかという費用の概算があげられている。
それによれば、完成の場合はあと約1400億円だという。ただし完成後の維持費に年間10億円弱かかるとのこと。
一方、中止の場合は、自治体負担金の返還で2000億円、生活再建関連事業770億円だという。
2000億+770億?1400億?500億(50年維持として)=870億
しかし、それでも毎日新聞は「八ツ場だけの損得を論じても意味がない」とばっさり切り捨てる。
870億円(かどうかは正確には分らないが)という国民の税金など毎日新聞社にはどうでもいい金額であり、ましてや地元住民の人生など論ずるに足らぬとでもいうのであろうか。
しかし、実はまだ見落とされている費用がある。
それは下流の都道府県や市区町村では水害対策のための堤防や河川の幅(断面積というのであろうか)を八ツ場ダムがあるものとして計算して整備しているという点である。
すなわち、もし八ツ場ダムがないのであれば、下流域の水害対策は抜本的な見直しを迫られ、最初の計画段階からやり直しとなる。
そのための費用は自治体が出すにせよ国が出すにせよ要するに国民の税金である。
八ツ場ダムは、民主党のマニフェストにも掲載されたり削除されたりと党内で真剣に議論されたふしがない。
にもかかわらず、まるで公共事業全般の見直しのための生贄のように問答無用で切り捨てられた。
毎日新聞は、それを『生贄』とは言わず『象徴』としたのであろう。
民主党は、八ツ場ダム中止を勝手に宣言してしまったが、たとえそうであっても中止した場合にはどのくらいの費用がかかるのかは明確に示してもらわねばならない。

八ツ場ダムに見る民主党に欠けているもの(第313回)

八ツ場ダム中止をめぐる民主党の手法を見ていると、この党の欠陥があらわになってくる。
最大の欠陥は、地域に根ざしていないことだ。
いくら選挙が済んでしまったからといって、ここまで住民に対し徹底的に冷酷になれるだろうか。
ダムの地元住民の悲痛な声にここまで徹底して「聞く耳持たず」を貫けるのは、結局この党の本音が「地元民のことはどうでも良い」ということなのだとしか思えない。
考えてみれば、民主党の少なくない議員がいきなり選挙区を割り当てられ、いきなり当選してしまうのであるから地元のことなど考える必要もないだろう。
議員が駅頭でマイクを持つのは、知名度を高め、当選し、住民の声を議会に届けるためである。
地域で目立つことが目的であっては本末転倒だ。
ましてや民主党の議員は小選挙区の議員ですら地元での生活実態がよく分からない議員が多いのが気になる。
こうした地域とちゃんと向き合ってない体質が、八ツ場ダムの場合では全面的に出でてしまったと見るべきだろう。
第二の民主党の欠陥は議論無視である。
9月24日付の読売新聞朝刊に地元の声をとして『中止はあまりに独裁的。理論も議論もない。』というものがあった。
民主党の体質をこれほど的確に表現した言葉は無いだろう。
そもそも民主党内で、党の方針や根幹の政策をきっちり議論してしまうと党自体をまとめることが極めて困難になる。
難しい問題の議論は避けるという体質がやはり八ツ場ダムのケースで出てしまったと思われる。
しかし、党内でならいくら独裁でもかまわないが、圧倒的多数を占めた国会の中で議論なし独裁では恐怖政治以外の何ものでもない。

何を今さら。マスコミの民主党批判(第312回)

今日は敬老の日ということで、朝刊各紙一斉に民主党の掲げる『後期高齢者医療制度廃止』への懸念を書きたてた。
マスコミこぞってあれほど後期高齢者医療制度を批判し、しかもテレビでは批判する市民のインタビューばかりを繰り返し繰り返し映像を流し続けたのに。
あまりに一方的な情報偏向に思えたし、そこには、なぜ従来の制度を変更せざるを得なかったのかという論点が完全に無視されていた。
今日の毎日新聞の社説はこう民主党を批判する。
『破綻寸前の国保を救済するために導入したのが後期高齢者医療制度なのだ。元に戻すだけでは根本的解決にはならない。』
『国保に入っていた世帯の75%が後期医療制度で保険料が下がった。再び保険料が上がれば不満が噴出するのは必至だ。』

さらに75歳という年齢による区切りについても『冷静に考えてみよう』として、機械的に年齢で区切ることはあってはならないとしながらも『病態や医療コストが異なることを踏まえて診療報酬などの制度変更を検討する余地は無いか。』という。
そして、『国民医療費34兆円のうち、75歳以上だけで10兆円を占める。75歳を過ぎると要介護高齢者の発生率が急激に高まるためで、長期入院患者の7割が75歳以上ともいう』と年齢の区切りの合理性まで論証して見せている。
これらはほとんどすべて我々が主張してきたことだ。
まったく、何を今さらと言うほかない。

大震災であまり知られていないこと(第311回)

角川ONEテーマ21新書の『差別と日本人』 のなかに阪神大震災であまり知られていない話がでてくる。
当時、自治大臣だった野中弘務氏の発言である。
(水道管がすべて壊れているので)『海の水を使えといった。海水を使うと、海水の塩分で消防車のポンプが一回でダメになるんですよ。だから海水は使わないというのが消防活動の基本だったんだが・・・・』
『一つの家の火を消すのに二トンの水が要るんですよ。ヘリ一機には0.4トンくらいしか積めない。しかも上から散水みたいなことをすると、ヘリの水の量でも生きている人を殺してしまう危険性もあった。だから市街地ではヘリを使わないのが基本なんです。』
『スイス犬が海外から援助にやってくるという話も弱った。世論が使えとやかましいが、犬一頭にドイツ語とフランス語の通訳を二人つけてくれ。おまけにお犬様と通訳が泊るところをつくれ、でしょ。人間が寝るところさえなくて、あの寒い中をテントで皆寝てるのにだよ。しかし、どうして海外からの援助を受け入れないのかというマスコミからの集中砲火と国民の世論の批判を浴びて、五頭だけは受け入れました。』
最後のスイス犬の話は、正直言って私は知らなかった。かなり注意深く報道をチェックしていたつもりだったが。