月別アーカイブ: 11月 2011

「日本の財政関係資料」から

ある会合で、富田茂之代議士より表記の財務資料をいただきました。
財務省資料ですから財務省の立場で作成されています。そのことを念頭にぱらぱらとめくってみると以下のようなことが書かれています。

「我が国財政を家計にたとえたら」の項では、
月収40万円の家計で、一か月あたり35万円の借金をして、6千万円強のローンを抱えている。
「一般会計における歳出・歳入の状況」の項では、
平成21年度以降は3年連続で公債金収入が税収を上回る状況が続いている。
「公債残高の累増」の項では、
年々増加の一途をたどり、平成23年度末では667兆円と見込まれており、これは税収16年分に相当し、将来世代に大きな負担を残す。
「公債残高の増加要因」の項では
歳出面では高齢化の進行等に伴う社会保障費の増加、歳入面では景気の悪化や減税による税の落ち込みが主要因。
「債務残高の国際比較(対GDP比)」の項では、
90年代後半に財政の健全化を着実に進めた主要先進国に比べて、我が国は急速に悪化しており、最悪の水準。
以下、「財政赤字の問題点」と続いていきます。
国会では、予算審議がこれから始まるのでしょう。
しかし、いくら審議を尽くしても審議の中で無駄を指摘して仮に削減を勝ちったとしても、その分が別のところに使われてしまうのでは何の意味もありません。
予算という複雑な仕組みでありとあらゆる無駄を見つけ出すことなど数日間でできるはずがありません。
ましてや、削減した分が減税に結びつかないのならば削減へのインセンティブも働きません。
希望は、諸外国では財政健全化ができたということです。
何が我が国と違うのか、徹底的に政治と官僚機構とを精査してほしいものだと思うのです。

もう一度、3・11の発端の話

今日、東京大学弥生講堂一条ホールにて日本地球惑星科学連合の主催する『震災を振り返り、未来へつなぐ』という講演会があり、参加させていただきました。
日本地震学会の石川有三副会長のお話を伺って、確かにもう一度、3・11の発端を振り返ることも大事だなと思いました。
気象庁のホームページの報道資料をみると、まず3月29日の『平成23年東北地方太平洋沖地震以降の緊急地震速報(警報)の発表状況について』というお詫び(?)が目につきました。
これは「緊急地震速報が適切に発表できていない事例が生じており、」その原因について、①異なる場所でほぼ同時に発生した複数の地震を一つの地震として処理した②停電や通信回線の途絶によってデータ処理できる地震計が減少したというの要因をあげています。
そこで、もう一度3月11日16時発表の『平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖地震について』を見てみます。
これは17ページのぺーパーですが、その11ページ目に『緊急地震速報の詳細』という第一報から第15報までの一覧表があります。
この表によれば、第1報は14時46分45.6秒に宮城県沖の深さ10キロメートルの海底でマグニチュード4.3の地震が起こったという検知結果になっています。
以下、第7報まで同じ場所で、第1報を起点にして、1.1秒後にM5.9、2.1秒後にM6.8、3.2秒後にM7.2、4.2秒後にM6.3、5.3秒後にM6.6、そして5.6秒後にM6.6の地震を検知しています。
さらに検証してみますと、当初はマグニチュード8.4としてましたが、それを8.8と変更したのが17時30分発表の第3報です。
ご存知のように最終的にはM9.0となるわけですが、8.8が9.0に修正されたのは3月13日12時55分発表の第15報です。
この15報にはこう書かれています。
「外国の地震観測データを用い、本震による震源域の破壊の進行の様子を調べたところ、通常より複雑なかたちで3つの巨大な破壊が連続して発生していることがわかりました。このため再解析した結果、地震の規模は、マグニチュード9.0であることが分かりました。」
考えてみれば、当たり前のことですが、大きい地震だからと言って、いきなり大きく震源域が破壊されるとは限りません。一番目はM4.3クラスの割れ方をして、その後に巨大な破壊があることもあるでしょう。
また、ここで指摘されているようにいくつかの破壊が連続して起こることもあるでしょう。
そういう割れ方まで考えると、「いついつ、どの程度大きさの地震が起こる」という、いわゆる予知はほとんど無理だろうと結論づけるのが常識のように思えてなりません。

