週刊東洋経済1月21日号は『相次ぐ不祥事で判明した企業頼み政策の危うさ』というタイトルで、企業が運営する保育所の誘致を行ってきた横浜市を批判しています。
厳密に読めば、批判というよりも問題点を浮き彫りにしたということなのかもしれませんが、もう一つのタイトルも『これでいいのか 待機児童対策』です。
実際のところ、この記事の読み手も「横浜市はとんでもないことをやっている!」と怒りに震えるようなことはないと思います。
読者は賢く、政策には良い面もあるし悪い面もあるときちんと解釈をしながら読んで、悪い面を是正しながらきちんと保育行政をやらなければだめだろうと心の中でつぶやくのかもしれません。
この記事を読んで、実は私が思い出したのは、まさにこの政策を推進した中田宏元市長の発言でした。その発言をこのブログに書きたいと思ったのです。
『横浜で高齢者福祉の見直しをやりました。(筆者注。公営地下鉄やバスの無料パスを有料にしたことを指す)必要のない人にまで出すのはおかしいと、僕は有料制に改めました。ところが老人クラブ連合会から、ものすごい反発があった。(中略)ところが一方で、待機児童を減らそうと保育園を増やすでしょう。でも賛意の声はまったく上がらない。「お蔭で助かった。ありがとう」と言ってくれる若い夫婦が、少しはいてもよさそうに思うけど、全然いない。感謝されたくて言っているのではないですよ。コミットメントがないということです。』
『政治を監視せよ』とは先哲の有名な言葉ですが、政治を監視するとはどういうことかなのかが改めて問われているように思うのです。
ある政策に対して、コミットメントを出す、意見を述べていく、これこそが政治を監視することなのでしょう。
よく言われるように、私たち日本人は、もうわかっているだろう、こういうことだろう、言わずもがなだろう、と思ってしまいがちです。
私たちが暗黙の了解としている「発言を控えるのが大人」という感覚は、あくまで生活レベルの話であり、政治や制度を変えるには良いものはよい、悪いものは悪い、ダメなものはダメとびしびし意見するしかないと思うのです。