月別アーカイブ: 12月 2010

祭は「賀茂」。まつりごとは?(第467回)

昨年夏の衆議院選挙は忘れられない原点になった。
私たちにとっては、それほど厳しい結果だった。
一方の民主党はまさに『してやったり!』だったろう。
『ミスター年金』長妻氏が厚生労働相として初入閣の時のことが鮮やかに思い出される。
氏は、マニフェストを片手に掲げながら訓示を行った。
「これが、国民との契約書、国民からの命令書だ!」
ここまで言い切った人たちが平気でマニフェストを無視するのである。
それも一つや二つではない。ほとんどがマニフェスト違反なのである。
そんな馬鹿なことが許されてよいのかと思う。
ここまで言い切ったのなら、せめて責任をとって民主党執行部も内閣も総辞職するべきであろう。
こうした、あまりにもひどい仕打ちに会うと私は高校時代に勉強した古文の授業を思い出す。
むかし、政治は『まつりごと』と言った。
それは、政治と祭りが区別されていなかった時代が長く続いたからである。
そして、古典の常識として『祭』と言えば『賀茂』である。
それほど京都の賀茂神社の祭りは盛大だったのだろう。
そして今、国民は民主党政治の『カモ』にされている気がするのである。

情報流出時代のインターネット選挙(第466回)

今朝の各紙は、「警視庁の内部文書と見られる国際テロの捜査情報がインターネットに流出した事件で、警視庁は23日までに、流出した捜査情報が内部文書である可能性が高いことを認める方針を固めた」(日本経済新聞12月24日朝刊)と報じた。
実際問題として、警視庁が認めようと認めまいと『世間』が認めてしまえばどうにもならない。
ウィキリークスの出現も含めネット社会の情報管理は至難の業である。
ネットと情報についての私の問題意識は『公安情報流出に思う』(11月5日の『ふじいの独り言』)にも書いたので、ぜひ一度ご覧いただきたい。
今後の組織の在り方を考えれば、少なくとも治安や国防にかかわる部門においては『ログの管理』が必至であろう。
すると、第一の問題として治安や国防以外の民生部門にも『ログの管理』が進展し、情報管理の厳格さがますます社会を息苦しくするという問題が生じる。
現代はストレス社会と言われるが、ネット社会は過去の長閑な時代への後戻りを許すことはないことだろう。
第二に、どれだけ情報を管理しても人間社会のことゆえ、100%情報流出を防げるかと言えばそれは無理な話だ。
すると、情報流出自体を逆手にとって、偽情報をまことしやかに流すという常套手段が頻繁に使われる。
つまり、情報そのものが混とんとする社会になるだろう。
何が正しくて、何が間違っているか?
何が正しくて、何が嘘か?
ごく普通の社会生活を営む人には、情報の価値を判別することが不可能になる時代が来る。
中古の日本社会には陰陽師(最も有名なのは安倍晴明)という名の公務員がいて、指の爪を切る日まで教えていた。
いずれ情報の正邪を見分ける「情報判別士」なる職業が誕生しないとも限らず、中古の人々を批評する資格もない。
その問題の中心にある『ネット情報』が、近い将来、選挙運動にも使用される動きである。
信頼を失いつつある政治がインターネット解禁によって信頼を取り戻すのはやはり無理と言わざるを得ない。
政治の世界も偽物の時代へ加速度を増して行く気がしてならないのである。

何としても守りたい『松戸市立病院』(第465回)

松戸市立病院が開院したのは昭和25年11月25日のことである。
所在地は小山浅間台705だというので、今の第二中学校の隣接だろうか?
昭和42年に『国保松戸市立病院』となったとされているので、現在の地に移転したのだろう。
その後、昭和58年には小児医療センターが完成し、小児救急の重要拠点となった。
松戸市はもとより東京や茨城からも難しい小児治療に搬送されてくる小さな患者さんがいる。
掌に乗るほどの赤ちゃんを救うことができるのだ。
そんな現場に立ち会うと何としてもこの病院は守らねばならないと決意を新たにする。
昭和60年には第三次救命救急センターの指定を受け、平成8年には災害拠点病院の指定も受けた。
平成20年2月8日には、『地域がん診療連携拠点病院』の指定を受けたが、この指定にあたりわずかばかりではあったが私自身がお手伝いできたことはひそかな誇りである。
この病院は何としても守りたい。
今後の少子高齢社会にあっては、医療ニーズは高まりこそすれ低くなることは考えられない。
おそらく今後は医療サービスを提供できない地域には人が住まなくなるだろう。
もしかしたら、地域によっては医療サービス提供機関の近くにお年寄りに住んでもらうような『集住』制度を導入することになるかもしれないとすら思う。
今の市長が主張する病床3分の1減という案で本当に市民の健康や命を守ることができるのか疑問と不安を覚える。
現在行われている検討委員会では市民のための観点から正しい判断をして欲しいと切に願うものである。

