月別アーカイブ: 8月 2011

卸電力取引所の怪

お恥ずかしいことに、日本にも電力取引所があるとは思いませんでした。
ホームページを見つけてびっくりしたのでした。
テレビを見ていると、節電のコマーシャルが流れます。
「節電ありがとうございます」と何かのキャラクターが頭を下げるCMです。
空色を基調にした映像で、新聞にも一面広告が出たりします。
こういうものを私たちの税金で流していると思うと心中複雑です。
電気事業法は、そもそも節電をしようと思わせるような法律になっていません。そればかりか「どんどん使いなさい。電気事業者はそれに合わせて電気を供給しますから」という取り決めです。(第18条)
私は、節電を真剣に考えるならやはり電力取引の仕組みをつくるしかないと思っていました。
そして、調べもせずに「節電のインセンティブがない」⇒「日本には取引所がない」と勝手に思い込んでいたのでした。ところが、何と2003年11月に設立しているのです。卸電力取引がスタートしたのが2005年4月だというのですから、もう6年以上活動しているのです。
にもかかわらず、電力の需給調整ができていないのはどういうことでしょうか?
結局、主務官庁も本当のところはやる気がなく、単なるよくある天下り先・外郭団体として設立した疑いすらあります。そうでないというのなら役員の出身団体を是非公表して欲しいものです。(理事長は元日銀理事のようです)
計画停電が実行され、節電のCMを税金を使って流されながら、電力の需給調整がほとんどなされてなく、この期に及んでそれが許されている日本社会はやはり劣化が進んでいるのかもしれません。
逆説的ですが、全国民がむしろこのCMを見るたびに腹立たしい気分になってほしいと思ってしまいます。

原子力政策、二つの特殊性のぶつかり合い

原子力の平和利用を考えたときに、日本の特殊性は際立っています。
一つは地震国であり、津波大国だということです。
そんな危険な国土に原子力発電所を置いてよいのかという議論になります。
もう一つは資源小国です。
量も価格も国際政治に大きく左右される石油にエネルギーを頼るのは安全保障上きわめて危険であり、原子力発電は必要だという議論になります。
(※今回の事故を見ると、原発が攻撃受けたときに壊滅的な被害をもたらすという安全保障上の問題も浮き彫りにされましたが、ここではその議論は置いておきます)
8月20、21日に行った共同通信社の調査によれば、「脱原発依存を次期首相が引き継ぐこと」について、「賛成」「どちらかと言えば賛成」をあわせると75.5%だそうです。
今後は間違いなく、脱原発の流れに進んでいくことでしょう。
ただし、私たちが忘れてはならないことは、すでに原発・原子炉が存在し、すでに使用済み核燃料が存在し、すでに高レベル低レベルの放射性廃棄物が存在しているということです。
これらをどうするかという技術的な方策は立っていません。
つまり、これら放射線を出し続ける厄介な物質をどう処分・処理するかという研究は今後も継続的に続けなければなりません。
「脱原発」により、原子力産業は成り立たなくなります。産業として成り立たないところに自然に研究者が集まることはありません。すると、国策として研究者・技術者を確保・養成しなければなりません。
自由に職業を選べる国ですから、国策として研究を誘導するとなれば、それなりの報酬を出さねばなりません。そこに多額の税金をつぎ込むこと、その金額の是非を判断すること、研究成果を評価すること、すべてが困難に満ち満ちています。
スーパーコンピューターの開発や宇宙開発よりも、はるかに成果が見えにくく、成果のとらえにくい分野です。
しかし、脱原発に舵を切るのであれば、この覚悟だけは絶対にぶれてはいけないのだと思います。

