月別アーカイブ: 7月 2012

どこにも行かない夏休み

子どもの頃、夏休みといってもどこにも行きませんでしたし、もちろん親もどこにも連れて行ってくれませんでした。
そもそも家族旅行というものがあり得ない、考えられない時代(?)であり社会状況だったように思います。
近所の遊び仲間が、「どこそこの親戚のうちへ行く」というと、仲間がいなくなるさびしさや遊べない退屈さは嫌でしたが、うらやましいという感情はありませんでした。
夏の海水浴へ行く子どもは結構いましたが、冬のスキーに行く子どもはごくごく少数派で、年間通してどこにも行かない私のような子どももさほど少なくなかったのだと思います。
そうであったからこそ、中学に上がると私は全国一人旅に飛び出しました。鉄道駅の軒先やバスの待合室で寝たり休ませてもらいながら貧乏旅行をするのです。
中学2年の夏は、佐渡へ渡り、新潟から妙高高原を回り信州へ入り、最後だけは軽井沢のユースホステルでゆっくり寝不足を解消して帰宅しました。
その間、佐渡汽船で初めての船酔いを経験したり、豪雨で靴の中までぐしょ濡れになって震えたり、いろいろなトラブルがあり、やはり一人旅の拓大空手部の学生に救ってもらったり、金町の女子大生の二人旅と知りあって旅先の情報交換をしたり、いろいろな経験ができたものです。
中学3年からは山登りにはまってしまいましたので、人と交流するよりも常に孤独に耐える方向へ進んでしまいましたが・・・
さて、それに対して今の子どもたちは家族旅行は当たり前?でしょうし、夏休みはどこかへ連れて行ってもらえることと思います。
そのせいか、我が家の子どもたちを見ても破天荒な冒険心が失せているように思います。
親として、やはり心配するという過保護的な心情はあるのですが、それでももう少し『ワイルド』に生きてもいいような気がします。

予防社会、予防時代

世は、間違いなく『予防』の時代であり、目指すべきは『予防社会』のように思います。
医療の分野で『予防医学』が言われ始めたのは、もう相当古くからですし、介護の分野でも『予防介護』、そして災害対策の分野においても『減災』ということが盛んに言われ始めています。
7月24日に切り抜いた新聞記事に『震源遠くても子の心に傷』(日経新聞)というものがありました。
記事によれば、『2008年の中国・四川大地震では震源から遠く被害が比較的小さかった地域でも、専門家による精神的な支援がほとんど受けられなかった農村では多くの子どもが長期にわたり心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされていた』とのことです。
そこで、こうしたストレスなど精神的な分野にも『予防』という対処ができないかということを考えなければと思うのです。
名古屋大学減災連携研究センターで、まさにこの分野に取り組んでいる窪田先生のお話を伺いました。
お話を伺いながら、防災教育に取り入れていく重要性は当然として、それのみならず自分の精神状態をコントロールするということは日常的なあらゆる面において大事なことだとあらためて痛感しました。
中学3年の時に、一人で北関東の山に登っていて台風接近と遭遇し、岩壁の途中で立ち往生してしまったことがあります。
天候は悪化してくる。霧がどんどん深くなり、風も強くなってくる。もちろん人っ子一人いない岩場の真ん中でパニックに陥りそうになりました。
そうならないように意識しながら、緩んでもいない靴ひもをゆっくりゆっくり時間をかけて結びなおしたことを思い出しました。
20歳になってから同じような窮地に追い込まれたときは、タバコなどを吸ったりしました。
そのような心理的な(タバコを使わない)自己コントロールの訓練はやはり大事だし、十分『予防』足り得ると思いました。
研究は途上でしょうが、被災者への心理的なケア不足が深刻な影響を与えないようにこの分野の研究がますます進むことを願ってやみません。

