日別アーカイブ: 2012年7月29日

どこにも行かない夏休み

子どもの頃、夏休みといってもどこにも行きませんでしたし、もちろん親もどこにも連れて行ってくれませんでした。
そもそも家族旅行というものがあり得ない、考えられない時代(?)であり社会状況だったように思います。
近所の遊び仲間が、「どこそこの親戚のうちへ行く」というと、仲間がいなくなるさびしさや遊べない退屈さは嫌でしたが、うらやましいという感情はありませんでした。
夏の海水浴へ行く子どもは結構いましたが、冬のスキーに行く子どもはごくごく少数派で、年間通してどこにも行かない私のような子どももさほど少なくなかったのだと思います。
そうであったからこそ、中学に上がると私は全国一人旅に飛び出しました。鉄道駅の軒先やバスの待合室で寝たり休ませてもらいながら貧乏旅行をするのです。
中学2年の夏は、佐渡へ渡り、新潟から妙高高原を回り信州へ入り、最後だけは軽井沢のユースホステルでゆっくり寝不足を解消して帰宅しました。
その間、佐渡汽船で初めての船酔いを経験したり、豪雨で靴の中までぐしょ濡れになって震えたり、いろいろなトラブルがあり、やはり一人旅の拓大空手部の学生に救ってもらったり、金町の女子大生の二人旅と知りあって旅先の情報交換をしたり、いろいろな経験ができたものです。
中学3年からは山登りにはまってしまいましたので、人と交流するよりも常に孤独に耐える方向へ進んでしまいましたが・・・
さて、それに対して今の子どもたちは家族旅行は当たり前?でしょうし、夏休みはどこかへ連れて行ってもらえることと思います。
そのせいか、我が家の子どもたちを見ても破天荒な冒険心が失せているように思います。
親として、やはり心配するという過保護的な心情はあるのですが、それでももう少し『ワイルド』に生きてもいいような気がします。

予防社会、予防時代

世は、間違いなく『予防』の時代であり、目指すべきは『予防社会』のように思います。
医療の分野で『予防医学』が言われ始めたのは、もう相当古くからですし、介護の分野でも『予防介護』、そして災害対策の分野においても『減災』ということが盛んに言われ始めています。
7月24日に切り抜いた新聞記事に『震源遠くても子の心に傷』(日経新聞)というものがありました。
記事によれば、『2008年の中国・四川大地震では震源から遠く被害が比較的小さかった地域でも、専門家による精神的な支援がほとんど受けられなかった農村では多くの子どもが長期にわたり心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされていた』とのことです。
そこで、こうしたストレスなど精神的な分野にも『予防』という対処ができないかということを考えなければと思うのです。
名古屋大学減災連携研究センターで、まさにこの分野に取り組んでいる窪田先生のお話を伺いました。
お話を伺いながら、防災教育に取り入れていく重要性は当然として、それのみならず自分の精神状態をコントロールするということは日常的なあらゆる面において大事なことだとあらためて痛感しました。
中学3年の時に、一人で北関東の山に登っていて台風接近と遭遇し、岩壁の途中で立ち往生してしまったことがあります。
天候は悪化してくる。霧がどんどん深くなり、風も強くなってくる。もちろん人っ子一人いない岩場の真ん中でパニックに陥りそうになりました。
そうならないように意識しながら、緩んでもいない靴ひもをゆっくりゆっくり時間をかけて結びなおしたことを思い出しました。
20歳になってから同じような窮地に追い込まれたときは、タバコなどを吸ったりしました。
そのような心理的な(タバコを使わない)自己コントロールの訓練はやはり大事だし、十分『予防』足り得ると思いました。
研究は途上でしょうが、被災者への心理的なケア不足が深刻な影響を与えないようにこの分野の研究がますます進むことを願ってやみません。