月別アーカイブ: 11月 2010

ブレゆく市長公約(第445回)

今日の新聞各紙に松戸市立病院現地建て替えについて考える検討委員会の記事があった。
同検討会に松戸市が業務委託したコンサルタント会社から3つの建て替え案が出されたというのである。
A案は、1号館だけを現地で建て替え、610床を520床にする案。
B案は、1号館と医師住宅を建て替えて540床にする案。
C案は、医師住宅、2号館、1号館の順に建て替えて610床を維持する案。
いずれも工事費は示されてない。
また、いずれも工事中は病床を大幅に減らすことになるが、その期間がA案は5年半、B案は6年半、C案は6年とされている。
ここで問題なのは、以上の3案とも本郷谷市長の公約に反していることだ。
本郷谷氏が市長選で主張していたのは、「準備工事6ヵ月、本体工事24ヶ月の2年半すむ」というものである。
今回のコンサルタント案は、工期が一番短いA案でさえ、本郷谷氏の主張の2倍以上ので5年半である。
これはとうてい誤差の範囲とは言えず、本郷谷氏は嘘をついていたと言わざるを得ない。
本郷谷氏は「基本的考え方」として『現行の入院病床を600床から450床(約75%)に縮小できます。
これによって、投資金額の縮小と、日本一の赤字市立病院という汚名を返上できます。』と主張していた。
ところが、3案とも500床以上であり、ましてやC案は本郷谷氏が否定していた600床である。
『日本一の赤字市立病院』になってしまうC案は出す必要がないはずである。
そもそも病院経営は、600床だから赤字、450床だから黒字、などと言う単純なものではない。
この点でも本郷谷氏は嘘をついていたと言わざるを得ない。
結局のところ、一つ嘘をつくと次から次へと嘘をつき続けないと辻褄が合わなくなってしまうのである。
これで検討委員会が、C案を採択したり、移転建て替えという結論を出したら、市長はどう責任をとるのだろうか?
おそらく多分、また市民に嘘をつくのだろう。
後からつく嘘ほど大きなものになっていく。
ご自分が苦しむだけだということに早く気づいて欲しいと思うのである。

事業仕分けの誤った位置づけ(第443回)

公明党は、各政党に先駆けて『事業仕分けの実施』をマニフェストに掲げた。
民主党は、それを真似したのだということは以前に書いた。
その民主党が与党になったことから、事業仕分けをすればするほど、同じ党内で批判をし合うという自己矛盾に陥っている。
これは、『事業仕分け』に問題があるのではなく、民主党そのものに問題がある。
国政は地方政治と違い、あくまで議院内閣制である。国会の信任にもとづいて内閣がつくられる。
つまり衆議院の多数会派が内閣をつくるために、内閣を批判する側は議会では少数派なのである。
内閣と議会の多数派が同じ会派なので、政府へのチェック機能はほとんど働かないとみるべきなのである。
そういう状況下にある国政であるからこそ、本来『事業仕分け』によるチェックを行うべきなのである。
ところが、民主党においては『事業仕分け』を行うのが行政刷新大臣という内閣の一員なのだ。
内閣の一員が、内閣の提案した予算を仕分けすれば矛盾しか生まれない のは当然のことだ。
予算案に署名してGOサインを出した大臣が、同じ予算案にストップをかけるのである。
これほど愚かなことはない。
結局、事業仕分けを国民のためという観点からではなく、人気取りのパフォーマンスで行っているからこういうことになってしまうのである。

心打たれた教育長答弁(第444回)