松戸市文化祭

毎年11月の文化の日は、松戸市が主催する松戸市文化祭の『俳句大会』を松戸市俳句連盟が運営します。
今年も11月3日、森のホール・レセプションホールで82名が集い、俳句大会が開催されました。
私の役割は、基本的に「清記」と「採点」ですが、まあ何でもやります。
これは他の役員も同じで、机や椅子並べからパーテーションを用いた採点表作りからなんでもやります。
さて、今回の私の選句は以下の通りでした。
  桑括り了へたるあとの山の晴
  男物叩いて干して文化の日
  弁当の輪ゴム手首に文化の日
  歌垣へ木の実にきりと袴跡
  燃え止しの蝋燭匂ふ秋土用
  こぼれ萩空の湿りの降りてきし
  大花野ぽつんと村営レストラン
  満目の桜紅葉を口笛来
  諍うてゐる間にくわりん捥がれけり
  夕雲を背負ひて来たる焼芋屋
  休みては草になりたるばつたかな
  車椅子より団栗を拾ひけり
  シチュー鍋買ひ替ふ赤い羽根つけて
  手に残る仔山羊の匂ひ冬近し
 そして、特選は豊田みどりさんの
  馬柵続くかぎり空あり秋桜
いずれも名品ばかりです。
お前のは?言わぬが花という気がいたします。

想像すらつかなかった流木被害

今朝の朝日新聞は『津波などで漂着 木材200トンを撤去』という記事を報じています。
九十九里町の善塔議員や大網白里町の峰尾議員、山武市の山口議員に「ともかく一度見に来てほしい」と言われ、11月1日に九十九里海岸へ見に行ったのでした。
すでにボランティアの人たちが片づけた後でしたが、何か所かに分けてまとめられた流木の山が幾つもできていました。
港に入ってきてしまうと船のスクリューをダメにしてしまうので、漁師はいやでも流木を撤去するしかありません。
その苦労たるや大変な労力です。
そして、記事では『津波など』となっていますが、台風などで毎年毎年何度も撤去作業は行われます。
松戸のような海のない地域にいると頭の中ではわかっていても実態はなかなかわかりません。
今回ようやく『流木』をみてその朽ち具合や構成物などはわかりました。
朝日新聞の記事では『県建設業協会山武支部の主催で約90社約240人が午前8時過ぎから午後4時ごろまで』作業したと書かれています。
『重機30台、車両30台を投入』ですから、大変な作業です。そのほんの一端をようやく知りえたのでした。

厄介な地方自治

10月25日の毎日新聞は館山市坂田地区の残土埋立計画の記事を書きました。
『地域振興か自然保護か』という記事です。
地域の住民は賛成、隣接地の移住者は反対という構図のようです。
このように本当の地元の人たちは賛成していて、周辺の人たちが反対という構図は珍しくありません。
たとえば道路をつくる場合でも、その道路が通らないために住宅地にも通学路にも通過する車がどんどん入り込んでしまい、地元住民は早く道路を通してほしいと思っているのに、その地に住んでいない人たちが道路の開通を反対している例などがあります。
その道路が森を通る場合などは、マスコミが取り上げて「森を守れ」「樹林を守れ」というキャンペーンとなったりします。すると子どもや地域住民の安全については発言することすらできなくなってしまいます。
地域のことは地域で解決するという地方自治の本旨で考えれば、地域の人たちが賛成ならそれで良いではないかとなります。
しかし、地域という範囲を広くすれば賛否が拮抗し、さらに範囲を拡大すると実は反対派が多数ということになるかもしれません。
すると、地方自治にとって地域の範囲というものが実に重大な意味を持つことに気が付きます。
おそらく、正解はそれが実現した時の影響の大きさということなのでしょうが、問題は環境問題においてはほとんどの場合そもそも影響がわからないということなのです。
影響がわからないから地域の範囲が決められない。地域の範囲が決められないから地方自治は厄介。厄介だからお上に任せてきたというのがこれまでの歴史でした。
これからは、そうした手法から決別しなければなりません。すると、当然のように住民の間にシコリが残ります。
言い方を変えれば、そのシコリに耐えて暮らしていかなければならないのが地方自治の本質だというわけです。
私たちの発想も生き方も大転換する。優しい環境だった海から陸上に上がった祖先(?)のような苦しみを味わうのかもしれません。