月別アーカイブ: 5月 2013

『国会事故調』報告書の重み

『国会事故調 報告書』を読まねばと思っていました。
600頁は、簡単に読める文章量ではありません。それでも細切れの時間を使ってガシガシと読んでいます。
僥倖に恵まれなければ、日本という国そのものが壊滅状態になった甚大な被害を思えば、調査は恣意的なものを絶対に廃さねばなりません。ところが、添付CDの会議録を読めば読むほど心が暗くなる一方です。

調査委員の野村氏が、SPEEDIの情報が海外へ流れていたのを知ったのはいつか、と担当者に尋ねる場面です。
野村「(略)文部科学省はいつの時点でそのことを知っておられたのか」
渡辺(文科省局次長)「(略)アメリカ、米軍には情報を外務省経由で流しておりましたが、外国政府に流れていたということは承知をしておりませんし、外国の機関に流れていたということは承知しておりません(略)」
野村「ちょっと私の聞き方が悪かったかもしれませんが、防衛相経由でアメリカの当局に流れているということは、それはいつの時点で承知されていたんでしょうか」
渡辺「アメリカ軍に対して外務省経由で流れていたことは承知をしております」
野村「いつの時点で」
渡辺「その意味で言うと、アメリカ軍にも行っているということなので、アメリカ政府にも行っていたと思います」
野村「もちろんそうだと思いますが、いつの時点で承知されていたんでしょうか」
渡辺「外務省に情報を提供したのは3月14日でございます」

日にちを尋ねるにもこんな調子ですから、調査委員会は相当難儀したことでしょう。
この文科省局次長氏には、『二度と重大な事故を起こさないために、原因を徹底検証しなければならない』という思いが感じられません。国民のために働くべき国家公務員にしてからこうですから、当事者ではどうなるのだろうかと心配になります。
心の暗くなる内容ではありますが、頑張って読んでまいります。
(写真は、3・11直後の宮城県沿岸部です)

メリーポピンズの時代

ジュリー・アンドリュース演じるところのメリーポピンズのオープニングは『女性に参政権を』というタスキをかけた女性の登場から始まります。1910年当時のイギリス社会の様子が透けて見えます。
米国ニュージャージー州在住の作家・冷泉彰彦氏によれば、米国憲法に男女平等条項を加えようという発議が議会に提案されたのが1923年だそうです。そして、実際に発議できたのが1972年とのことですから、実に50年も議会の中で押したり引いたりしてきたのでしょう。今の感覚では到底理解しがたいものがあります。
このように、たとえそれが(今の感覚では)自明の事項であったとしても、米国において憲法を改正しようという時には相当の年月をかけて議論をしていることが分かります。憲法が普通の法律とは違う最高規範であること、また国家が国民の権利を侵害しないようにする歯止めである以上、それ相応の議論を経なければならないという考えが根底にあります。
いま、わが国では憲法96条の規定を改正しようという動きがあります。
衆参両院の3分の2条項というハードルを下げようという動きです。
仮に、これが過半数でOKということになれば、昨今の国政選挙にみられるようにちょっと風が吹けば憲法改正の発議ができるようになるでしょう。
そして、選挙後の数年後には失敗した選択だったと悔やむことになったとしても後の祭りということになりはしないでしょうか。
衆参両院で3分の2というハードルがあればこそ議論を重ねようということになるのであり、私はこのハードルを下げる必要はないと思っています。
米国ではたとえ議会で発議されたとしても、その次の段階で全州の4分の3が賛成しない限り改正できません。この全州の4分の3という縛りはさらに厳しいものであると言います。
わが国では国民投票で過半数ですから、むしろ米国よりも相当緩やかという気がします。
昨日は憲法記念日でした。一度、ご家族で話し合ってみることも大切だと思います。

千葉県の課題「渇水」

災害対策の専門家は「千葉県の弱点は渇水だ」と言います。
千葉県の九十九里平野一帯は、ほとんど天水田でしたので、まさに用水不足の常習地帯でした。そして、昭和8、9、15年の大干ばつの被害がよく語られます。
当地の「上総掘り」と言われる井戸の掘り方は有名ですし、昭和18年に着工し40年に竣工した両総用水は疎水百選にも選ばれています。そのように千葉県というと『渇水』というイメージがあります。
しかし、人口減少を見こし千葉県はダム計画を順次縮小してきました。見通しが正しかったかどうかはこの後の状況を見ていくしかありません。
そんな折に週刊ダイヤモンド5月11日号が上水道値上げ危険度ランキングを発表しました。
これは、水道事業コストが料金収入でどれだけ賄えているかというランキングで、賄えていない上位200市の中に松戸市を含め県内17市が入っています。コストの内容もバラバラですし、下水道料金とのバランスも見なければならず、あくまでも一つの目安です。
私が、注目したのは実はランキングそのものではなく、口径13ミリメートルの10立方メートル当たりの月額水道料金でした。
200市の中で最も高いのは、珠洲市の2446円、最も安いのは羽村市の546円で、その差は実に4.5倍です。
千葉県では、印西市が2310円、八千代市が934円で、2.5倍です。
これだけ差があると、単純に事業統合ができる金額差とは思えません。ところが、格差4.4倍でありながら水道事業を統合した市をダイヤモンド誌は紹介しています。案の定、値上げとなった地域の住民が訴訟を起こしているとのことです。
水道事業は各地域で様々な歴史的経緯を持って営まれてきましたから、それを統合するのは至難です。ましてや料金格差があればなおです。この裁判には全国の自治体が注視していることでしょう。私も今しばらくは裁判の推移を見守ってまいりたいと思います。

真夜中の富士山

富士山が世界文化遺産に認定されるようです。世界に認められたということはうれしいことですが、あまり大勢の人が訪れるのは心配でもあります。

さて、私は一度だけ富士山に登ろうとしたことがあります。もう40年近く前の1977年12月11日のことでした。
その日突然、後輩のS君がやってきて、富士山に登ろうというのです。
実は昨晩、山仲間たちが富士山へ行くというのを八王子の駅で見送ったばかりだけではなく、登山靴をはじめピッケルやアイゼンなどの冬山装備も貸してしまっていたのでした。
私は乗り気がしなかったのですが、S君が装備は責任もって調達しますので行きましょう行きましょうというわけです。
結局、その日の最終電車で富士吉田駅に降り立つはめになりました。
駅前の登山用品店のご主人を説得して、ツケで足りない装備を調達して、夜の駅前の道を富士山へ向けて歩き出しました。
いわゆる登山道へ入るところに焼肉屋があり、そこで腹ごしらえをして、とりあえずビールを一杯飲んでいよいよ富士山へ向けて歩き始めました。
S君は富士吉田高校の出身ですから、この道は高校時代の登山マラソンの道だと言います。
真っ暗な草原?の遥か彼方に富士山が見えます。登山道と言いながら、山に登っているというよりもひたすら平原を歩いている感じです。S君は「富士山が見えなくなったら登りになります」と言います。また「富士山の真ん中にポツンと光が見えるでしょう。あれが5合目です」と言います。
借り物の登山靴ですでに靴擦れによる痛みに耐えている私には気が遠くなるほどの距離に見えました。
やがて、足元に河口湖の光が見え始め、確かに昇っている実感がわき始めるといつしか積雪の道になっていました。
真夜中の富士山を登り通して、朝6時ごろに5合目につきました。その後、8合目まで登って落石がひどくて登頂は断念しました。
そんな薄っぺらな富士山との出会いでしたが、これまでの登山経験のなかで、冬の真夜中の遥か彼方の真っ黒な富士山の姿は決して忘れることがありません。