昼間のカーラジオを聴いていると、キャスターやアナウンサーの会話で、「消費税増税しても結局公共投資に使われる、だから駄目だ」という論調が目立ちます。しかし、これはあまりにも一方的な見方であることを指摘したいと思います。
公明党の『防災減災ニューディール』は箱モノをつくるといった通常の公共投資ではないのです。
昨年の3・11は千葉県も被災県の一つです。そして私は、千葉県は当然として東北の被災地にも何度か現地入りしました。
そうしたたいした経験でもない「経験」から申し上げるのは、甚だ心もとないのですが、早い段階で現地入りした人とその後に現地入りした人とでは3・11についての受け止め方が決定的に違うと見ています。
本当に言いにくことですが、テレビがご遺体を全く報道していないからだと思っています。
被災者の方々はおびただしいご遺体をみていることでしょう。しかし、そんな悲惨な情景をテレビが映すはずがありません。
私が初めて現地入りした時には、もちろんご遺体があるはずもありません。しかし、その場には赤い小旗の付いた竿が立てられていました。
ここにもそこにもおびただしい数の旗が風に吹かれているのです。「ああ、ここで被災者のご遺体が見つかったのだな」と思いました。
その瞬間、その場所は生存が脅かされた恐怖の場に変わるのです。
私は、この情景を思い出すたびに防災減災ニューディールは絶対に必要だと確信します。
阪神淡路大震災の時、ある市の職員が撮った映像を見せていただいたことがあります。
その人は、自宅から市役所へ向かう時に、広報課長から「ビデオを撮りながら市役所へ来てくれ」といわれて、撮影しながら市役所へ向かうのです。
最初は、たんたんと「どこそこが燃えています。赤い炎が見えます」などと話しながらカメラを回していきます。
ところが、ある場所に差し掛かると、我を忘れて叫び始めたのです。「なに!どないなっとんや、これ!もうメチャクチャや!」
完全に、自分が撮っているビデオのことを忘れて感情がそのまま声となってほとばしり出てくるのです。これが、「現地」の現実だと思います。
天災は忘れたころにやってくると言いますが、それにしても私たち日本人はあまりに天災を忘れやすい民族なのかもしれません。