日別アーカイブ: 2013年4月18日

環境負荷を減らしたい「ニューディール」

江戸料理研究家の福田浩さんのお話を伺っていて、「なるほどそうだったのか」「そうかもしれない」と思ったことがありました。
一つは関東大震災の話です。
福田さんによれば、関東大震災によって東京の料理が変わったといいます。
わたしはそれまでハードの部分を中心に考えていて、これまでほとんど取り上げられていなかった横浜港の大被害が、その後の日本経済にどのような影響を与えたかなどを本ブログで書いてきました。しかし、同震災は人的被害も甚大でした。当然、東京の料理人の方々も多数亡くなったことと思われます。
それによって、震災後の東京の料理は、関西などから来た大勢の料理人によって、関西風の味や色彩がかなり加わったというのです。私などには絶対に考えつかない見方です。
もう一つは、東京湾の魚介類、特に泥の中の魚たちがほとんどいなくなったというのです。そしてその理由について、橋を造りすぎたのではないかというのです。
考えてみれば、東京湾にそそぎこむ河川堤防もコンクリートが多く使われています。さらに、広範囲の埋め立て地、湾岸を走る道路、アクアライン、羽田空港など東京湾にコンクリートの影響があるのが当たり前です。
それが東京湾の魚介類や、特に千葉の貝類などに少なからず影響を与えているとおっしゃるのです。
木更津周辺などにどのような変化を与えているのか、これは相当注視していかなければならない重要事項だと思いました。
これから推進していく、命を守るための『防災減災ニューディール』であっても、環境への負荷を極力減らしていく、最大限に環境に配慮した事業にしていくことが非常に重要だと思います。

私の原点「小金消防署」

今日は、小金消防署の新庁舎開所記念式でした。
ハワイ通りにある旧消防署ができたのはまだ私が小学生の時でした。
小金の町を見下ろす高い塔が消防署の目印で、小学生の私たちにとってはあの塔に昇れないかなというのが正直な気持ちでした。
担任の武田先生は、「見学させてくださいと君らが言えば昇らせてくれるよ」とおっしゃっていましたが、なかなかできるものではありません。
そんなある日、同級生のS君が「消防署の塔に昇らせてくれるんだけど藤井君行く?」と言うのです。私は「本当に昇らせてくれるの?」と何度も聞き返しました。
そこで、Y君も誘って3人で夕刻の消防署を訪ねたのでした。
S君の話通りに私たちは塔の上から360度の展望を満喫しました。
その塔の上で、なぜS君が消防署に来させてもらえたかを知ることになります。
実は、数日前の火災で小金署に勤めていた消防士のS君のお兄さんが殉職されていたのです。お兄さんは、逃げ遅れた人を救助するために火の中に飛び込んで行ったのだそうです。
そこでS君を励まそうと消防署の人たちが、「友達と一緒においで」と声をかけてくれたのでした。
塔の上で、若い消防士が「君たちは、将来なにになりたい?」と聞きました。
Y君は「タクシーの運転手」と答えました。私は「地下鉄の運転手」と答えました。当時、常磐線の各駅停車は千代田線に乗り入れ銀色の車両が走り始めていました。
「S君、君は何になりたい?」
S君は、すぐには答えませんでした。でも、きっぱりとこう言ったのです。
「ぼくは消防士になる!」

その後、私たちは卒業式を迎え、それぞれの道を歩き始めました。私もS君やY君に会うことはありませんでした。
それから20年たって、私は縁あって松戸市議会議員に初当選しました。そして、市内視察で松戸市消防局を訪問しました。
視察が終わり、何気なく帰ろうとすると、なんとS君がいるではありませんか!
それも松戸市消防局の制服を着て、S君はにこにこして立っているのです。
そうか消防士になったのか。私は言葉に尽くせない思いにとらわれました。
20年前のあの小金消防署の塔に昇った日のことをかみしめるように思い出していました。