月別アーカイブ: 9月 2011

東京湾奧には弱点多々

今日の読売新聞朝刊の1面トップと31面の関連記事は、私の危機意識とまったく同じでした。
1面の方の見出しは『2水門・4防潮堤 閉鎖失敗』、31面は『全閉鎖 第1波の30分後』です。
記事には次のように書かれていました。
「3月11日に津波警報が発令された際、国や東京都が管理する(略)「防潮設備」計6基が閉鎖できず、津波の第1波到達に間に合わなかったことが分かった」
「手作業で操作する必要がある設備は外部業者に委託しており、震災直後から電話がつながりにくく業者と連絡が取りにくくなり、現場に急行した係員も渋滞で身動きができなくなった」
実は、私が今後の津波に際して一番問題意識を持っているのが東京湾の防潮体制なのです。
今回のような事態は大阪にもあり、大阪の実験ではすべて閉鎖するのに3時間かかったという事例すらあります。
ですから、私は先の6月議会で東京湾の高潮対策を取り上げたのです。
防潮堤や陸こうなど千葉県は千葉市にゆだねております。千葉市はきちっと対応できるのでしょうか?
詳細は、平成23年6月定例会の私の代表質問でのやり取りを見ていただきたいと思います。
現実的には、読売新聞にあるように『電話がつながらない』『渋滞で動けない』ということになろうかと思います。
そうであるならば、そういう事態の際に、どういう場合にはこういことをするというマニュアルをあらかじめ決めておくしかありません。
東京湾の管理自体は千葉県ではない、ということが県の動きを鈍くしているような気がします。
しかし、県民の命と財産を守るというのならば、千葉市ほか関係市や東京都、あるいは国と手順を確定する中で、それら団体がちゃんと業者と連携を取っているかも、県民になり替わって確認してほしいものです。
こういうことはやりすぎて無駄になる方がはるかに良いわけですから。

はたして想定が「甘すぎた」のか?

今朝の千葉日報に『危険想定「甘すぎた」』という見出しの記事が出ていました。
9月14日に、国連のIAEA、WHOなど16機関がまとめた包括報告の中での福島第一原発事故についての指摘です。
報告には「どんな形態の事故が起きる可能性があるかについて想定が甘すぎた」とされています。
しかし、私の見方は昨日の本ブログでも書きましたように「甘すぎた」というよりも「なかった」というべきだというものです。
より正確にいえば、「ないと思い込んだ」「ないと信じた」「ないことにした」という感覚ではないでしょうか?
そもそも、世界のどこであれ、どのようなものであれ、人が作ったモノであれば事故を100%なくすことは不可能です。
ましてやわが国は災害大国です。地震、台風、火山ほとんどすべての備えが必要です。
そこで、検討に5年間も費やし、2006年9月に改定された新しい耐震指針で原発の受ける最大加速度は450ガルと定めました。
しかし、それから1年もたたないうちに起こった新潟県中越沖地震(2007年7月16日)に際し、柏崎刈羽原発の最大加速度は1699ガルでした。
基準を見直してすぐに想定をはるかに超える事態に直面して、それでもなおかつ想定を変えないというのは、やはりそもそも『想定』というものがないのだと受け止めざるをえないのです。
ともあれ、国連の包括報告で重要なことは「すべての原発の事故想定を見直すべきだ」です。
今度こそ、真剣に想定を見直さなければなりません。日本という国の信用をこれ以上貶めないために。

『備え』は誰が?

福島第一原発事故で明らかになったことの一つは、原子力発電所における放射性物質拡散についての『備え』がまったくなかったということです。
まず、電源がすべて落ちるという想定がありませんでした。
そして、放射性物質が大量に漏出するという想定がありませんでした。
だから、放射性物質が飛び散ったときに住民をどう避難させるかの計画がありませんでした。
拡散した放射性物質が降下した土壌をどう処理するかという計画がありませんでした。
地域住民の飲料水の確保すらしていませんでした。
要するに事故が起こるという想定をしていなかったわけです。
しかし、これは誰が考えても非常に不思議なことです。
1999年9月30日、茨城県東海村でJCO核燃料加工施設で臨界事故が起こっているのです。
事故直後には施設周辺の空間線量が当然のように高まりました。
そこで茨城県警は周囲3キロメートルの道路を封鎖し、200メートル以内を立ち入り禁止にしました。
午前10時35分に警報が鳴り、東海村はその約2時間後の12時30分に住民へ屋内避難を呼びかけました。
小渕総理もテレビで避難を呼びかけ、JR常磐線や水郡線は運休となりました。
結局、翌日の午後4時30分に屋内避難が解除されましたので、屋内避難時間は1日と4時間という計算になります。
こうした前例があり、しかも原子力発電所事故はいくつも起こっています。
にもかかわらず、電力会社はその後も『備え』を何もしていませんでした。
地方自治体は、そもそも権限がなく、情報すらありません。
事故が起こっても、東電から国への通報はありますが、自治体への通報は最後の最後になります。
そこで私の素朴な疑問です。
『備え』をやるべきところは、いったいどこなのでしょうか?
電力会社でしょうか?自治体でしょうか?国なのでしょうか?
誰でも結構なのです。それよりも現実問題として現時点で『備え』はあるのでしょうか?
そして本当は誰が『備え』を行うのでしょうか?
(本ブログは佐藤栄佐久著「福島原発の真実」を参考にさせていただきました)