国民のやるせなさ

今朝の読売新聞によれば、民主党は代表選挙を29日に実施し、30日に新しい首相を選出する日程で調整に入ったとされています。
しかし、私は「ちょっと待ってほしい」と言いたいのです。
そもそも民主党が政権交代を実現したのは民主党マニフェストが支持されたからです。
政権交代を勝ち取ったときの民主党マニフェストの目玉は5つあって、その第一番目のわざわざ赤でマークした『ムダづかい』をやめさせるという項目には4つの柱があります。
『国の総予算207兆を全面組み替え』『天下り根絶』『企業団体献金は禁止』『衆院定数80削減』です。
これらのどれも実現していません。実現どころか、天下り根絶と企業団体献金の禁止はしないことに決めてしまいました。完全なる裏切りです。そして、今度はいよいよ民主党マニフェストの根幹ともいえる『子ども手当』をやめます。
マニフェストにより政権交代したのですから、それをやらないと決めたり、そもそもできもしないことを言ってしまったのなら、解散総選挙によってもう一度国民の信を問うのが筋のはずです。
ただ、現在のわが国は復興第一であって、総選挙をしている場合ではありませんので、素直に政権を手離すべきなのです。
しかし、残念ながらまた国民を裏切った民主党からどうやら総理が生まれるようです。
誰が総理になったとしても、その人は国民の支持で選ばれた人ではなく、国民をだましたことによって誕生した総理ということになります。
まったくやるせないのは国民ということになります。

「誇りを持てる」が最低限の条件

千葉市が千葉港の海上交通ニーズを調査するために特別クルーズを出すというので、早速乗せてもらうことにしました。
さぞや大勢の人が参加するかと思いきや、集まった人は20人ほどでした。
千葉港と蘇我港を結ぶルートで、料金は片道500円。往復だと900円になります。
この料金が高いのか安いのかわかりませんが、普通の感覚ではやや高いような気がします。
外洋のフェリーと違い、イルカなどが現れたりはしませんので、もっぱら目を楽しませてくれるのはカモメです。
そこで、せめてカモメのえさを一人一袋渡すくらいのサービスはあってよいかと思いました。
千葉港を出た船は、右手にポートタワー、左手に倉庫を見て進みます。やがてJFEスチール東日本製鉄所の装置群が見えてきます。
この製鉄所と停泊している20万トン級の船舶は見どころと言えるかもしれません。
しかし、大阪港のような巨大な橋りょうをくぐっていくとか、東京湾のように様々な船舶がどんどん行き来するという何かしらのイベントがないとリピーターは生まれそうにありません。
当たり前のことですが、『観光施設』というのは地元の人たちが「それ」があることを誇りに思うレベルにないとなかなか成功しません。
さらに言うと、たとえ「それ」に誇りを持っていたとしても、コストがかかりすぎると、やはり存続が難しくなってしまうのです。
たとえばモノレール。
特に千葉のモノレールは気持ちの良い乗り心地です。しかし、これを存続させるのにはかなりのコストを覚悟しなければなりません。
今回の水上バスを観光に活用するには、何か千葉市民が誇りを持てるものを水上から見せるとか、そういう工夫が必要に思えました。
船自体をグレードアップさせることが無理ならば、結局何を見せるか、なのでしょう。

戦後66回目の終戦記念日

八柱駅前にて、城所正美、石川龍之、諸角由美、飯箸公明、高橋伸之の各市議会議員とともに終戦記念日街頭演説を行いました。
炎天下でしたが多くの方々にお声をかけていただきまして本当にありがとうございました。
戦後生まれが日本人の半数を占めたのが1975年だそうです。
それからすでに40年近くたっていますので、戦前戦中を体験された方はますます少なくなっているはずです。
いやな思いの方が圧倒的に多かったことと思いますが、それも含めてしっかりと受け止めて後世に伝えていかなければならないと思います。
昭和20年8月15日を大陸や戦地で迎えた人たちは想像を絶する苦難の道だったことと思います。
シベリア抑留の人たちの話を伺っても、満州開拓団のお話を伺っても胸が張り裂けそうになります。
そういうつらい思いも含めて語り継いでいかなければならないのだと思います。
私たちも不戦の誓いを新たに出発したいと思います。