衆参の国会情勢を語る際、常に「ねじれ」の問題が取りざたされます。
しかし、私はこう問いかけたいのです。
「ねじれの解消は、それほど良いことなのでしょうか?」と。
私の脳裏をよぎるのは、日本新党でのM氏の除名問題です。
今から20年前の話になってしまいますが、1992年の参議院選挙で日本新党から当選した細川護煕氏と小池百合子氏が衆議院へ鞍替えしてしまいました。すると比例名簿搭載順から当然M氏がl繰り上げ当選します。M氏は比例名簿の5位でしたが、4位の人までは当選していましたから。
ところが日本新党はM氏を除名して別の人を繰り上げ当選者としてしまいました。
日本新党の中で何が起こったのかは私にはわかりません。しかし、少なくとも選挙時には細川、小池、寺沢、武田、Mという比例名簿に対して有権者は投票したはずなのです。その順位を守らないというのは有権者に対する裏切り以外の何ものでもありません。
つまり、言い方を変えると有権者の意向よりも党幹部の意向が重視されているのです。
小選挙区制というのは、小泉政権のときや政権交代時の鳩山政権を見ればわかるように、第一党が圧倒的多数を占める選挙です。そのうえで、第一党の幹部が権力を掌握するとなればその力は絶大です。
そして、「ねじれ」が解消されている状態というのは衆参ともに一つの党が多数派を占めることを意味しますので、その幹部は衆参にまたがる巨大権力の所有者ということになります。
そんな人物の誕生を『良い』こととして単純に喜べるのかどうか?むしろ私には怖い気すらするのですが・・・
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