月別アーカイブ: 3月 2012

がれき受け入れについて

今朝の新聞各紙に、市川市が東北の震災がれきを受けれるという報道がありました。特に、東京新聞は『市川市、がれき「受け入れ」 』と大きな見出しで報じました。
記事をよく読めば、最終処分場が確保できればという条件付きなので、おそらくほとんどの自治体は同意見だと思います。
朝日新聞17面のオピニオン面には、『西日本に運ぶのは間違い』だと主張する関西の大学教授のにわかには信じがたい発言がなされています。
「わざわざ放射性物質を運んでくるのは間違いです。日本の将来を考えたとき、被曝する人を1人でも減らし、汚染されていない土地を残すのは重要だと考えます。」
このような、東日本はもはや汚染されてしまった地域であり、関西を汚すなというのが関西の主流意見だとは到底思えませんが、公の場でそう主張する人がいるということに驚きを禁じえません。
がれきについては当然のことながら放射線量を測って安全性を確認したうえで広域処理となるのですから。
あの福井の水害に際して、関西が水害による廃棄物処理でみせた圧倒的なボランティア精神に私は心から敬意を持っていました。
しかし、放射能というものに対するアレルギーが日本人のボランティア精神を打ち砕くとしたら実に情けないことです。
放射能に対する正確な知識、放射線に対する情報公開があまりにも立ち遅れていることを反省しなければなりません。
そして何よりも政府は国民の信頼を取り戻すことに全力をあげてほしいと切に願います。

予算委の悩ましさ

千葉県会議員は、基本的に一年に一度しか議会での登壇チャンスがありません。
私は、この3月5日と3月7日の予算委員会で2度発言の場をいただきましたので、次の登壇はなんと来年の2月議会での代表質問ということになります。
もちろん、会派としては毎議会で代表質問に立ちますので、県を質せないという意味ではありません。質問したい問題については原稿を書いて登壇者に渡せばいいのです。ただ、自分が質したいことを自分で質すことができるのが年に一度というわけです。
予算委員会は3日間あり、持ち時間は毎回27分ずつです。この27分もこちらの質疑と理事者側の答弁を含んで27分です。この方式を「往復で27分」といいます。
一方、私たちの会派からは二人の委員が選出されます。一人が理事になり、初日と3日目に質疑、もう一人は2日目に質疑し、さらに採決時に討論に立つことにしています。
今回は、私は理事でしたので初日と3日目に質疑に立ちました。
さて、問題はこの27分の中でどういう質疑をするかです。
「質問しっぱなし、答えっぱなし」の本会議方式とは異なり、一問一答方式なので特定のテーマを議論しながら掘り下げることがポイントになります。
狭く深く質疑をしたいのです。すると27分ではせいぜい2テーマということになります。
今回の初日は、児童相談所の一時保護所の人員体制の問題と医師キャリアアップセンターの運営費確保の問題を取り上げました。
3日目は、ひとり親家庭医療費の現物給付実施についてと千葉県が関係している各種ファンドの問題を取り上げました。
このうち最後のファンドの問題ははたして時間が足らず、もう少し議論したい部分を割愛せざるを得ませんでした。
27分という限られた時間の中で、答弁の内容も長さもわからない一問一答は本当に難しいものです。まさに時間配分との戦いです。
時計を見ながら、もっと簡潔な答弁をと願いながらこちらの論理を組み立てねばなりません。
欲を言えばきりがありませんが、もう少し何とかならないものかといつも思ってしまいます。

『環境施策』 千葉県の本気度

平成24年度千葉県一般会計予算案に『野田市南部工業団地及びその周辺における環境調査事業』1400万円の計上があります。
これは、工業団地周辺の住民から揮発性有機化合物や塩化水素による健康被害の訴えがあり、その発生源を調査しようという内容です。具体的な事業として、①排ガス測定機の購入・設置②排ガス測定機保守管理・測定データ整理③周辺環境調査となっています。
これまで、千葉県も野田市も住民健康被害について様々な調査をしてきました。
その結果、住民に健康被害が出ていることは確認できましたが、その発生源がどうしても特定できなかったのです。
そこで私は、事業を行う予定の廃棄物指導課に対して、「これまでも相当調査してきて発生源の特定はできなかった。そのうえで、さらに今回1400万円計上するのなら、どういうことを考えているのか?」と問いました。
それに対して、廃棄物指導課長は「実はK社に対して、いっそのこと煙突に測定機をつけてさせてほしいと申し入れをする。それもきちんと文書で要請する」と言うのです。
その課長の言葉を聞いて、なるほどこれは千葉県も本気だと思った次第です。
野田市は住民が公害等調整委員会に申請した場合の弁護士費用を市が負担する条例をつくりました。野田市も本気なら、千葉県も原因究明に本気です。
住民の健康にかかわる問題ですので、一日も早く発生源の特定をして住環境の保全が図られるよう私たちも積極的にかかわっていこうと思っています。

苦闘する「うつくしま」

震災から1年たちました。
公明党全国代表懇談会は福島県郡山市の「郡山ビューホテル」を会場にして開催されました。
来賓として登壇された佐藤福島県知事のあいさつ。
「昨年は、地震、津波、原発、風評、豪雨、台風に襲われた。まさに災害の年だった」
「260回の災害対策会議があり、今なお継続中です」
「福島で全国の会議、国際会議が22回開かれました。その中で全国高等学校総合文化祭がありました。これは原発事故直後の5月に開催か中止かを決めねばなりません」
「高校生たちは何とか開催してほしいという。躊躇しながら開催を決めました。1万人の全国からの高校生たちがスクラムを組んで頑張れと言ってくれた開会式。どれほど励まされたか」
高校生たちの元気な姿が目に浮かぶ挨拶でした。
私はいつも思うのです。
『希望』の形とは何か?
それは子供たちの遊ぶ姿ではないかと。
子どもたちの姿、子どもたちの遊ぶ姿が見られなくなったらどれほど悲しいことかと思います。
千葉県も被災県の一つです。東北とともに『希望』あふれる復興に全力で取り組もうと決意しました。
※写真は、南相馬市のTさんの農場で朝摘みされた苺です。ビューホテルの会場にて最高においしくいただきました。

ようやく4号機、早くも4号機

3月8日の日経新聞社会面に『燃料搬出へ カバー建設』『福島第1原発4号機 来年末メド 取り出し着手』という囲み記事がありました。
「ようやく4号機」とみるべきなのか、「早くも4号機」とみるべきなのか、素人の私には判断ができないでいます。
いずれにしても福島第一原発の事故は、これまであまり知られていなかった事柄があまりにも多かったことに気づかされます。
それは「知らされていなかった」ことが『主』だと思いますが、それもさることがながら、『従』ではあるものの私たちが「知ろうとしなかった」側面もあるのでは、という反省をも突き付けています。
この記事にあるような手順で、クレーンが付いたカバーを製造して、4号機の核燃料が取り出されます。
すると、1号機や3号機といったそのほかの原発からも基本的に同じ手順で取り出すことができればいいのですが、それがどれほど困難に満ちていることかが浮き彫りになります。
いわゆる専門家のみが気づいていたことが、私たち素人の目にも明らかになっていきます。
ことこの段階に至って「知ろうとしない」ことはもはや許されません。現実から目をそむけてはならないというのが原発事故の教訓なのだと思います。
ともかくも4号機の核燃料の取り出しが成功することを、電源喪失という事態が二度と起こらないことを、そして福島原発に再び津波が押し寄せることのないことを祈るばかりです。