月別アーカイブ: 12月 2010

政治は利害調整というが(第457回)

政治の果たすべき役割の主要な一つに利害調整がある。
たとえばお隣の韓国では口蹄疫が猛威をふるっている。
わが国の畜産家、酪農家にしてみれば、韓国からの入国者を厳しくチェックしてほしいと思う。
一方、観光産業の人にしてみれば入国時にあまり厳しいチェックをされると観光客が逃げてしまうと懸念する。
どちらも正しい見方であり自然な考え方である。
では、どうするかと結論を出すのが『政治』ということになる。
このケースは同時代に生きている人たちの間の利害調整だ。
ところが、本当に難しい利害調整は、実は時代を異にする人たちの間に大きく横たわっているのである。
政治は、こうした世代間の利害調整まで責任を負うのだろうか?
もし仮に、現在の政治が将来世代についても責任を負うのだと考えているなら、日本はこれほど膨大な借金を抱えているはずがない。
これから生まれてくる世代には当然選挙権はない。だから将来世代などどうでもいいのだというのが現在政治の結論としか考えられない。
果たしてそれで良いのであろうか。
少なくとも『年金』という制度は、どこまでも持続性が求められる制度である。
わが国の年金制度は賦課方式といって、現役世代が引退世代の年金支給額を支払う仕組みである。
引退世代の年金は現役世代に負担させ、現役世代の年金は将来世代に負担させる。
にもかかわらず、政治は将来世代などどうでもいいなどと罰当たりなことが言えるのだろうか?
もしかしたら、将来世代へツケを回すような国民は、実は『年金』というエレガント(?)な制度を持つ資格がなかったのではないか。
言いかえれば、将来世代へ順繰りに負担をまわして行く『年金』という制度を持った以上、(建設国債ではなく)赤字国債の発行は実は許されなかったのではないか。
仮にも、『年金制度』を維持していこうというのなら国債発行に厳しい歯止めをかける覚悟をもつ べきだったのではないか。
そんな気がしてならないのである。
しかし、現実的には賦課方式の年金制度を持ち、そのうえ赤字国債を歯止めなく発行し、そのうえ将来世代のことは何も考えていない。
考えているのは、いかに自らの政権を維持するか。
その一点を至上命題として党内抗争に今日も明け暮れるのである。

どうする!シャッター通り(第456回)

シャッター通りをなくすにはどうしたら良いのか?
ある識者は論じる。
「固定資産税が安すぎるのだ。固定資産税が高ければシャッターを閉めておくわけにはいかない。」
「自分で営業できなければ、営業できる能力をもった人に貸さざるをえなくなる。」
私はそうは思わない。
そんな単純な話であれば、これほどまでに全国すべてにシャッター通りが増え続けるはずがない。
ましてや駅前一等地が軒並み苦戦という状況になるはずがない。
なぜ発展するのが郊外なのか?
なぜ衰退するのが中心市街地なのか?
やはり車の進入を許したからであろう。
それほど日本は人よりも車が大事な国になってしまった。
ここまで事態が進んでしまうと街づくりをしなおすのは容易ではない。
しかし、急速に高齢化が進展するわが国では自家用車を運転できない人が増えるのは必至だ。
車を手離した人にとって使い勝手の良い街を作らねばならない。
中心市街地活性化の法的基盤はようやく整った。
次は環状道路を作り、中心市街地へ過剰な車を入れない方策が必要だ。
外環道の整備も必要だ。圏央道も必要だろう。
そうした環状道路が整備されていない先進国の都市はわが国だけという現実を直視しなければならない。
こうした観点から、コンパクトシティをどうつくっていくかを考えねばならないのだと思う。
$ふじい弘之 オフィシャルブログ「レポートブログアメーバ版」-圏央道
(圏央道建設促進県民会議にて)

二重に断たれた継続性(第455回)

