日別アーカイブ: 2012年12月20日

勘違いが怖い「徳島活断層条例」

徳島県が全国で初めて活断層上での建築規制を条例化したと伝えられています。
これを徹底すると、地域によっては活断層だらけなところもあり、住むところが無くなってしまうといった突っ込みが湧き上がってきます。
徳島県の条例は中央構造線活断層が対象のようですから条例化できたと思います。細かなものを含めてはそれこそ住むところが無くなります。
この条例は、あくまで活断層を意識するということでは意味のあるものだと思いますが、その反面勘違いも起こりうると思います。
たとえば、1995年の阪神淡路大震災では、断層の位置と最も揺れの大きかった場所は一致していません。
六甲山に跳ね返った揺れが地震本来の揺れの波長と重なり合って実際の揺れになりますので、活断層上が最も揺れるとは限らないのです。
すると、活断層から離れたところであっても最も揺れるところの建築規制をすべきというのが正論となります。
ところが、揺れというのは地盤構造ですとか揺れの波長によってどこが揺れるのかなど分かりませんので場所の特定ができないのです。
そういうところまでわかって議論しているのだとは思いますが、活断層から離れているから安心だという見方になってしまうとこの条例は悪影響を及ぼすということになってしまいます。

党とは重いもの

「党とはもっと重いものじゃなかったのか」この先輩議員の言葉をことあるたびに思い出します。
保革伯仲時代(1980年代)に、公明党は自民党から連立政権を呼びかけられたことがあります。
その時に党幹部は自民の要請を断りました。それに対しての先輩の一言です。

今回の総選挙で民主党は大敗しました。野田代表が辞意を表明したのに対して次の人が出てきません。
前原さんも細野さんも代表選出馬をしないと伝えられています。
私は思います。「党とはもっと重いものではないのか」と。
今回の選挙で第三極と言われた人たちは一本化できなかったことを悔やみます。
「一本化できていれば、自公とほとんど変わらない票が出せた」と言います。
私は思います。「党とはもっと重いものではないのか」と。
主義主張がバラバラな党が一本化したところでまとまるはずがありません。
そんなことは民主党の失敗でわかっているはずなのに、目先の選挙を見ているからそういう発言になるのでしょう。
結局のところ、そこには国民のためという発想がないのです。
やはり党とは重いものです。
立党精神(公明党なら「大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」)を共有し、政策を練り上げ、それを実現すべく民意を問うからこそ党なのであって、その原点に忘れては政治は成り立たないと思います。