GDPの芽、現代人の眼

今朝の日経新聞に『かき混ぜずに済む鍋』の紹介記事がありました。
記事によれば『鍋の内側には角度40度の溝を入れている』。加熱すると水はこの溝にそって上昇し渦ができるのだそうです。渦は中心に向かうので灰汁も中央にたまって取りやすいといいます。
うまいことを考えたものです。かき混ぜるという(面倒くさい)行為を解消したいという利便性の追究がこの鍋を生んだのでしょう。
このように、少しでも便利にしたい、楽をしたいと思うのが人間ですからどうしても創意工夫をしてしまいます。
そしてそれが集積したものが国内経済のレベルで計算されて結果としてGDPの数値になります。この鍋の愛媛のメーカーは大きなGDPの芽を生み出しました。
さて、内村鑑三は『後世への最大遺物』(岩波文庫)という講演録の中で青年たちに『後世へ公のための金を残せ』という話をしています。アメリカは資本主義の徹底した社会だけれども金持ちは貯めた金を慈善事業や文化に使っている、それがアメリカ社会の強さだと言っています。
しかし、一方で私は、自分自身は絶対に金を残すことはできないと思っていますし、この愛媛のメーカーのようなGDPの芽を生み出すことも無理だろうと思っています。そういう人はどうしたらよいのでしょうか?
内村鑑三は、「金を残す才能のない者は事業を残せ、事業を残す才能のない者は思想を残せ、思想を残せない者は生き方を残せ」と言っています。
今の私たちが読むと、源氏物語を無意味な文学だと言ったり「ちょっとそれはないだろう」という主張も結構ありますが、国内の貧しさと国外からの脅威にさらされた明治時代の日本の指導的立場の人がどういうことを考えていたかが良くわかります。
もしかしたら、平成の現代社会に一番欠けているものの見方なのかもしれないとも思います。
私たちは現代人の目で、もう一度明治期の日本社会を再訪するのもよいかも知れません。


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