日別アーカイブ: 2012年3月20日

「基金事業」真っ盛り

私のところに、2012年3月19日発行の『ちばNPO情報マガジン』249号が届きました。
これは、千葉県環境生活部県民交流・文化課が県民の皆さんに送信しているメールマガジンです。
その冒頭にこう書かれていました。
『県では国の「新しい公共支援事業交付金」をもとに基金を造成し、平成23年度から24年度にかけて、県内NPO等の自立的な活動を間接的に後押しするため、「県民活動促進事業」を実施しています。』
がんばっているなと思いますし、国からのお金を活用して良い事業をやっているなとも思います。決して、ここに書かれている事業内容を問題視しているのではありません。
しかし、毎回の議会のたびに、『何々基金を造成』、『何々基金を活用』、『何々基金を廃止』と山また山のような基金、基金、基金を見せつけられるとこれはちょっと違うだろうと言わざるを得ません。
補助金行政が批判されて久しい中にあって、基金行政ならいいだろうと勘違いしている節が見えるのです。
基金行政は、単なる補助金のまとめ渡しにすぎません。単に1年限りではなく2年分ないしは3年分出しましたというにすぎず、その使途は都道府県や市町村に自由裁量があるわけではありません。
結局、使い方は国にがんじがらめにされていて、その意味では補助金と全く変わらないのです。
そのうえ実は補助金よりも悪い点もあります。
それは金利がかさむという点です。
補助金のように1年限りなら1年分の利子がつくだけですが、たとえば3年分まとめて渡すとなると翌年と翌々年の金額はただただ使わずに持っているだけなのに支払利息が発生します。受取利息との関係は一体どうなっているのか疑問です。
仮にもマイナスなら、それは当然のことながら国民の税金で払うわけです。(多分マイナスでしょう。市場経済ですから)
基金の数がどれほどあるか、そしてその利子の額がどれほどになるのか想像すらしたくない金額ですが、はたしてそういうことまで考えて基金行政を行っているのでしょうか?

現代は『借』金本位制時代

かつて『金本位制』という時代がありました。アメリカはドルと金(ゴールド)をいつでも交換すると保証してきました。
ところが、1971年、当時のニクソン大統領がこの金本位制をやめると宣言しました。いわゆるニクソン・ショックです。
私はそのころ中学2年生です。何か大変なことが起こったということは認識していましたが、まあ本当のところは何がどう大変なのかよくわかってはいませんでした。
いずれにせよ金本位制が消滅し、ドルに金の裏付けが無くなったわけですが、その後の世界にどういう大変なことが起こったのか未だにわかりません。今でも特に何の問題なく、ドルが貿易などの決済にちゃんと使われています。
さて現代社会は、では『何』本位制なのでしょうか?
今、わが国は約1000兆円の借金があります。大雑把に税収が50兆円とすると税収20年分ということになります。
年収400万円の人がいて、その人が8000万円の借金をしていたら、経済的な信用度は非常に疑わしいと言わざるを得ません。
ところが、近代国家においてはこうした借金をするごとに通貨を発行します。つまり通貨と公的部門の借金はまさにリンクしているのです。
このような、あたかも『借金』が通貨の裏付けかのような有様は『借金本位制』に他なりません。
通貨の裏付けが『金(ゴールド)』であった時代から、通貨の裏付けが『無』になり、今は『借金』というわけです。それで今のところはわが国においては何の問題も起こっていないように見えます。
結局のところ国に信用さえあれば、通貨とリンクするものが何であれOKということに他ならないようです。ただし、ここで言う国家とは民主党政権のことではないことだけは自明です。

加速するコンパクトシティ化

昨日、放射線測定調査の私たちと別れて『東日本大震災千葉県調査検討専門委員会』の傍聴へ向かう塚定議員がポツリと言いました。
「液状化の工法が見つからないんですよね。300万円以上かかるんですから」
この言葉を聞いたとき、やはり時代は間違いなくコンパクトシティ化に向かうしかないと思いました。
液状化対策の厄介なところは、例えば一軒のお宅がお金をかけて対策を講じた場合、近隣の家屋が液状化被害を受けかねないところにあります。つまり、今の工法では根本的に街ぐるみで対策を講じなければなりません。
街ぐるみとなれば、当然経済状態も生き方や考え方も異なる人の集合体ですから、全員でお金を出して液状化対策をやろうと簡単に決まるものではありません。
一方、コンパクトシティの発想とは、市街地の規模をコンパクトにして医療機関や商業施設をまとめることによって生活しやすい街づくりをしようという考え方です。
多種多様な考えを一本化するとなれば、どうしても拡散した街づくりでは無理があります。
ましてや高齢社会になり、地方の過疎化が危機的状況になっている中にあっては、施設や社会機能の中心市街地への集積だけではなく、その先には人をも中心市街地へ集まってもらう仕組みが必要となるでしょう。
そんなことを考えている矢先に、沼津市の自治会が津波被害予防のために高台へ集団移転する合意をしたというニュースが流れました。
沼津の自治会の移転とは理由は異なりますが、想定される街の将来像は、医療や福祉施設が整い、利便性の高い商業機能があるなど、安全で暮らしやすい場所へ人が集まって住むというコンパクトシティ化のような気がするのです。