日別アーカイブ: 2011年9月16日

はたして想定が「甘すぎた」のか?

今朝の千葉日報に『危険想定「甘すぎた」』という見出しの記事が出ていました。
9月14日に、国連のIAEA、WHOなど16機関がまとめた包括報告の中での福島第一原発事故についての指摘です。
報告には「どんな形態の事故が起きる可能性があるかについて想定が甘すぎた」とされています。
しかし、私の見方は昨日の本ブログでも書きましたように「甘すぎた」というよりも「なかった」というべきだというものです。
より正確にいえば、「ないと思い込んだ」「ないと信じた」「ないことにした」という感覚ではないでしょうか?
そもそも、世界のどこであれ、どのようなものであれ、人が作ったモノであれば事故を100%なくすことは不可能です。
ましてやわが国は災害大国です。地震、台風、火山ほとんどすべての備えが必要です。
そこで、検討に5年間も費やし、2006年9月に改定された新しい耐震指針で原発の受ける最大加速度は450ガルと定めました。
しかし、それから1年もたたないうちに起こった新潟県中越沖地震(2007年7月16日)に際し、柏崎刈羽原発の最大加速度は1699ガルでした。
基準を見直してすぐに想定をはるかに超える事態に直面して、それでもなおかつ想定を変えないというのは、やはりそもそも『想定』というものがないのだと受け止めざるをえないのです。
ともあれ、国連の包括報告で重要なことは「すべての原発の事故想定を見直すべきだ」です。
今度こそ、真剣に想定を見直さなければなりません。日本という国の信用をこれ以上貶めないために。

『備え』は誰が?

福島第一原発事故で明らかになったことの一つは、原子力発電所における放射性物質拡散についての『備え』がまったくなかったということです。
まず、電源がすべて落ちるという想定がありませんでした。
そして、放射性物質が大量に漏出するという想定がありませんでした。
だから、放射性物質が飛び散ったときに住民をどう避難させるかの計画がありませんでした。
拡散した放射性物質が降下した土壌をどう処理するかという計画がありませんでした。
地域住民の飲料水の確保すらしていませんでした。
要するに事故が起こるという想定をしていなかったわけです。
しかし、これは誰が考えても非常に不思議なことです。
1999年9月30日、茨城県東海村でJCO核燃料加工施設で臨界事故が起こっているのです。
事故直後には施設周辺の空間線量が当然のように高まりました。
そこで茨城県警は周囲3キロメートルの道路を封鎖し、200メートル以内を立ち入り禁止にしました。
午前10時35分に警報が鳴り、東海村はその約2時間後の12時30分に住民へ屋内避難を呼びかけました。
小渕総理もテレビで避難を呼びかけ、JR常磐線や水郡線は運休となりました。
結局、翌日の午後4時30分に屋内避難が解除されましたので、屋内避難時間は1日と4時間という計算になります。
こうした前例があり、しかも原子力発電所事故はいくつも起こっています。
にもかかわらず、電力会社はその後も『備え』を何もしていませんでした。
地方自治体は、そもそも権限がなく、情報すらありません。
事故が起こっても、東電から国への通報はありますが、自治体への通報は最後の最後になります。
そこで私の素朴な疑問です。
『備え』をやるべきところは、いったいどこなのでしょうか?
電力会社でしょうか?自治体でしょうか?国なのでしょうか?
誰でも結構なのです。それよりも現実問題として現時点で『備え』はあるのでしょうか?
そして本当は誰が『備え』を行うのでしょうか?
(本ブログは佐藤栄佐久著「福島原発の真実」を参考にさせていただきました)