日別アーカイブ: 2013年1月22日

古くて新しい千葉市の問題提起

今日の日経新聞に『バス赤字解消へ住民負担を提案』という小さな記事がありました。
記事によれば『千葉市は移動手段のない高齢者らを対象に市の負担で運航してきた地域住民向けのバスについて(略)自治会や商店会など地域住民と折半することや、市の負担額の上限を年500万円にすることなど(の運用を始めたい考えだ)』
民間バスが赤字のために運航できなくなった場合、それまで利用してきた高齢者などの交通手段確保は全国的に行政が行ってきました。
一地域のために税金を投入するのはおかしいという意見と地域の利便性確保は常に議論されてきました。その一つの結論として、行政は「これは交通政策として実施するのではない、あくまで福祉施策として行うのだ」という説明をしてきました。
それがとうとう千葉市では財政難と言う観点からでしょうか、『地域住民と折半』『上限500万円』という段階に来てしまったようです。千葉市が現在抱える該当路線は3路線、赤字補てん額は3900万円だと報じられています。
首都圏の一角の政令市でこうした問題提起が行われるのですから、全国的に過疎地を抱える自治体はどういう議論を行っているのでしょうか。おそらく全国の自治体が千葉市の投じた一石を見守っていることと思います。
高齢化・人口減少の圧力がいよいよ居住地を選ぶという個人の権利の制限に及んできました。豪雪地帯の過疎地などでは集住といって、単身世帯のお年寄りには街中の一つの建物に住んでもらおうという議論もあります。
今後は、全国各地で個人の自由にかかわる権利とそれを守るためにどれだけのコストがかかるかという議論されるようになるのかもしれません。
経済成長期にはエコノミック・アニマルという批判的言葉が使われましたが、今度は低成長経済社会において権利についてのエコノミックな計算を行うようになるとすると何とも皮肉な話です。
権利の侵害とその補償のような係争もいずれは起こるでしょう。「その件のエコノミック・ライツは〇〇円です」という判決が出るようなら本当に味気ない話です。

テロに対峙するということ

アルジェリアで犠牲になった方々に心からご冥福をお祈り申し上げます。
テロは絶対に許すことのできない行為です。何の罪もない人の命を奪うことに大義などあるはずがありません。
そのうえで、私たちはテロに対して考えねばならないこと、備えなければならないことがあまりにもあることに気づかされます。
今日の毎日新聞社会面に『政府あてにならず』という大きな見出しがありました。しかし、あてになるほどの情報収集能力を持つことの意味は相当議論されるべきです。それこそそれを是とすればCIAのような組織が必要になるのではないでしょうか?
今回の事件が報じられたとき、私は「これは軍隊を駐留させない限り絶対に防げない」と思いました。ところが、その後の報道で軍隊が駐留している中での事件だと知りました。
つまり、私たちは何も知らない、何も知らされていないといことにあらためて気づかされるのです。
情報がない、知識がないところに正しい結論を出せるはずがありません。特に安全保障の問題はそれこそ知識・情報が大前提であり、そのうえにリアリズムというか、「(何でも)十分あり得るんだ」という切迫感が不可欠です。
ましてや、わが国のように隣国に国家間の約束も国際世論も平気で無視する国があるという現実は深刻です。
テロ行う可能性のあるグループ、地域、国はどこなのか?
どのような手法が考えられるのか?
狙われるとすればどこなのか?
それに対する対応はどうするのか?
テロ攻撃による被害想定は?
このようなことを、実は2001年9月11日以降は議論しておかなければならなかったことに気づかされるのです。
おそらく多分、わが国の最大の弱点は、こうしたことを考えるということではなく、どこが考えるのか?米国や韓国その他の国々が付随する協力を求めてきたときにどこが中心となって対応するのかと言う『当事者決め』のように思います。
今回の事件を受けて、これまで無かったことを奇貨として、危機管理体制の見直しを行うべきだと思うのです。