3・3・7号線に関連した事故の懸念

昨日、松戸市道づくり課の方から連絡があり、3・3・7号線開通間近と伺いました。9月28日が開通予定だそうです。
幸谷の坂の上は、連日工事渋滞で我が家のすぐ前まで車が連なっています。渋滞といっても都内の幹線とは程度が違いますが、工事関係者も猛暑の中で大変なことでしょう。
さて、車の渋滞が常態になると、運転者は必ず抜け道を探します。この場合は、清志町から新松戸1丁目か新松戸東へ抜けるルートとなります。
新松戸東へ抜けるルートは、マツモトキヨシ本社ビルの脇で3・3・7号に出ることになります。
この3・3・7号線の飛び出す交差点部分が非常に危険なのです。
逆に3・3・7号線からこの脇道へ入ってくる車がかなり多くて、スピードが乗った状態で入ってくるのです。事故が起きなければよいと本当に思います。
工事はいずれ終わります。問題は、工事が終わったとしても運転者はこのマツモトキヨシ本社ビル脇の道を使うのではないかという懸念です。
幸谷の坂上で3・3・7号線と交差する部分に右折ラインがない以上、おそらく坂上はある程度渋滞せざるを得ないでしょう。
すると新松戸東の事故が増えるのでは・・・と心配になるのです。

災害時帰宅支援ステーションマーク

昨日、帰宅困難対策の体験として、上野駅から東向島まで歩いてみました。
これで前回の江戸川の新葛飾橋から東向島へ歩いた部分とつながって、ようやく松戸ー上野間を歩いたことになります。
今回は、距離はそれほどでもなかったので、妻もカメラ撮影協力で一緒に歩いてもらいましたが、さすがに炎天下でしたので帰宅後少し具合を悪くしてしまいました。
上野駅を出ますと、まず首都高速の高架があります。阪神淡路大震災ではあの倒れた高速道路の橋脚が強烈な印象として多くの方も覚えておられるかと思います。ここは大丈夫なのでしょうか?
隅田川へ出るルートもいくつかあります。浅草通り、合羽橋本通り、言問通り、そのほか細かな道が数多くあります。その時の一番安全と思われるルートを選ぶことになるわけですが、今回は言問通りを歩きました。
いろいろなことを考えながら、過去の事例を振り返りながら、どうすれば安全に歩けるかなどを自分なりに考えてみました。歩く格好も持ち物も非常に大事です。いずれ議会で様々な提案をしてまいりたいと思います。
その中で気づいたことの一つは、災害時帰宅支援ステーションのマークの大きさです。少し小さいかなと思います。
意識のある方だけはわかるでしょうが、そうでない方に知ってもらってこそと思うのです。実際の大きさが分かるように写真をアップしておきます。

帰宅困難者レポートその1

帰宅困難者対策の実際を調査すべく、今日は第1段として東向島・金町間を歩きました。
正確には、葛飾区金町の江戸川土手から曳舟駅までです。
写真を撮ったり、メモを取ったりしながらでしたので、歩行時間は計測していません。
実際に歩いてみると机上では絶対に気が付かない様々なことが分かりました。
その内容は、次々回の議会までに徹底検証し考察をまとめたいと思います。
さて、歩いたいでたちは、まず帽子。夏の直射日光ばかりでなく、火災の火の粉もあるでしょうし、頭を守るのは基本中の基本です。
軍手。何かを触ったり、物をどける時にけがをする可能性が高く、素手ではけがが致命傷になりかねません。
ヘッドランプ。懐中電灯よりもお奨めです。新聞紙や週刊誌も防寒や身を守るのに使えます。
水のペットボトルも必ず用意しておきましょう。手ぬぐいやタオル。これらの使い道は多種多様あります。
そしてそれらを入れるザック。今は安いデイパックがいろいろあります。
さらに、私は濡れてはまずいものをタッパウェアーに入れてます。
たとえば、電池、ライター、マッチ、携帯の充電器、ポケットティッシュ、ばんそうこうなどなど。
さすがに3時間も歩いていると疲れてきます。すると、椅子がほしくなります。
道路の向こう側に家具屋さんがあり、椅子が並べてあります。「ああ、なんともったいない・・・」
近いうちに今日の続きを歩いてみたいと思います。