月別アーカイブ: 7月 2011

松戸市の『病院整備構想(案)』を読んで

松戸市は、ようやく『病院整備構想(案)』を出しました。
これまで10年間の議論によって『移転建替え』が松戸市の方針でした。
ところが、昨年の市長選で当選した本郷谷氏は『現地建替え』派でしたので病院移転をストップさせました。
そして、公募市民を交えた『松戸市立病院建替計画検討委員会』を発足させ、議論を振り出しに戻したのです。
その答申が出たのが本年2011年3月28日でした。
答申内容は、本郷谷氏の公約とは違い、『現地建替えは、現実の問題として非常に困難』というものでした。
設計上の自由度は制限され、工期が長く、工事費負担が多大であるばかりでなく、その間に発生する減収はきわめて大きい、長期にわたる工事期間中は患者の療養環境が悪化すると共に、基幹病院としての機能が著しく制限されるという結論でした。

今回、市長が出してきた『病院整備構想(案)』の『構想案を作成するにあたって』の冒頭にこう書かれています。
『この病院構想(案)は、平成23年4月4日に松戸市長に提出された松戸市立病院建替計画検討委員会の答申書を尊重し、新病院整備に向けた複数の案を取りまとめたものである。』
これは嘘です。
なぜなら答申では否定された450床がしっかりと生き残っており、複数案のうちの3つが450床案なのです。
そして、この答申の最も要の部分は『5年を目途に新市立病院の完成の道を探るべきである。』です。
最新の建物ができても医療スタッフがいなくては、それは『病院』ではないのです。
すると、これに合致する案は構想4と構想5しかありません。

構想案は3月11日の東日本大震災後に出されました。
いつ地震が起こってもおかしくない状況下にあります。
市立病院1号館も東松戸病院の6号館も耐震に大きな問題があるのです。
きわめて危険な建物だという認識がなさすぎます。
そこに入院している人、働いている人がいるということをわかっていないのではないかという気がします。
早く結論を出すことが大事だと思うのです。

『縮み』が消えていた東北地方

7月4日、地震予知連の島崎邦彦会長より非常に興味深いお話を伺いました。
『東北地方が縮んでいなかった』というのです。
ご存じのように、日本列島は海のプレートが陸のプレートの下に潜り込むことによって東側から常にプレッシャーを受けています。
したがって、東北地方を含め日本列島は西側へ少しずつ縮んでいます。
これは近来のGPSでの観測で明瞭に判ることです。
島崎先生に見せていただいたのは、1997年1月1日から1998年1月1日までの東北地方の図。これは明確に縮んでいました。
ところが、2010年1月1日から2011年1月1日の東北地方は縮んでいないのです。他の地域は縮んでいるのに、この地域だけがぽっかりと縮みを示す矢印がないのです。
これは何を意味するのでしょうか。
素人の目からは、東北地方だけが『縮み』という弾性を失ってしまっていて、まさにポッキリと折れる寸前だったように見えました。
東側からプレッシャーを受けていながら、それでも地震により東側へ50メートルも海底がずれたのはこういうことだったのかと思いました。
そのほかにも中央防災会議の裏の話をいろいろ伺いましたが、はたして書いていいものやら・・・

コスモ石油LPGタンクその後


東日本大震災によって、3月11日にコスモ石油千葉製油所のLPGタンクが爆発炎上しました。
その際、隣接する劣化ウラン保管施設も延焼したことを千葉日報は報じています。(7月1日付)
私は、今議会の代表質問において、津波が東京湾に押し寄せたときに津波火災が起こる可能性が高いことを指摘しました。
その時には、有毒物やガソリンなど可燃物の流出が被害を大きくし、復旧の妨げになることが想定されますので、各事業者に流出防止対策を指導すべきと訴えました。
ただ、それにしても劣化ウランまであるとは思いませんでした。
『東京湾に津波が来る』という想定そのものに現実感がないという方もいます。
しかし、太平洋岸に来るものとは規模が違うかもしれませんが、十分あり得ることなのです。
本日、7月1日に千葉県警水上警察隊とコスモ石油の炎上したガスタンクを視察しました。
物凄い熱がタンク群を焼き尽くしています。
防災に終わりはないとつくづく感じた次第です。