月別アーカイブ: 6月 2012

まるで「三題噺」のような

昨晩、野田市内での個人演説会に参加しました。
そのなかでの候補の方の発言を興味深く思いました。
その方は、「コウノトリ」の住める環境保全を訴えておられました。
「コウノトリ」と言えば兵庫県豊岡市での取り組みが有名です。
実は、豊岡でコウノトリの飼育や保護に取り組んでいるのは私の大学の後輩なのです。個人的な接点はありませんが。
そして、私が大変お世話になっている俳句結社の名前が『鴻』というのです。これは吉田鴻司先生のお名前からの命名と伺っています。
そのコウノトリのエサが「どじょう」なのだそうです。
『野田』の大きな話題で『コウノトリ』『どじょう』ですからまるで三題噺のようです。
もちろん、我々の子どもたちにどうやってより良い自然環境を残すかという大事な大事なテーマです。
たまたま連想を働かせてしまいました。つまらない話ですみません。

朝日新聞のスクープ

朝日新聞の夕刊の『ハイリスクの「仕組み債」』『千葉県外郭4団体 計32億円の評価損』と言う見出しが目に飛び込んできました。
だいたい『仕組み債』が話題にのぼったのは何年前のことでしょうか?
当時、千葉県では仕組み債で運用はないことを確認して、それはそうだろうなと思った記憶があります。
つまり、この外郭4団体はそのときに「仕組み債を持っていました」とは言わなかったことになります。
もし、千葉県がそれを把握していて、議会に報告していないとしたらそれこそ信頼関係が崩れます。
現実問題としては、満期まで持ち続ければ元本は保証されるといいますが、問題はそういうことではありません。
運用損がどうなるということもさることながら、仕組み債が問題になった時に口をつぐんでいた体質こそ問題だと思うのです。
いずれにしても、県民の財産を守るということについて、これを機に保有資産まで含めて県議会でチェックができる体制にしてもらいたいものです。
都合の悪いことは沈黙する、自分がその部署にいる間だけばれなければいいという体質のある限り、その組織は県民本位のはずがありません。自分本位なのですから。

放射能汚染焼却灰の一時保管場所について

6月18日、森田知事は臨時記者会見を行い、手賀沼流域終末処理場に放射性物質を含むごみ焼却灰の一時保管場所を設置する発言を行いました。
これは松戸市、柏市、流山市、我孫子市、印西地区環境整備事業組合から緊急要望があったことであり、昨年8月からの懸案事項でありましたが、私の率直な気持ちとして素直に喜べるものではありません。
もう少し我孫子市や印西市の理解を得る努力を続けても良かったのではないかと思うのです。
この問題は、世界のどこでも共通する「自分のバックヤードはダメ」という典型的な問題です。
したがって、松戸市、柏市などもぎりぎりまで自分の市域への保管場所確保の現状を市民に伝える努力をするべきではなかったでしょうか。
もとより、私は仮に我が家の敷地内にこの焼却灰が保管されても結構だと思っています。
我が家には子どもがいますが、我が家では受け入れられないものを他人様に受け入れてもらう要請などできるはずがありません。
いずれにせよ、知事は重い決断をしました。
今度は私たちの番です。私たちが「自分のバックヤードはだめ」と言うハードルを乗り越えなければなりません。
この知事の決断は、次に私たちに返ってくるのです。そして、それはまさに地方分権に伴う権利を主張するにふさわしい市民なのかが問われているのだと私は思います。

「なめらかな滑り」なのか?「すべり残し」なのか?

いささか古い話ですが、昨年12月10日の公明新聞に地震予知連会長の島崎邦彦先生のインタビュー記事がありました。
私は、その日のうちに切り抜いて、今でも政治学習会用のバッグに入れて持ち歩いています。
実は、その中に非常に印象深い発言があるのです。
『北米・太平洋の両プレートの境界が広範囲にわたって最大50メートルも動きましたが、地震学者は、そうしたことが起こるとは考えていませんでした。』
『日本海溝付近のプレート境界の大きな滑りは「起こらない」という大前提が崩れてしまった現実を直視し、今後、長期評価の改善を図る必要があります。』
中央防災会議の南海トラフのその後の評価が予想できるような島崎先生のご発言です。
さて、本来起こるべきタイミングに海溝型の地震が起こらない場合、どういうことが考えられるでしょうか?
希望的な理由を考えれば、地震のエネルギーが発散してしまうような『なめらかな滑り』が起こったという見方です。
『なめらかな滑り』によって小さな地震が発生してエネルギーが使われてしまった。したがって、マグニチュード9のような巨大地震はないという考え方になります。
悪い方の理由は、『すべり残し』があったという見方です。
本来、滑るべき部分が全部滑ってなくて、すべり残しが生じる。そのすべり残しが少しずつ少しずつ溜まっていって、やがて一気に滑って巨大な地震になるという考え方。いわゆる『スーパーサイクル説』です。
頻繁に地震が起こっていた東北沖では、従来は巨大地震は起こらないと考えられていました。それが起こってしまったという現実は、もしかしたらスーパーサイクル説が立証されたのかもしれません。
私たちの千葉県沖の地震も本来起こるべきタイミングで起こっていないといわれています。また、東海地震も本来起こるべきタイミングで起こっていません。
これが『なめらかな滑り』によってエネルギーが使われてしまったものなのか、はたまた『すべり残し』によってエネルギーが溜まり続けているものなのかでは、まさに天地雲泥の差があります。
政治家の仕事はあくまで防災減災に努めることであり、原因の究明については地震学者の方々にお願いするしかありません。

道州制議論は精緻に周到に

今日の夕刊各紙は、『スペイン国債3段階下げ』と報じています。
読売新聞には『ムーディーズ・インベスターズ・サービスは13日、スペインの長期国債格付けを21段階中、上から7番目の「A3」から、10番目の「Baa3」に3段階引き下げたと発表した』と書かれています。
私は、道州制は基本的に賛成です。それは地方自治が進むという観点、それに伴って地方議員も含め地方の側がより自立するだろうという観点から賛成なのです。道州制が実現したからと言って、それで「良し」となどと単純に考えてはいません。
経済や財政と言う切り口で見た道州制の行き着く先はどういう状態でしょうか?
通貨発行権は国でしょう。税制は道州に任せてもらえるのでしょうか?
仮に、税制や産業政策など広範囲な分野で道州の独自性が発揮できるとすると、究極の形は現在のヨーロッパをイメージすればよいのではないでしょうか?
税制も各国が発行する債券の金利もバラバラです。ただ通貨だけは同一です。
当然、経済的にうまくいく道州もあれば、現在のギリシアやスペインやイタリアのようにあまりうまくいかない道州もあります。
国や中央銀行からある程度の財政規律を求められた場合には、財政がうまくいっていない道州はそれなりの苦労を強いられます。
十数年にわたってプライマリー・バランスの黒字を強いられたイタリアと同じような経験をすることでしょう。
そうした苦労、あるいは他の道州よりも高い税率を決めざるを得なくなったとき、その道州民はヨーロッパよりもはるかに容易に転出することができます。
つまり、うまくいかなかった道州はますますうまくいかなくなり衰退していくことになります。
「国としてうまくいかないから道州にする」まさかこのようなナイーブな考えはないとは思いますが、道州を成功させるためにはマーケットの動きをも見通した精緻で周到な読みと細心の心配りが必要だと思うのです。