日別アーカイブ: 2011年6月1日

市民にとっての「安心」とは

2007年に事故を起こした柏崎刈羽原発についての迫真のルポが新潟日報に連載されていたことがあります。
このルポは確か新聞協会賞を受賞したと記憶しています。
内容は、市民にとっての「安心」とは何かについて考えさせられるものでした。

震度6強の地震が発生したものの原子炉の方は想定通り緊急停止しました。関係者一同がほっと胸をなでおろします。
ところが、そのとき外部の変電所が火災を起こします。
原発関係者としては、原子炉が暴走しないことがともかく最重要なことであり、変電所のような単なる火災は大きなことではなかったのです。
極端な話、燃やしてしまっても構わないという程度の認識でした。
ところが、周辺住民にしてみれば原発でもうもうと黒煙が上がっています。
避難すべきかどうか不安が募っています。
この意識の違いは決定的です。
火災発生は10時過ぎだったにもかかわらず、原発側が火災を発表したのが18時ごろでした。
この8時間の遅れがまさに意識の差のような気がしました。

3・11の大震災に際して、松戸市内にあるガスタンクの基礎部分が破損しました。
構造にも何も問題はないということで、ガス会社はいずれ近いうちに修繕することを決めました。
しかし、周辺の住民の皆さんにしてみれば、修繕が必要なほどの破損を目の前にすると本当に安全なのか不安になります。
ガス会社が、破損を確認した段階で周辺の皆さんに「大丈夫です」ときちんとお知らせしていれば問題はなかったのですが、何もアナウンスされていませんでした。
ここに市民の「安心」と事業者の意識の違いがあるのです。
その後、高橋伸之市議の仲立ちでガス会社は説明会を開催し、住民の皆さんに安心していただきましたが、災害時にはこうした「安心」についてのギャップを埋めることも非常に重要なのだと思います。