月別アーカイブ: 4月 2008

眼からうろこの町内会運動会(第194回)

防災まちづくり大賞を受賞した札幌市南区澄川地区連合会の大石昇司会長にお会いしました。
大石会長の話は、まさに眼からうろこでした。
町内会運動会は防災訓練そのものなのだそうです。
一定時間内にテントを張る訓練、命令や指揮系統の確認訓練、トランシーバーを使えば使い方訓練、炊き出しをやればそれもまた訓練、そして何よりも住民同士のコミュニケーションをはかる訓練なのだそうです。
確かにその通りです。
スライドを見せていただきましたが、運動会やよさ来いソーラン節の大会などなど様々な楽しいイベントを繰り広げながら、その根底には地域防災を常に考えながら大会運営をしているのです。
大変参考になりました。貴重なお話をありがとうございました。

稲作経営の難しさ(第193回)

現在、公明党千葉県本部は稲作農家に対するアンケート調査の最終分析に入っている。
私は直接タッチしていないので、先日、分析について私なりの意見を述べさせていただいたところである。
さてアンケート調査はともかくとして、稲作農業について農業政策を考えると正直なところ頭をかかえてしまう。
まず、われわれ日本人がどれだけ米を消費するかを真剣に考えなければならない。
かつては一人当たり120キロだった米の消費量は今ではおそらく60キロを切っているのではないか?
そして、さらに今後もじりじりと減り続けることは間違いない。
それは我が家の子どもたちを見ていればよく分かる。
信じられないくらいご飯を食べないのである。子どもらが食べるご飯と言えばほとんど寿司とおにぎりだけなのである。
しかもそれに加えて、少子高齢化と人口減による影響がある。
微かな希望の光は、さらなるバリエーションを考えればおにぎりが有望かもしれないと言う感じくらいだろうか。
稲作農家もこのコメ消費量の減少を所与のものと捉えなければならない。
また、現在の農業政策は大規模化に向かって突き進んでいる。
では、一人当たり何ヘクタールの経営になれば国際競争力がつくのだろうか? これはぜひ専門家に聞きたい点だ。
50ヘクタール?まさか100ヘクタール?それが可能なのだろうか?
そういったことを考えていくと、わが千葉県農業は野菜を中心にした素材そのものの勝負だけではなく、加工品に比重を置いた販売戦略が不可欠である。
いずれにせよ、農業問題はまさに全国民的な問題である。
生産者と行政だけではなくもっともっと消費者に議論に加わってもらわねばならない。

無欲社会(第192回)

一般論ではあるが、豊かな社会で育った子どもにハングリー精神(=欲)を持てと言ってもそれは難しい。
起業家にとって最も大事な資質が仮にハングリー精神だとすると、わが国の起業数があまりにも少ない原因が何となく分かる。
またそうでなくともわが国には極端に格差を嫌う風土がある。
格差を嫌うと言うことは競争を嫌うことでもある。これもまたハングリー精神(=欲)の乏しさを感じさせる現象である。
「社長の仕事はいかに社員にやる気を起こさせるかだ」とはよく聞く言葉ではあるが、ハングリー精神とは無縁の人たちに生産性をあげるための努力を強いるとそれが精神的に大きな負担になることは想像に難くない。
昨今の自殺の多さや精神失調の増加は「欲」のない社会のコインの裏表のような気がしてならないのである。

子育ては難しい(第191回)

私は小学校5、6年の頃からテレビをあまり見なくなった。
正確に言うと見ていたのは唯一、タイムトンネルだけだった。
中学、高校はテレビのないところに下宿していたので、見たといえるのは『木枯らし紋次郎』とNHKの『天と地と』だけだった。
その後もテレビを見る時間がなく、『おしん』も『北の国から』も一度も見ていない。
その私にして、夕飯時の子どもたちのテレビをやめさせることができなかった。
せめて一家団欒の夕餉くらいはテレビを消し、家族の会話の中で食事をしたかったと思う。
何が難しかったかと言うと、まず家族団らんが至難である。
私自身が帰って来れないし、そもそも家で食事ができるかどうか・・・・
子どもらも中学、高校ともなってしまうと部活などで帰宅も遅くなる。
日本の7割の家族はテレビを見ながら食事をするという。そしてそれは他の国ではせいぜい3割なのだという。
これはやはり国のありよう、国民生活のありようがおかしいのだと多くの人が感じなければならないのではないか。
テレビをつけていながら、そのうえさらに箸を投げ出してDSをぴこぴこいじくっている子どもの姿は異常を通り越して怖いとさえ思うのである。

日本のスーパーレディー逝く(第190回)

中西珠子さんのお通夜に参列した。
中西さんはILOで活躍したのち、公明党国民会議のお一人として参議院議員になられた。
ちょうど私が参議院議員の秘書だった時代と重なる。
親しくお話をする機会はなかったが、お人柄の良さはよくわかった。
そして何よりも女性の地位向上に徹底して取組まれていた。
男女共同参画の礎を築いたのは間違いなく中西さんであるし、一緒に戦えた参議院公明党の誇りでもある。
我が家の第一子が誕生したのは昭和60年のことだ。
私は松戸市内の病院から生まれたばかりの長女を抱いて帰った。
いつしか粉雪が舞い始めていた。
私は腕の中の赤ん坊を見ながら「この子が社会人になる頃には日本の社会は男女同権が実現しているのだろうな」と思った。
ところが、この子が大学を卒業する本年(2008年)にして、この国の男女同権が遅々として進んでいないことに愕然とする。
中西さんのお通夜の席上、お孫さんがこういう話をしていた。
「『女の子が社会で活躍するためには資格を取りなさい。』そう、おばあちゃんに言われました。おばあちゃんに励まされて公認会計士の資格を取ることができました。」
資格を取ることは素晴らしいことではあるけれども、たとえ資格がなくとも女性が男性なみに活躍できるようにならなければ、日本の未来は暗いのである。