政治主導とは何だったのか?(第489回)

1月22日の読売新聞の記事『首相、次官らの政策調整容認』を見て、私は民主党の言う政治主導とは何だったのか、さっぱり分からなくなってしまった。
民主党の政権交代の旗印は政治主導だったのではないか?
そのために省庁間の政策調整から官僚を排除し、閣僚・副大臣ら政務三役で政策調整をしてきたのではないのか?
次官会議よりも官邸主導型の政治を行ってきたのは小泉内閣だったが、実際に次官会議を廃止したのは民主党政権である。
その方針を変更するというのは、むしろ改悪ではないのか?
政権担当能力がないということをようやく民主党自らが認めたと受け止めるべきかもしれない。
議院内閣制というのは、党内の権力闘争の結果によって内閣総理大臣が決まり、内閣総理大臣の都合によって閣僚が決まる。
したがって、決して国民のため、国益のために内閣が構成されるのではない。
議院内閣制そのものがそもそも政治主導たり得ないシステムだということになる。
本来、国民のため、国益のための政治にしようとするならば、やはり国民自らの手で内閣総理大臣選ぶ方式でなければならない気がする。
その意味では、地方政治の方が政治主導である。
政治主導とは何か?
大和総研専務理事の原田泰氏によれば
「総理を中心にした政治目標があって、その実現のために各省の大臣が選ばれ、選ばれた大臣が自ら副大臣や政務官を選び、チームとして行動するということでなければ政治主導にならない」
非常に説得力のある発言だと思う。
『政治主導』の対義語は『官僚主導』である。
『官僚主導』がなぜダメかと言えば、官僚は国益ではなく省益を目指してしまうからだ。
そうであれば、現在の小選挙区制度の下では『政治主導』など端からあり得ない。
小選挙区制度で当選してきた政治家は、国益ではなく選挙区益を目指してしまうからである。


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