女性専用外来と公明党(第464回)

女性専用外来について、公明党が果たしてきた役割について意外と知られていない。
過大評価も過小評価もあるので、私の認識していることを記述してみたい。
わが国で最初の女性専用外来は鹿児島大学に開設された。
2001年、平成13年5月のことである。
その4ヶ月後の9月に千葉県立東金病院に女性専用外来が開設されるのだが、これは当時の堂本暁子知事の選挙公約でもあった。
その年の12月23日に公明新聞の投稿記事に『女性が診察を受けやすい病院があれば』という意見が掲載される。
それを見た大阪市議会の松原恵子議員がその通りだと思い、翌年3月議会で公明党は女性専用外来設置を訴える。
その夏(7月)、千葉県議会公明党の山崎豊子議員が党代表代行の浜四津敏子参議院議員に東金病院の視察を要請する。
その年2002年11月の公明党全国大会で女性専用外来の開設推進を重点政策に採択。
翌2003年2月に松戸市立病院に女性専用外来が開設される。
こういう流れである。まさにネットワーク政党・公明党の面目躍如である。
良いものは良いとすぐに実現に動く公明党の真価が発揮された一連の成果であった。
これからもこうした良き伝統は守り抜いていきたい。
良き提言、アイデアがあればぜひお寄せください。
2001年5月鹿児島大学に女性専用外来開設
2001年9月千葉県立東金病院に女性専用外来開設
2001年12月公明新聞に投稿記事
2002年3月大阪市議会で公明党女性議員が質問
2002年7月浜四津敏子代表代行が東金病院視察
2002年10月大阪市立十三市民病院に女性専用外来開設
2002年11月女性専用外来が党重点政策に
2003年2月松戸市立病院に女性専用外来開設

未だ行方不明の『後期高齢者医療』(第463回)

12月21日、読売新聞は『「後期高齢者」13年に廃止』と見出しを打った。
厚労相が主宰する「高齢者医療制度改革会議」が最終案をまとめたというのである。
この案によれば、後期高齢者医療制度を13年2月末に廃止し、年齢区分のない新制度を3月から導入するのだという。
ところが、同じ日の日経新聞の見出しは『高齢者医療法案 先送りも』なのである。
日経の記事を読むと、高齢者医療制度改革会議の最終案は実は孤立無援なのだという。
連合や日本経団連などの関係団体は「現役世代の保険料はすでに限界に近い」
民主党ワーキングチームは「統一選を前に高齢者に負担を求めるのは難しい」
全国知事会は「高齢者医療の運営を引き受けられない。反対の方向」
民主党のマニフェストに『後期高齢者医療制度を廃止する』とあるから、改革会議は無理やり最終案をまとめたのだ。
それを各界各層が反対するのはともかくとして、当の民主党が反対するのはあんまりというものだ。
改革会議の立つ瀬がないし、天に唾する行為に見える。
結局のところ、後期高齢者医療制度はどうなってしまうのか、皆目見当がつかない。
読売の記事と日経の記事との180度異なるニュアンスの違いがまさに後期高齢者医療制度の民主党内の混迷を象徴していると言える。
しかし、そんななかでもひとつだけ見えてきたことがある。
それは、民主党の後期高齢者医療制度改革ワーキングチームの主張「統一地方選前に高齢者に負担を求めるのは難しい」である。
これは『統一選後には高齢者に負担を求める』と言っているに等しい。
後期高齢者制度の導入により、ほとんどの高齢者の保険料は安くなったのだが、統一選の終わるのを待って民主党は値上げを狙っているわけである。
つまり、制度がどうなるかはまるで分からないのに、保険料の値上げだけはやるということである。
マニフェストには『制度の廃止』は記されていたが、『値上げ』などどこにも記されていなかった はずなのに。