月別アーカイブ: 2月 2013

美しく可愛らしいひな祭り

今日は、八ヶ崎新町町会の福寿草ノ会の「ひな人形段飾り」と「つるし飾り」の展示会がありました。
私も早速拝見させていただきましたが、その出来栄えの見事さにびっくり。
そこで、いつも俳句の会でお世話になっている先生や皆さんをあらためて八ヶ崎新町会館にお連れしました。
苦労して創作されたのでしょう。一つ一つの個性も際立っていました。
参加されたIさんの句。『晩年の小さき立志つるし雛』もちろん高得点でした。

いじめに思う

2月8日、石川信一議員と不登校の子どもたちの集まる施設を訪問しました。いろいろと考えさせられました。
人は誰しも生きていくうえで、何かしらの不満を抱えます。自分では解決不可能な不満もあるでしょう。そのときに、その不満のはけ口を他人にぶつけることはあるかもしれません。
人は一人では生きられません。社会があって初めて生きていくことができます。しかし同時に、社会の中で生きるということは、100%自分の思うままにはいかず、多少ながらも他人と折り合いをつけていくことになります。そこに不満の芽が生じます。その芽がやがて大きくなって他人に対して攻撃的になることはあるでしょう。

日本は民主主義社会ですから、最後の最後はものごとを多数決で決めることになります。
ある施設を建てることを反対しているAさんがいたとします。
しかし、全体の利益を考えた時にどうしてもその施設が必要だったとします。つまり、大勢の人はその施設を建てるべきだと思っている。
こういう場合、行政は全体の奉仕者ですからその施設を建てます。もちろん、議会の議決は必要です。
建設説明会でAさんは、建設担当者を批判します。建設担当者はその批判に耐えるのみです。
その後、施設は出来上がり、Aさんの心には不満が残ります。
全ての人が賛成する事業などほとんど100%ありません。常に一部の人に不満を与えながら利害調整するのが民主主義なのでしょう。
とは言え、利害調整のために、賛成の住民と反対の住民が徹底して議論しあうということもほとんどありません。
たいていは、反対の人たちに向き合うのは担当の役所の職員です。つまり、反対者の不満のはけ口のために、全体の奉仕者である公務員がいるという構図に見えます。
このようなことを考えていくと、次元は異なりますが、いじめをなくすということのあまりの困難さに慄然とします。
不登校の子どもたちの姿を見守りながら、そんな詮無いことを考えてしまいました。

まるで盛り上がらない地方分権

国から地方公務員給与の削減を要請され、地方が一斉に反発しました。
ことの是非はさておき、売られた喧嘩は買うみたいな生々しい展開になり、国と地方自治体との間で大論争が起こり、多少なりとも国民を巻き込んだ議論になるのかと思っていました。つまり、この問題を機に地方自治や地方分権への国民的な関心の高まりを期待したのでした。
だからこそ、本ブログでもこの話題を数回取り上げたのでしたが、残念ながら何となく議論がしぼんでしまいました。
正直なところ、これでは地方分権どころか、道州制など夢の夢という気がします。本当に地方に多少なりとも有意な権限委譲が行われるのでしょうか?
平成18年7月7日に閣議決定された『経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006』の分野別方針をまとめた別表のなかに『地方財政』についての記載があります。
31字×45行のたかだか原稿用紙3枚ちょっとの文章ですが、その中に『国の取組と歩調を合わせて(やれ)』という言葉が2回出てきます。そのほか、『(国の)改革を踏まえた取組』『(国と)同じ努力』『国による対応を踏まえ』と、本当に地方を信用していないことが見て取れます。
このような国の地方に対する抜きがたい不信感がそのまま今日まで延々と続いている。これが覆されない限り地方分権はありえません。
そして、何よりも国民の総意としての地方分権や道州制への関心の高まりがなければ・・・と思います。

GDPの芽、現代人の眼

今朝の日経新聞に『かき混ぜずに済む鍋』の紹介記事がありました。
記事によれば『鍋の内側には角度40度の溝を入れている』。加熱すると水はこの溝にそって上昇し渦ができるのだそうです。渦は中心に向かうので灰汁も中央にたまって取りやすいといいます。
うまいことを考えたものです。かき混ぜるという(面倒くさい)行為を解消したいという利便性の追究がこの鍋を生んだのでしょう。
このように、少しでも便利にしたい、楽をしたいと思うのが人間ですからどうしても創意工夫をしてしまいます。
そしてそれが集積したものが国内経済のレベルで計算されて結果としてGDPの数値になります。この鍋の愛媛のメーカーは大きなGDPの芽を生み出しました。
さて、内村鑑三は『後世への最大遺物』(岩波文庫)という講演録の中で青年たちに『後世へ公のための金を残せ』という話をしています。アメリカは資本主義の徹底した社会だけれども金持ちは貯めた金を慈善事業や文化に使っている、それがアメリカ社会の強さだと言っています。
しかし、一方で私は、自分自身は絶対に金を残すことはできないと思っていますし、この愛媛のメーカーのようなGDPの芽を生み出すことも無理だろうと思っています。そういう人はどうしたらよいのでしょうか?
内村鑑三は、「金を残す才能のない者は事業を残せ、事業を残す才能のない者は思想を残せ、思想を残せない者は生き方を残せ」と言っています。
今の私たちが読むと、源氏物語を無意味な文学だと言ったり「ちょっとそれはないだろう」という主張も結構ありますが、国内の貧しさと国外からの脅威にさらされた明治時代の日本の指導的立場の人がどういうことを考えていたかが良くわかります。
もしかしたら、平成の現代社会に一番欠けているものの見方なのかもしれないとも思います。
私たちは現代人の目で、もう一度明治期の日本社会を再訪するのもよいかも知れません。

ブラックベリー日本撤退

2月8日の日経新聞に『ブラックベリー日本撤退』という大きな見出しが目に止まり、思わず「うーん」と唸ってしまいました。
NTTドコモが法人向けにスマートフォン「ブラックベリー」を取り扱ったのは2006年9月のことでした。そして、その2年後の2008年8月には個人向けの端末販売を始めました。
私は、知人から日本で不便なことの一つは『ブラックベリーが使えないこと』と言われていましたので、2006年12月7日に千葉県議会で次のような発言をしています。

『まず、観光振興について、特に外国人観光客を県内に呼び込むための施策についてお伺いいたします。
 来日する外国人観光客あるいは外国人ビジネスマンの不満として、よく耳にすることが3つございます。
 一番よく聞きますのは、ブラックベリーという多機能携帯電話の端末が、何で日本では使えないのかという不満であります。このブラックベリーは、私も残念ながらまだ使ったことがありませんが、何でも世界60カ国で非常によく使われている、世界のビジネスマンの必携品の一つとなっているそうであります。』

この発言から7年も経たないうちにブラックベリーが撤退。理由は、言うまでもなく『iPhone』の登場です。
2012年4月~9月のスマホの国内出荷台数は1400万台。うちブラックベリーは数万台とのことです。
これほど技術やデザインの嗜好、ブームの展開といった時代の流れが速いと企業経営は至難のことです。しかも一つや二つの国ではなく、日本や欧米はもちろん世界中があっという間に一つの方向に怒涛のごとく突き進んでしまうのですから経営者は息抜きもできないことでしょう。
その一方で、人口も面積も小さく、かつ資源もないヨーロッパの国々が高いGDPを保持している状況を見ると、これまで優位と思われていた条件とは違う部分で競争が行われているように思います。
そういう眼でヨーロッパの地図を眺めていると、日本には大きなチャンスがいくらでもあると元気づけられます。