月別アーカイブ: 1月 2011

大論争時代幕開けの予感(第478回)

これはあくまで私の推測であり予想である。
本年ないし本年以降、様々な制度においてその内容について大論争が起こる気がしてならない。
たとえば、社会保険制度のあり方としての『公費5割が妥当か否か』の論争である。
まず介護保険だろう。
介護保険の税金による負担5割、保険料負担5割を見直すのか見直さないのか。
その後は医療保険も年金も公費負担の割合が論争になる。
公費5割は実は哲学の問題である。
この数字が正しいという答えはどこにも存在しない。
社会保険制度のあり方として公費は何割負担が良いのか?
国民に覚悟を求めるのは政治家であり、政治的判断を明確に示して行かねばならない。
そのほかにも特別養護老人ホームの個室・多床室論争がある。
おそらく大多数の人にとって、入居するなら個室の方がよいということだろう。
それはそうなのだが、乗り越えなければならないハードルとして、経済的な問題と受給バランスの二つの問題がある。
第一に、費用が高すぎて低所得者が利用できないとなれば多床室はどうしても必要ということになる。
金持ちにしか使えない特養では国民の理解は得られないと思う。
したがって、いかにして安価な個室を提供できるかが問題である。
第二の問題は、団塊の世代が特養を必要とした場合の供給量である。
特に、千葉県は全国平均よりも多くの団塊の世代の方々がいらっしゃる。
これらの方々の要介護度が、高くなったときにどれだけの特養を確保しなければならないかをしっかりと見据えておかねばならない。
すべて個室でまかなえれば理想なのだが、果たして可能かどうか?
相当難しいように思われる。
来年度の政府予算案を見るまでもなく、わが国は将来においても財政難は明白である。
多大な借金をどうするのかという問題が大きく立ちふさがっている。
したがって、これからの経済活性化は『規制緩和』が中心とならざるを得ない。
規制緩和とは実はルール作りに他ならない。
ルール作りこそ規制緩和の最重要課題なのである。
そして、ルール作りとなれば既得権に踏み込む場合も多々ある。
先に二つほど事例をあげたが、まさに本年ないし本年以降は大論争時代の幕開けを予感させる。
見方を変えれば、本当の意味で政治の出番とも言えるのだが、今の政権では心もとないことこの上ない。

岡本太郎氏生誕100年(第477回)

1月7日の読売新聞に『今こそ岡本太郎の精神』というコラムを見つけたときは正直びっくりした。
それは、数日前から同じようなことを考えていたからである。
私は、本年(2011年)が岡本太郎氏の生誕100周年ということも知らなかった。
岡本太郎記念館の平野暁臣館長の「時代が岡本太郎を求めている。今こそ太郎の精神が必要だ」と言う発言も知らなかった。
しかし、ここ数日、堺屋太一氏が『東大講義録 文明を解く』のなかで江戸時代の文化は「様式美」だと主張していたのがずっと頭の中に残っていた。
少し長いが、私が気になっていた個所を引用してみたい。
「戦国時代には、色々な剣術の流派が出来ましたが、江戸時代になると流派は固定してしまいます。徳川時代は新陰流、薩摩は示現流と決まっていて、あまり新しい流派はできません。お茶でも、織田信長から豊臣秀吉の時代までは、武野紹鴎から千利休へと改革が進みましたが、その後は裏千家や表千家など千利休の派閥が主流になる。絵画でも、この頃までは俵屋宗達や長谷川等伯など独創的な画家がいますが、その後は狩野派が主流になり、次第に様式化する。」
この堺屋氏の主張から、様式美の正反対の芸術とは何だろうと思ったときに、ぱっと頭に浮かんだのが大阪万博での「太陽の塔」だったのである。
堺屋氏と言えば「大阪万博」。大阪万博と言えば「太陽の塔」。至極自然な連想にすぎなかった。
太陽の塔ほど周囲に溶けこんでいない造形物はない。
むしろ周囲に溶け込むことを拒否しているのである。
そして、現在もなお芝生の公園の中で肩を落し気味にした白い巨塔は、それこそ唐突に突っ立っている。
 日本にはアニマル・スピリットが欠けているという指摘を受けて久しい。
車に乗らなくなった若者、海外へ行かなくなった若者の話題が出て久しい。
果たして、岡本太郎のような若者が現れるのか?
現れた岡本太郎は時代に受け入れられるのか?
ハードルは二つある。
こんなことを考えているのが、岡本太郎氏生誕100周年というのは、まったく味な巡り合わせとしか言いようがない。

重層的に危機的な農業問題(第476回)

