月別アーカイブ: 4月 2010

おかしなおかしな「国民の信」(第362回)

『自公政権末期は安倍、福田、麻生と国民の信を得ていない総理が続いた。それに比べれば国民の信を得ているのだから鳩山総理はマシ』という議論がある。
今日、ラジオで週刊A編集長(だと思う)が語っていたことだ。これを第一の命題 としよう。
さらにこうも言った。
『その鳩山さんを選んだのは国民なのだから、国民にも責任の一端はある』
これを第二の命題 としよう。
さて、第一の命題は正しいか?
まず、信を得ていない総理をあまり否定してはいけない。
国民の信を得た総理がいたとして、その人が不祥事で退任することはわが国では珍しくない。
過去には芸者との問題で辞任した人もいた。
鳩山さんだって多くの国民は辞任を願っているというのが最近の世論調査結果に出ている。
そういう信を得た総理が辞任すれば、信を得ていない総理が誕生する道理である。
不祥事を起こした総理が辞任しない方があきらかに間違っている。
次に言えることは、鳩山さんはいんちきで信を得た総理だということが明確になっている。
まさかあそこまで政治資金団体の収支ならびに収支報告がでたらめだとは誰も思わなかっただろう。
しかも、これまで秘書の悪さは政治家の責任であり、政治家は責任を取るべきと堂々と主張していた人と同一人物とは考えられない。
ここまでいい加減な人だとは国民は思わなかっただろう。
小沢幹事長のように政治献金で土地を買いあさる政治家がいるとは国民は考えもしなかったのとを同様の裏切りである。
したがって、週刊A編集長(だと思う)の主張する第一の命題には同意できない。
第二の命題は、騙して選ばしておいて責任を取れ!という暴言としか言いようがない。
騙された方が悪いのだとしても、騙された上に失政の責任まで負わされてはかなわない。第二の命題も不同意である。
結局のところ、国民の不幸なところは、平気で人を騙す鳩山さんタイプと騙した上に逆切れする週刊A編集長(だと思う)タイプとが、わが国の指導層だということなのであろう。

慢性期の病院は儲からない?(第361回)

秘かに敬服する原田泰氏の「日本はなぜ貧しい人が多いのか」(新潮選書)を読んでいて少し気になったことがある。
それはP140の『「高齢化で医療費増」は本当か』という章である。
厚生労働省「医療費の動向」によれば2007年度の70歳以上の高齢者一人当たり医療費は75.7万円、70歳未満では16.1万円だという。
原田氏がこの金額を元に2007年度の国民医療費を計算したところ33.4兆円だったという。これは良い。
問題は、2025年の将来人口から上記の金額で試算したら37.8兆円だったという点である。
何年も前の話だが、船橋市議会の松嵜裕次議員に高齢者医療費の資料を作ってもらったことがある。
このときには厚生労働省は2025年の国民医療費は56兆円だとしていた。
37.8兆円とはあまりの違いである。この理由は何か?
原田氏によれば、厚労省の試算にはインフレ率と技術進歩が加味されているからだという。
そして、このうちインフレ率を加味したのは間違いだと指摘している。
もう一つの技術進歩のほうは否定していないが、私にはこれも良く分からない。
なぜなら、新しい治療法や薬が開発されたとしても、それが高齢者医療費だけの増額要因になるとは思えないからだ。
70歳以上、70歳未満の年齢に関係なく両者の医療費に跳ね返ってくると考えた方が自然ではないか。
そして試算として推計値を出す以上、年齢に関係なく計算すべきであろう。
やはり、どうも厚生労働省の試算はいまひとつ信用がおけないのである。
さらに言えば、最初に書いたように、70歳以上と70歳未満で4.7倍もの医療費格差というのも違和感を覚える。
それは、実際問題として慢性期の病院ほど利益があがらないという声を聞くからである。
高齢者医療費が毎年どんどん増えているということと慢性期の病院経営が苦しいという二つの命題がどうもしっくり行かないのである。
この辻褄あわせをしっかりした証拠をだして説明してほしいものである。

アイスランドの噴火(第360回)