民主党政権の特徴を一言で言えば『継続性の切断』 である。
民主党は政策の継続性をことごとく断ち切った。それも二重の意味で切断した。
第一に、自公政権からの政策の継続性を断ち切った。
政策の善し悪しという判断からではなく、これまでの政策はすべてやらないとばかりに断ち切った。
第二に、民主党の打ち出したマニフェストを自ら断ち切った。
愚かなことに、民主党は「子ども手当の2万6000円支給」を打ち出したはいいが結局実現できない。
少子化対策は1年2年で出来るものではない。
子どもを育てるには、20年という期間が必要だ。
1万3000円のままなのか2万6000円になるのか、はたまた1万3000円も腰砕けになるのか猫の眼のように方針が変わる。
それも、最初は国が自らの責任で支給するとしていたのが、やっぱり出来ないと言いだし、結局地方へ負担を押し付けてきた。
農家へのコメの戸別所得補償も5600億円である。
コメの生産額は1兆7000億円ほどなので、実に生産額の3分の1の金額である。
このうえで野菜にも水産物にも戸別補償を導入するとしている。
これを素直に信じる人はいないだろう。むしろコメの戸別所得補償すらもこの先続くのか不安になる。
将来の不安を抱えて担い手が出現するはずもない。
高速道路の料金無料化もどこかへ行ってしまった。
普天間基地の県外移転もどこかへ行ってしまった。
企業・団体献金の禁止もどこかへ行ってしまった。
振り返ってみると鳩山政権も菅政権も、外交においても内政においてもことごとく場当たり的なのだ。
マニフェストが信じられない国民、公約が信じられない国民、政策が信じられない国民に政府が信じられるはずがない。
政策から継続性が失われたら、そんなものを誰が信じるだろうか。

どうなってしまうのか!松戸市立病院(第454回)

12月2日に開催された松戸市立病院建替計画検討委員会の内容が伝わってきた。
植村研一病院事業管理者は「最低でも575床の病床をフル回転しなければ赤字になる」というのである。
575床をフル回転ということはやはり600床なければ赤字だということである。
これを受けて毎日新聞は『現有600床規模維持案が最有力』、朝日新聞は『建て替えは610床案』、読売新聞は『病床610床案に絞る』と報じた。
これで、本郷谷市長が公約としていた450床案は瓦解したと同時に「600床では赤字になる」という選挙時の主張は嘘だったことが明確になった。
建設費についても地下駐車場の工事費用は含めずにA案110億円、B案120億円、C案135億円である。
赤字にしないために600床のC案を採用するとすると総建設費は160億円かかる(千葉日報)という。
本郷谷氏が言っていた『64億円』という数字はどこに消えてしまったのだろうか?
また、工期についても6年から6年半が必要で、地下駐車場をつくるとさらに1年延びるという。
本郷谷氏の主張していた『2年半』の3倍である。
どれ一つとして本郷谷氏の主張とはかけ離れたものばかりだ。
さらに各紙は『工事期間中は病床数を大幅に減らさざるをえず、収入減が見込まれる』(朝日)
『その期間の騒音や安全対策などが心配』(千葉日報)など懸念材料を報じている。
本郷谷氏の主張していた「現地建て替え」案が不可能だという結論を出すために検討しているような気がしてならないのである。

都県境の「ひったくり」(第453回)

平成18年から松戸市の「ひったくり」件数をみてみるとやはり減少している。
平成18年456件、平成19年411件、平成20年338件、平成21年355件である。
今年は10月までの数字で、186件。昨年は10月までで312件だったので昨年と比べても4割減ということになる。
これまでワースト1位だった松戸市において「ひったくり」を減らすことが出来た。
平成18年12月議会での私の質問の成果が出た形になっているのがうれしい。
これだけ「ひったくり」を減らせた要因は、県警が徹底してバイクパトロールを強化したこともさることながら地域の皆さんのボランティアによる青色パトロールカーの運行、そして町会などでの注意喚起のキャンペーンの賜物だと思う。
やはり地域住民と警察が協力 すると大きな力となる。
しかし、本当のところ「ひったくり」は全体として減っているのだろうか?
実は、柏市でかなり増えていることが気になるのだ。
さらに、松戸市のような都県境においてはお隣の東京都で増えている可能性がある。
都県境はあくまで行政上の都合で線引きがされているにすぎない。
「ひったくり」に限らず、犯罪抑止には、やはり東京・千葉両都県がどう協力体制を組むかが大事だ。
さて、同じ警察の統計であるのに、埼玉県警のホームページには市町村別、犯罪別の数字が出ていない。
調べてもらったところ、本年1月から10月までで、三郷市が16件、吉川市が44件なのでそれほど多くはない。
東京(警視庁)のホームページにも出ていないのだが、こちらは市区町村別の犯罪総数とそれぞれの犯罪の割合は出ている。
計算してみると葛飾区123件、江戸川区119件である。
しかし、東京都の数字が少し小さいのが気になる。人口規模に比して千葉県の主要都市よりもずいぶん少ない。
大体、全国のワースト1位を大阪府と千葉県が争っているという構図からしておかしい気がする。
なぜ東京都ではないのだろう?
実は、ある情報によると自転車の籠のバッグが取られた場合、千葉県では「ひったくり」とカウントし、東京都では「その他」でカウントしているというのだ。
純粋に「ひったくら」れたケースのみを東京都では「ひったくり」としているというのである。
もし、そうだとすれば犯罪統計による比較そのものが無意味ということになる。
犯罪統計についても統一するという協力体制を組みたいものである。