日別アーカイブ: 2012年4月15日

「放射能除染」ということ

本年1月に「放射性物質汚染対策特別措置法」が施行されました。
それによれば、1ミリシーベルト以上の放射線量が検出されたと「政府が判定した」地域については、国の負担で除染をするということになっています。
国の負担と言うことは、要するに国民の負担と言うことです。負担するお金の出所が、税金であれ電気料金であれ国民が負担することに変わりはありません。
いずれにせよその地域の人だけではなく、広く国民の負担によって除染することになりました。
除染については、国からはほとんど何も示されていませんが、基本的には二つの方法が考えられます。
一つは、天地返しですが、果たしてこれを除染と呼んでいいのかどうか。放射性物質は長い年月をかけて雨水などによって地下水に浸透していきますので、相当長い期間の監視が必要となります。
もう一つは、表土を削り取る手法です。
放射性物質は、大体深さ20cmまでのところにほとんどが留まっているとされていますので、私のイメージでは30cmくらい除去すればよいのかなと思います。
国は、5cmであっても8県の102自治体が対象ですから、費用は数兆円に及ぶだろうとしています。仮に、5㎝で5兆円なら30㎝では30兆円という計算になります。1年間の国の税収の3分の2ですから、これが実行可能なのかどうか疑問が生じます。まさかこれも民主党マニフェストのように「できませんでした」で終わりにならないようにしっかりと監視しなければなりません。実際、チェルノブイリではあまりのコストの高さに除染をあきらめたと聞いています。
さて、さらにその上でもう一つ大きな問題が立ちはだかっています。
除染した土をどこへもって行くのかという問題です。
放射線量を測定したうえで、問題がないとされた焼却灰や汚泥についても受け入れてくれる地域がありません。
ましてや『問題があるから除染された土』を受け入れてくれるところがあるのかどうか。
その一方で、PTAなどで自主的に校庭などを除染して取り除いた土については厳重な管理をしていない事例も見受けられます。
それもこれも、どこまでどのように対処すれば安全なのか、どこまでどのようにしてはいけないのかという判断基準がさっぱりわからないことの証左だと思います。
国は法律を定めるだけではなく、その法律に基づいた国民への情報提供、それも間違いなく信頼できる情報を公表しなければなりません。これにはそれほど大きな予算はかかりません。
3.11以前からスピード感がないと言われ続けてきて、未だに議論ばかりしてなかなか動かない政府の対応には本当に失望するのみです。

言葉の重さ、言葉の軽さ

民主党の政治家を見ていて、言葉の軽さが非常に気になっていました。
政権交代が実現なった時の総選挙での鳩山さんの言葉、菅さんの言葉、総理になってからのお二人の言葉。
もちろんそれだけではありません。
本会議での枝野さんの言葉、長妻さんの言葉、野田さんの言葉・・・・・・。
聞いていて、この人は何も知らずに語っているという気がしてなりませんでした。
たとえば『年金』です。
「年金財政は破たん状態」「民主党が政権をとれば任期終了の4年後には年金の抜本改革ができる」等々・・・
これらの言葉は、すべてわかっていて有権者を騙すために言っているのだと思っていましたが、実は何も知らない恐るべき『無知』からきていることに気がつきました。
なぜ気が付いたかと言うと、福島第一原発事故の記者会見で枝野さんはじめいろいろな人が登場しましたが、何も知らないのに知っているように語る、その語り口が全く同じだったからです。
先月、原田泰氏が新書を出しました。私は、この人の発想がお気に入りです。なぜかというと間違いなく『サムシング・ディファレント』すなわちモノの見方が非常にユニークだからです。
その本は、『震災復興 欺瞞の構図』(新潮新書)です。
このあとがきの最後の部分にこう書かれています。
『書いている途中で、何度も無力感に襲われたが、何とかこの本をまとめることができたのは多くの方々のお蔭である。』
この『(書いている途中で)何度も無力感に襲われた』と言う部分が、それこそ嫌になるくらい私も全く同感なのです。
この原田氏の言葉の重さがよくわかります。正しいこと(正しいと確信すること)が実現できない。間違いなく悪い方向へ行ってしまっている。でもそれが正せない。こういう見方は私の考えすぎでしょうか?
私も野党時代の国会質問をつくっていたものですから、毎日毎日どうしようもない無力感を感じていました。
政治家が自分の言葉に責任を取らない時代。もしかしたらとんでもなく不幸な時代に生まれ合わせたのかもしれませんし、いつの時代も程度の差こそあれ・・・・?