国政、二つの課題

第一は『非効率』です。
民主主義とは、全体主義などの最悪な政治体制を避けるために、効率性を放棄した政治体制と言えます。
わが国は、衆参両院が存立する二院制の政治体制です。
私は、かねてより日本のように一つの方向へ一気に過熱するお国柄であれば、一院制よりも二院制が望ましいと主張してきました。一方の院の判断を、もう一方の院が「本当にそれで良いのか?」と引き止める役割です。
つまり、実は衆参の『ねじれ』を想定している制度なのではなく、そもそも『ねじれ』を望ましいとしている制度なのです。
一方、1993年に細川連立政権が誕生して以降、与党は連立が当たり前のようになっています。
もしかすると、それより10年以上前の1980年ごろの保革伯仲時代から一つの党では政治が動かせなくなってきていたかもしれません。
衆参の『ねじれ』だけではなく、それぞれの院のなかにも『ねじれ』ないし、それに近いハードルが存在するように見えます。
したがって、現在の国政はかつてないほど非効率化していると言わざるをえません。
もう一つは『大きな政府』です。
平成20年度当初予算では、歳入に占める公債金の割合は30.5%でした。それが21年度では37.6%、22年度では48.0%です。この異常さをどうみればよいのでしょうか。
それでも21年度では、租税及び印紙収入は公債金を12兆8000億円上回っていました。
これが22年度で逆転します。公債金の方が6兆9000億円も多くなっているのです。
今後、財政学の試験を受ける学生たちは、平成22年度は重大な年として暗記を強いられるでしょう。
そのうえに、東日本大震災とそれに伴う原子力発電所の放射能問題が起こったのです。
『大きな政府』はそれ自体が非効率です。
野田新政権のもとで、この二つの大きな課題の克服へ動き出すのでしょうか?
私にはどうしても先行きに明るさが見い出せません。

放射能汚染衣料を洗濯すると・・・

日本放射線安全管理学会の汚染対策について、かつてこのブログで触れたことがあります。
それは新聞記事からのものでしたが、昨日、同学会の西澤邦英先生(名古屋大学名誉教授)のお話を伺ってきました。
有益だったのは、たとえば衣類の除染です。
福島原発の事故直後に作業していたT社の方々の防護衣とA社の方々の作業着、帽子、靴下を防除の観点から実験した結果です。
靴下は特につま先の部分とかかとの部分に高い放射能汚染がありました。
A社の社員のお一人の行動をみると、3月11日~14日は大熊町にいました。うち、13、14日はオフサイトセンターで待機です。そして14日のうちに福島高専に避難します。16日に広野町、いわき市を経て水戸市へ移動します。そんな行動でした。
特に、原発の周辺にいたということもないのですが、そもそも実験ができるということはそれなりに放射性物質が靴下に付着していたことを意味します。この点は少し気になりました。
この方のズボンについても、裾とお尻の部分の放射線量が若干高かったとのことです。
つまり、避難場所(かどこか)で、この方は靴を脱いだり座ったりしたために靴下やズボンに放射性物質が付着したと考えられます。
さて、そうした衣料を一回洗濯するとだいたい65~80%除染できます。2回の洗濯で75~90%、3回で80~90%です。
洗濯機については回転渦巻きでもドラム式でも差異がありません。
したがって、市販の洗剤でふつうに洗っても3回洗えばまずは大丈夫というお話でした。
特にホッとしたのは、その際に汚染されていない綿の手袋を一緒に洗ったそうですが、手袋が汚染されることはなかったというお話でした。
ただし、もちろん洗濯排水は放射性物質が含まれていますので注意しなければなりません。