Monthly Archives: 6月 2007

ミニ公募債に思う

夕張以前と以後で自治体に対する見方は変わったのだろうか?
もちろん夕張の財政再建団体への転落以前から自治体も破産することは分かっていた。
しかし、自治体の破産とは民間企業のそれとは大きく異なり、自治体そのものがなくなってしまうわけではない。
仮に吸収に近い合併であったとしても、その自治体の債務は引き継がれる。
すると、やはり地方債と言うのは社債などよりよほど安全性が高い。
シンジケート団による地方債引き受けであるなら、「破綻した自治体の債務は必ず引き継がれる」で違和感はなかったが、たとえば公募債についても同じことが言えるだろうか?
これはやはり公募に応じた側の責任は問われるべきだろう。
都道府県が破綻するということはまずないだろうからこの問題は表面化しにくい。
しかし、住民参加型ミニ公募債が認められ群馬県が県立病院の設備整備に公募債を発行してからすでに6年経つのである。
われわれはそろそろ二つのことを強く意識すべきだ。
一つは何らかの事情により、その自治体が財政的に苦境に陥ったときにはミニ公募債とは言え相応のリスクを負うと言うこと。
もう一つは、ミニ公募債を発行する以上、現状よりも遥かに進んだ形の情報公開をしなければならないこと、そして夕張のような粉飾決算が発覚した場合、長は相応の法律的責任を負うこと。
この二つが満たされなければミニ公募債を発行する資格はないというべきである。
ミニ公募債を買う側の意識は、果たして夕張以前と以後で変わったのだろうか?

『税源移譲』に最低限望むこと

税源移譲が行なわれ、かつ定率減税の廃止もあり6月初めに市民税課に市民が殺到した。また電話も鳴りっ放しだったと言う。
それでも昨年の定率減税の2分の1の措置のときよりは混乱はなかったと言う。
市役所側の説明が良かったのかもしれないし、昨年に続いての措置であったので市民の皆さんもやむを得ず納得したのかもしれない。
意地悪に言えば、社会保険庁への苦情の方が市役所に向けられるものよりも大きかったのかもしれない。
定率減税の問題がなければ、税源移譲は国税から地方税への徴収先の移動であり金額は変わらない。
しかし、ここに大きな問題がある。
たとえば2006年には所得税が課税されていた方で、2007年には所得税が課税されない程度の所得しかなかった方については、所得税減税の恩典は受けられず、ただただ住民税のアップ分だけ支払うことになるからである。
ちょうどこのとき退職された方や退職とは関係なく何らかの事情で所得が低くなった方が該当する。
このケースについては、2007年度分の住民税を税源移譲前の税率を適用するという経過措置がとられている。
しかしながら、この適用を受ける場合は2008年7月に申告しなければならないのである。
果たして、皆さんがきちんと申告するだろうか?
何割かの人は知らずに申告せずに終わってしまうのではないか?
そこで、最低限のお願いとして、該当する人たちに対して「「申告すると税の還付がある」 と言う通知を出して欲しいのである。

日本の13倍(?)医療先進国アメリカ

中野次郎著「患者漂流?もうあなたは病気になれない」 (祥伝社新書)は、読むほどに心が暗くなる本だ。医療先進国アメリカと医療後進国ニッポンのあまりの差が、いちいちもっともで反論できないのがその原因である。
本書によれば、医療を学ぶアメリカの学生で、日本の医学部生のように授業中の居眠り、私語、ケータイメールを打つことはありえないという。
アメリカでは一般大学を優秀な成績で卒業して初めて医学部や医科大学へ進学する資格を得るのだという。
そして、卒業した大学の学長推薦、牧師からの人間として優れている言う推薦、現職の医師からの医師として適格であるという推薦の3つが必要で、その上で相当難しい試験が課されて初めて入学が許される。
すでに医師になろうという覚悟を持つ出発点から相当な差がある。入学してからも2年次終了で医師国家試験(基礎医学)に合格しないと3年次へ進めない。3年次、4年次では100人の学生がいれば3年次の教官は少なくとも50人、4年次の教官は200人いるという。
昔、広島東洋カープにホプキンスというホームランバッターがいたが、彼は帰国後に医師になったと聞いた。そして広島入団のとき医師になるために今野球をやっているというような発言があったと記憶している。彼もまた米国流のエリート中のエリートだったわけである。
一方、アメリカは訴訟社会であり、ここまで徹底して学ばないと何か事故があれば、医療過誤として大変な責任を問われてしまうという事情もあるに違いない。
本書により、日本の医療に対する見方がずいぶんと変わってしまったというのが実感である。
先日、「医師不足」を訴えるNPO法人医療制度研究会の本田宏先生から「日本の出産費30万円、アメリカの出産費400万円」と伺った。そのときはそんなに差があるのかという単純な驚きであったが、本書読了後はこの13倍超の差 がすんなりと納得できた。
医師の技量、看護レベルの水準、医学教育の質的向上などのどれか一つでもアメリカの水準に追いつくことができるだろうか?
日本の医療界の改革というよりも、日本社会のシステムを変えなければならないという問題に帰着する。
考えれば考えるほど心は暗くなるのであるが、決してあきらめず、ともかく前へ進むしかないのである。

消えた年金番号5000万件

テレビも新聞も連日のように宙に浮いた基礎年金番号を報じている。
自民は、基礎年金番号導入決定時の厚生大臣は菅直人氏であるというチラシを撒き、民主は導入時の厚生大臣は小泉純一郎氏だと反論する。
ここまで来ると泥仕合も極まれりという感がある。
厚生大臣が菅氏であろうと、はたまた小泉氏であろうと、要するに当時は自・社・さ政権であったことは記憶にとどめておく必要があろう。
さて、当時の厚生大臣であった菅氏が、仮に官僚の作文を読んでいたとしても当時どういう発言をしていたかは検証しておく必要がある。
平成8年2月29日の衆議院予算委員会第4分科会で菅大臣は次のように発言している。
「年金制度の適正で効率的な運用と行政サービスの向上を図るため、平成9年1月より公的年金番号を共通化した基礎年金番号を導入することとしております。」
つまり基礎年金番号の導入は適正で効率的な運用が目的だったわけである。
そして、その1ヵ月後の3月25日の衆議院厚生委員会ではこう答弁している。
「基礎年金番号の導入を図ることとしておりますが、これが実現すれば、より根本的、効率的な未加入者対策ができるようになる、このように考えております。」
菅氏には気の毒なほどこの発言はまるっきり的外れである。
さらにその1ヵ月後、4月25日の本会議では自・社・さ各党を代表して横光克彦氏(発言当時は社民党、現在は民主党)が菅氏に対しての質問のなかでこう述べる。
「基礎年金番号の導入は、先ほど述べました国民年金の空洞化を防ぐ一つの方策になると考えております。これにより、国民年金への加入状況の正確な把握が可能となり、未加入者の発生防止に役立つと思われるからであります。」
この発言の「国民年金の加入状況の正確な把握が可能になり」ということもとんでもない間違いだったことを横光氏も自・社・さ各党を代表して認めるしかないだろう。
こうしてみていくと、民主の批判も自民の主張も、10年前に仲間だった者たちの仲間割れに思えてくる。
この論争がこの先どこまで続くのか、どういう形になっていくのか想像もできないが、少なくともこうしたやり取りを続けていけば、両党とも国民不在という最悪の批判を受けることになろう。