日別アーカイブ: 2011年11月19日

懸念される財政再建の目的化

このところの世界経済は、私が経済学を学んでいた30数年前の理論では説明しきれないことが次々起こっています。
そもそもユーロという単一の通貨が、歴史も文化も信用度も異なる経済で使用されることについての研究など想定していませんでした。(強いて言えば、ドルペッグ制というものはありましたが)
30年前の私が習った財政学からすれば、わが国財政は破綻していてもおかしくない状況に見えます。
誤解を恐れずに言えば、むしろ破綻していない方が不思議という気がします。
かつての子どもたちの言葉でいえば『お前はもう死んでいる』です。
巨額な赤字を抱え、しかも歳入を見れば、公債費が税収を上回るなど、まさに異常事態です。
ところが現実のわが国財政は破綻をしていません。
金利も上がることなく、国債は飛ぶように売れています。
それしか選択肢がないからやむを得ず国債を買っているのでしょうが、千葉県の公募債などもそれこそあっという間に完売するのです。
してみると、いま「財政再建、財政再建」と叫んでいる人も、いったい何のために財政再建を急ぐのか?をもう一度考え直した方が良いように思います。
つまり、財政再建を急ぐあまりに、仮にも本当に日本を殺してしまってはそれこそ本末転倒です。
あくまでも財政再建は目的ではありません。
目的は、わが国が生き続けること、それも活性化しながら生き続けること。そのために財政再建が必要だという順序でなければなりません。
財政再建のためには景気浮揚がどうしても必要です。財政再建策によって、そのきっかけを失ってしまってはなりません。
「最初に増税ありき」というのでは、すでに財政再建自体が目的化してしまっている懸念ありと言わざるを得ません。

一つの大いなる挑戦

幸谷町会の方々が高齢者見守りボランティアを開始しました。
普通の高齢者見守りと言えば、かつてはヤクルト配達による安否確認が一般的でした。
ところが、この幸谷の手法は少し違うのです。この「見守り」に「医療」を結びつけたのです。
まず、自動的に電話を掛ける機械を医療機関に置いておき、登録した高齢者に電話をします。
元気なら「青」、ちょっと調子が悪ければ「黄」、体調不良なら「赤」という返事を返します。
「黄」や「赤」なら、医師が電話でアドバイスをします。
問題は、返事がない場合です。
この場合は、機械は2回コールしますが、それでも返事がなければボランティアの方に通報がいきます。
ボランティアの方は、さらにもう一度電話をして、それでも返事がなければその高齢者の家を訪ねるという流れになっています。
これからのわが国は、ますます高齢化が進みます。つまり高齢者の単身世帯や高齢の夫婦世帯が急激に増加します。
その時の安否確認をどうするか?が大きな問題となります。
松戸のような都市部であれば数十人の高齢者を見る医師が見つかるでしょうが、そもそも医師が不足している地域ではこのシステムは成り立ちません。
仮に、すべての人がこのシステムに入るとなると、イギリスのような「かかりつけ医制度」を導入する以外にありません。
かかりつけ医制度を導入すれば、医療費も削減されるのでこうした新しい安心システムも成立します。
このほど始まった幸谷町会の大いなる挑戦は、将来はるかに進んだ高齢化に対応するシステムに進化する可能性があると、私は思うのです。