今朝の新聞各紙は男子中学生の自殺を報じた。
いじめが原因であったという。
本当にやるせない気持ちになる。
腹立たしく思う。
誰に?いじめた側に。
そこで再び一層やるせない気持ちになる。
6月14日、女子高生が自殺した。
その理由はわからない。しかし、そういう記事を読むとやるせなさが心に刻まれる。
子どもはシグナルをなかなか発しない。
成績が落ちて来たとか元気がないとか見える部分はあるが、それがいじめだとは子どもは言わない。
学校では作文を書く。
そのなかでもいじめとは言わず、別の理由で成績が落ちたと書く。
でもそれが実はシグナルなのだ。
そのか細いシグナルを多忙な社会に振り回されながら周囲はどう判別するか。
誰を責めてもせんないことだが、常に心しておかねばならないことである。
市議会議員時代、心打たれた議会答弁があった。
ある議員が、いじめの問題を議会で追及した。それは教育長に対する痛烈な批判であった。
それに対して、教育長は自らの手帳を出し、それを読みながら答弁した。
何月何日、どこでどういういじめによる問題があったか。
それに対して自分はどういう行動をとったか。
せつせつと心情を訴えながらの答弁であった。
この答弁をいじめを受けているすべての子どもに聞かせたいと思った。
君たちを常に心しているんだということを伝えたいと思った。
人の社会の中でいじめの問題が100%解決できるとは思わない。
しかし、決して孤立する必要はないのだということを強く訴えておきたいのである。

制度には限界がある(第442回)

裁判員制度のなかで死刑判決を出したことで世論が大きく揺れている。
裁判員制度はやはり必要であると思う。
しかし、それによって裁判員となった人が精神的にダメージを受けるとなると話は別である。
ただでさえ日常生活を犠牲にして裁判員になり、その上さらに精神的なショックを受けるとなれば、そもそも制度として長続きしないと見るべきである。
この制度を今後も継続していくのならば、裁判員に通常以上の負担のかかるような凶悪犯罪については扱わないといった守備範囲の見直しが必要だろう。
朝鮮学校の高校無償化には大きな課題がある。
私たちは、学ぶことに対する差別があってよいはずがないという強い理念をもっている。
その一方で、自分たちが正義ではないと信ずる教育に経済的支援をしたくないという人間的な気持ちも持っている。
仮に、朝鮮学校で反日感情を植え付けるような教育をやっているとするならば、上記の理念と感情が真っ向からぶつかり合うことになる。
11月10日の朝日新聞は、神奈川県知事が県内の朝鮮学校を視察して教育内容を確認すると報じた。
税金から補助金を出している以上、知事として現場に足を運ぶのは正しい行為であろう。
どのような制度にも一定の限界がある。
制度に内在する限界もあるだろう。制度の外、いわゆる社会的な環境変化から来る限界もあるだろう。
いずれにせよ、そうした限界があるという前提に立って、制度は常に再構築されなければならない。
社会の変化はますます激しくなるばかりである。
仮にも政治が従来通りのペースでしか進むことができないのであれば、政治家は自らの役割が限りなく軽くなることを自覚しなければならない。

知事親書1万3000通(第441回)

今朝の千葉日報に『新卒学生の雇用拡大要請』という記事がありました。
『厳しい雇用情勢を受け、県と県教委、千葉労働局は11日、森田健作知事ら3団体のトップ連名で、従業員10人以上の県内事業所約1万3千社に未就職者の雇用拡大を求める親書を郵送した。親書では、特に就職状況が悪化している高校や大学などの新卒者と新卒未就職者採用を要請した』
実は6月議会の代表質問で塚定良治議員が「既卒者と新卒者を同等に扱うよう県内企業に働きかけて欲しい」という質問をし、その結果、県内400社の企業に親書を出してもらったのです。
しかし、現実には「新卒を採用する」「既卒者は採用しない」という企業文化が根強く残っており、これを一朝一夕で変えることは難しい。
そこで、私は9月議会においても粘り強く継続して欲しいと訴えたのです。
それが、30倍以上の1万3千社への親書となったのです。
しかも、今度の親書には求人情報のアンケートも同封されており、ハローワークとの連携体制も敷かれています。
知事、教育委員長、労働局長など関係者の皆さまのご協力に心から感謝いたします。
厳しい就職情勢ではありますが、少しでも希望の火が見いだせるようともどもに全力を尽くしてまいります。