日別アーカイブ: 2012年7月7日

田渕隆三作品展オープニング

田渕先生の作品展オープニングに参加させてもらいました。
日中友好40周年記念という佳節でもあり、中国天津でも開催されている作品展の「日本会場版」です。
お祝いに中国大使館の参事官や三浦雄一郎氏のご子息やエベレストビューホテルのオーナーなど多彩な方々がお見えでした。
当然なのでしょうが、皆さん見事なご挨拶で楽しめました。
私はどういうわけか、田渕先生に美術を習ったことはありません。ずっと五十嵐先生でした。
多感な年頃に、もし田渕先生の情熱に打たれていたら人生が変わっていたかもしれません。
田渕先生は、当時と全く変わらぬ情熱あふれる挨拶を披露され、五十嵐先生から「そろそろまとめてください」と言われてしまったのがほのぼのという感じでした。
写真は、ヒマラヤの絵画とブロンズ像の両作品と田渕先生です。(八重洲の田中画廊にて)

藤井猛9段のこと

前回は、羽生2冠のことを書きました。将棋界に興味の無い方には申し訳ありませんが、もう一度だけ棋士について書かせていただきます。
藤井9段は、羽生2冠と同い年です。羽生氏はタイトルの81期保持という大偉業を達成しましたが、藤井9段はこのほどB2級に陥落しました。
将棋の世界は本当に厳しい世界です。全国から天才と言われた子どもたちが集まってきて奨励会に入会し、ぎりぎりまで鎬を削りに削るのです。
奨励会の初段ともなれば、優に県代表クラスの実力があります。そして奨励会で昇段していって4段になるといよいよプロの棋士になります。その段階、すなわち4段でC2級です。
1年かけて順位戦を戦い、上位2名が上のクラスに上がり、逆に下位2名が下のクラスの落ちます。
単純に考えても、4段同士の対戦で上のクラスに上がるためには4段の実力ではだめで、5段以上で場合によればA級の8段の実力がなければ昇段できません。
順調に昇段すると、C2級(4段)、C1級(5段)、B2級(6段)、B1級(7段)、A級(8段)となり、A級の1位になった者が名人への挑戦権を得ます。クラスは上がったり下がったりしますが、段位は一度上がればその段位を名乗れます。
さて、ここで考えていただきたいのは、たとえばA級だった人がB1級に陥落したとします。
もう一方で、このB1級にはB2級から上がってきたばかりの人がいます。つまり、落ちてきたばかりの人と昇ってきたばかりの人がいて、両者が対局するのです。
たいがいの場合、昇ってきた人は若い人で落ちてきた人はベテラン棋士です。昇ってきた人は「さあ次はA級だ!」と思っているでしょうし、落ちてきた人は「何とかB1級にとどまりたい。もうこれ以上落ちたくない」と思っていることでしょう。
両者の心理、モチベーション、勢いを想像すると、棋士の世界というのは途方もなく残酷な世界だと思います。
本当に将棋が好きで好きでたまらない人でなければ生きていくのは無理な世界です。
藤井猛9段は、今期でB2級へ落ちました。しかし、必ず復活すると私は信じています。何よりもあの時代に「藤井システム」を生み出した独創力があります。
今一度、固定観念(藤井システムという戦法)を捨てるという困難に勇敢に挑んでほしいと切に願うものです。
 

「羽生 81期達成」を称える

今日のすべての朝刊が「羽生 81期達成」と将棋の羽生善治氏の合計81タイトル保持を報じています。
私は、将棋はへぼですが、大の羽生ファンです。それは彼の一言にノックアウトされたからです。
30年も前のことですが、カーラジオからたまたま羽生氏のインタビューが流れていて、そのなかでこう言ったのです。
「今の定跡は、10年後の定跡ではありえない」
度肝を抜かれました。この時、私は夜の新松戸・夾竹桃通りを車で走っていました。もう30年も前のことなのにあの時の車からの情景をしっかりと覚えています。この若者のすえ恐ろしさにいたく感動しました。
当時のプロの将棋界は居飛車全盛時代です。田中寅彦8段を中心に居飛車穴熊という戦法が幅を利かせ振り飛車が勝てないのです。
不利な振り飛車党は、大山15世名人を別格にすると森安8段、伊藤果6段くらいしかいませんでした。
羽生氏の台詞を聴いたときに、「振り飛車全盛時代が来るのだろうか?」と思ったのでした。
ところがその後、藤井猛9段が彗星のごとく現れ、振り飛車が勝ちだします。いつしか彼の戦法は「藤井システム」と呼ばれるようになりました。まさかと思っていた「定跡の大転換」が現実のものとなったのです。
2012年の今、おそらく羽生氏は今でも「今の定跡は10年後の定跡ではありえない」と思っていることでしょう。
パラダイムを変えることの難しさ、固定観念を打ち破ることの難しさは今さら言うまでもありません。
それができるからこそ羽生氏は81期もタイトルを保持できたのでしょう。まさに「名人に定跡なし」です。惜しみない拍手を送るだけではなく、私も常に意識の殻を破っていかねばと思います。
さて、現在の将棋連盟会長は米長邦雄氏です。米長会長が悲願の名人位を取ることができたのは、自分の子どものような世代の棋士たちからも将棋を教えてもらったからだという話があります。
これもすごい話で、有名な米長道場には羽生氏をはじめ若手棋士が毎日のように集い米長氏はその中で教えるのではなく教えてもらったのだと言います。
謙虚だからこそ成長できる証と言えます。この謙虚さも学んでいかねばと思います。