原子力発電は、本当はやりたくないというのが誰しもの気持だと思います。
その証拠に、原発建設を問う巻町での住民投票も海山町での住民投票も反対が多数を占めました。
刈羽村ではプルサーマルの実施についての住民投票でしたが、微妙に反対が多数を占めました。
「それでもやる」という人も、要するに「必要悪」だということなのだろうと思います。
誰もがやりたくない。
しかし、その一方でエネルギー資源の乏しい日本という国があり、狭い地域に1億を超える人がひしめき合い、昼夜とも照明を使い、冷房を使い、エレベーターやエスカレーターで昇降し、ドアですら自動に開閉するのを当たり前と思っています。
おそらく現代日本においては、産業の上でも生活の上でも停電は絶対許されないことなのだろうと思います。
この実に不条理な選択にどう決着をつけていくかこそ政治の役割なのですが、政府は迷走するばかりです。
海江田経済産業大臣は原発再開に走り回り、菅総理はそれに水を差す発言をする。
そのあまりにも理屈のなさが海江田大臣の7月7日の予算委員会での涙だったのでしょう。
政治というのは理想を追い求めることも大事ですが、現実に生きている私たちのためのものである以上、現実的な対応が求められます。いきなりすべての原発を止めることがどういう結果になるのかまで正確に見通したうえで「やる」「やらない」「どういう場合なら・・・」という政治的な判断をしなければなりません。
そうした誰もがわかる説明抜きに動いたり、止まったり、後戻りしているのが今の政府です。
その根源が内閣総理大臣だというのですから、混迷は深まるばかりです。
日本人の私たちですらどうしようもないと思っているのですから、外国からみれば日本はまさに不思議の国。
ますます投資の対象からはずされてしまいます。