1月6日の千葉日報に驚くべき記事があった。
『オオカミで有害獣を駆除』という記事だ。
大分県の豊後大野市でオオカミを輸入してイノシシやシカの駆除に利用する構想を検討しているというのである。
市長は言う。「激減するハンターの代わりに、有害獣を捕食するオオカミの復活を考える必要がある」
即座に沖縄のマングースの失敗を思い出す。
わが国の生態系にない動物を持ち込んで大きな問題となっているアライグマやブラックバスの事例もある。
オオカミを輸入して成功する確率は大きいとは思えず、想定外のしっぺ返しが懸念される。
ハンターが激減する中で、オオカミが増えすぎたら今度はどうするのだろうと思うのは私だけではないだろう。
オオカミ輸入はさておき、全国的にイノシシやシカによる農産物被害がそれほどまでに危機的だということはしっかりと受け止めねばならない。
そして、その駆除を行うはずの猟友会員は激減しており、かつ高齢化が深刻だ。
そもそも農家の平均年齢も高まる一方で、現在JAが大々的にキャンペーンを行っているように、農機による事故も急増している。
こうした農業分野の高齢化、担い手不足、担い手不在を考えると、農業は重層的に危機的だと言わざるを得ない。
今後、わが国農業が生きのびていけるかどうかは、一つには農地の集積が進むかどうかにかかっているように思う。
もし仮に、農地集積が出来なかったとしたら、わが国農業の未来は非常に暗い。
数ヘクタール規模の農地であっては、将来的にも農業分野に新しい担い手が現れるとは考えにくいからである。
現在行われている戸別所得補償制度は残念ながら農地集積に資する政策とは思えない。
いま一つは、農業の特徴が家族営農である以上、家族という単位に焦点を当てたメリットが必要だと思う。
土づくりの重要性を考えれば、短期的な利益を追及する経営体では農業の発展にはつながらないように思うのである。
農地集積に最優先に取り組み、そのうえで家族単位での経営にインセンティブを与える。
当然、農林水産省分野の政策ばかりではなく、政策は税制を含めた広範囲に及ぶものとなるだろう。
農業問題が重層的に危機的である以上、その対策も当然重層的にならざるをえないのである。

今期4年間を振り返って(第475回)

月日のたつのは早いもので、いよいよ任期満了の年を迎えました。
この4年間を振り返ってみると、まず議長のものとに「議会のありかた検討委員会」が立ち上がり、私も会派を代表してその一員として議会改革に取り組みました。
全国に先駆けての費用弁償の完全実費化や常任委員会の公開などを実現しました。
そして、最終盤にきて不正経理問題が発覚し、会派を代表して不正経理調査特別委員会の一員として、今度は監査体制の強化など行政側の改革に取り組みました。
『議会改革に始まり行政改革へ』と取り組んだ4年間でありました。
議会質問については以下の通りです。
平成19年9月決算審査特別委員として決算審査。
平成19年12月議会代表質問に登壇し、新型インフルエンザ対策、母子家庭支援、障害者就労支援、中小企業対策などをただしました。
平成20年12月議会代表質問に登壇し、ゲリラ豪雨対策、食の安全安心、動物保護条例、学校裏サイト対策などをただしました。
平成21年6月議会予算委員として、鉄道駅のバリアフリー対策、県事業の市町村負担金の廃止などをただしました。
平成21年12月議会一般質問に登壇し、不正経理問題、決算カードの充実、ジョブカフェの機能強化などをただしました。
平成22年2月議会予算委員として、不正経理問題、医師・看護師不足問題などをただしました。
平成22年9月議会代表質問に登壇し、都市型水害対策、若者就労支援、子宮頚がんワクチン助成などについてただしました。
平成23年2月議会一般質問に登壇予定です。

最後の最後まで。県政向上に全力で取り組んでまいります。

トレーサビリティーの落とし穴(第474回)

中国製冷凍餃子の問題がわが千葉県で発生する以前から公明党千葉県本部は「食の安全安心」に取り組んできた。
議会で議論することは当然として、県下全域での意識調査を実施することにより行政へ数々の提案もしてきた。
そんな折、1月1日の日本農業新聞の『全食品にトレサ導入』との見出しが目に飛び込んできた。
記事によれば「民主党が全食品にトレーサビリティー(生産・流通履歴を追跡する仕組み)を導入する法案を今通常国会に提出する方向で検討に入った」というのである。
私はこれが善政か?と問われたときに単純に「イエス」とは言えないのである。
第一の疑問は、コストの問題である。
一体どれほどのコストがかかるのか?
誰がそれを負担するのか?
もし生産者が負担するとなると、外国産の安価な食品との競争では著しく不利になるだろう。
外国からの輸入に頼っているわが国の食糧事情の中で、外国にも守らせるのだろうか?
その場合、誰がそれを確認するのだろう?
税金を使って世界各地へ係官を派遣して、トレーサビリティーがちゃんと守られているか確認しに行くのだろうか?
外国に人を駐在させるのだろうか?
そもそも国内でもちゃんと守られているのかどう担保するのだろうか?
率直に言って、こういうおカネを使う話と言うのは、官僚が予算を増やそうとしている可能性が高い。
人員確保のために予算と仕事を無理につくっているか、この業務をさせることによって独立行政法人など天下り先の確保を考えていることもあり得る。
もしかしたら1995年に不要となった食糧管理体制関連部署に、未だ相当な余剰人員がいるのかもしれないという類推も生む。
第二の疑問は、食の安全安心との関係についてである。
われわれが求めるのは、あくまでも安全安心な食品なのである。
出来れば安価に入手したいということが目的なのであって、トレーサビリティーをきっちり行うことが目的なのではない。
たとえば、かつてダイオキシン問題で所沢産の農産物がまったく売れなくなったことがあった。
仮に、トレーサビリティーが完璧に実施されていたとすれば、ダイオキシンとは無関係で安全な農産物であっても所沢産だというだけで誰も買わなくなっただろう。
同様のことは、実際に宮崎県での口蹄疫問題で起こっている。
つまりトレーサビリティーには風評被害を拡大する危険性もある。
逆に、トレーサビリティーの情報はどの農地でつくられたかまでであって、その農地周辺の地下水汚染などは分からない。
このように、トレーサビリティー導入と安全性は実はイコールではない。
以上のようなことが、どう解決されるかをしっかりと監視しなければならない。
特におカネを使う事業については目を凝らして見る必要がある。
それでなくとも政府・民主党による歳入金額の見込み違い、マニフェストの見込み違いはもうウンザリなのだから。