本HPで繰り返し書いてきたことではあるが、火山の噴火は恐ろしい。ある意味では地震よりも。
それは、いつ終わるかと言うことがまったく分からないことに起因する。
人的損失も経済的損失もまるで見通せない。
終わりが分からない、先が見通せないという困難に対して立ち向かわねばならないのだ。
三宅島の島民の方々の困難さはいかばかりかと思う。
また、噴火による直接的被害がなかったとしても、火山灰による健康被害、農作物被害、現代社会を支えるインフラ関連による経済的損失が徐々に拡大する懸念がある。
そんな噴火がアイスランド南部のエイヤフィヤトラヨークトル氷河で4月14日に起こったのである。
英国のHPにより噴煙の広がりを推定すると、まずアイスランドから東部へ進み、ノルウェーとスウェーデンの国境にあたるスカンジナビア山脈にぶつかる。
ここで、そのまま山脈を越えた噴煙と越えられずに南のオスロ方面への流れとに分かれる。
東へ進んだ噴煙は、北はノバヤゼムリア島から南はモスクワへと広がっていった。
東ヨーロッパ平原でもあり、東部にはウラル山脈があるが噴煙をさえぎるほどの高さはない。
一方、南へ流れた噴煙は、西に戻り、ベルリン、アムステルダム、パリ、ロンドンへと広がった。
英国のHPにより1万フィートの高さでの噴煙の拡大状況を見ると、すでに英国の半分以上を包み込んでいる。
大陸側はフランスのボルドーからトルコのイスタンブールのやや北側を結んだ線の南側を除いてほぼ包まれている。
過去に例があるように、火山灰は数年かけて地球全体をめぐることも珍しくない。
つまり、たとえ地球の反対側のわが国であっても、たとえば農作物等の被害についてもしっかりと対策を講じておかねばならないのだ。
ましてや、こうした噴火が現代先進国にどのような影響を及ぼすか、実際には誰も経験したことがない。
コンピューター化された社会がどれほど脆弱かについては予断を許さないのである。
続・アイスランドの噴火
火山被害とは関係なく、二つ気になることがある。
一つは軍事上の問題である。
仮に火山灰の影響が多大だとするとNATOとロシアの関係はどうなるのだろうか?
1991年にワルシャワ条約機構は解散したが、2008年にプーチンはウクライナがNATOに加盟する状況になればロシアはウクライナと戦争する(攻撃するだったか?)用意があると語ったはずだ。
冷戦時代ならこの噴火によってNATOもワルシャワ条約機構も軍備配置に著しく困難をきたしただろう。
現在は、ドイツ国内の米軍基地などがどのようになっているか分からないが、今回のアイスランドの噴火は結果としてNATOとロシアに軍備縮小をもたらすかもしれない。
実際に、たとえばフィリピンでは火山の噴火によって米軍基地が使用不能となり移転せざるを得なかったことがある。
もう一つはトルコのEU加盟問題である。
EUはあくまでトルコを加盟させたくない。しかし、トルコが火山の被害を免れ、EUが相当の被害を受けたとするとトルコの経済力は相対的に無視し得ないレベルとなる。
このような具合に、火山の影響はいろいろ考え出すときりがないのである。

松戸の最も美しい季節(第359回)

松戸は全国に先駆けて土地区画整理を進めてきた。
土地区画整理地域の街路はやはり美しい。
たまたまなのかも知れないが、往年の区画整理では街路樹に桜を植えることが多かったのでこの季節の松戸は本当に美しい。
常盤平の桜通りはもちろん、小金原、八ヶ崎の桜のトンネルも六高台の開け放たれた桜の街路も、そのほかちょっとしたところがこれまた美しい。
思わずため息が出る。
わが家の玄関は、これまで実に殺風景だった。あきれるほど何もない玄関なので、植月さんがときどき花のプランターを置いて行ってくれた。
そのせっかくいただいた花も私は枯らせてしまう。
ところが最近は妻が一念発起して次々と花を増やしている。
庭がないので玄関前にプランターを並べただけなのだが、どうしてどうして見違えるほど美しくなった。
今年の春は、しみじみと松戸の最も美しい季節だなと思うのである。
$ふじい弘之 オフィシャルブログ「レポートブログアメーバ版」-玄関前の花
(玄関前花壇)

政権交代の意義とは(第358回)

「一度は民主党に」という訴えに対して、昨年夏に民主党政権を中心とした政権交代が行われた。
そして、約8ヶ月たっておそらくほとんどの有権者が「何も変わらなかった」と思っているのではないだろうか?
政治と金の問題も政治手法についても。
善悪はともかくとして、唯一事業仕分けだけはある種の清新なイメージを持ったが、ショータイムが終わってみれば単なるパフォーマンスだった。
高速道路にいたっては全国無料が大幅縮小となり、今後は逆に高くなるところまであるというひどい話になっている。
普天間の基地移転問題も考え合わせると、むしろ「政権後退」の部分が多くなってしまっているのである。
人間社会は補助金にせよ給付にせよ一度でも既得権益を得てしまうとそれをやめるのは非常に難しい。
現実の問題としては、止めるどころか給付額の減額でも至難の業である。
本当に必要な人に福祉が行き渡らない。目的は達成しているのに、いつまでも税金が使われてしまう。
こうした問題点が、選挙という洗礼を受ける民主主義国家の弱点の一つである。
今回の政権交代は、こうした「民主主義の弱点は政権交代で解決できない」ことを明らかにした。
むしろ反対に既得権益を増大させる方向に動いてしまった感がある。
すると政権交代の意義とは一体何だったのだろうか?
今のところ民主党政権には、核持込みの密約が明らかになったといった極めて限定的な意義しか見出せない。
結局、大きな政党が政権を争うだけでは単なるサービス合戦で終わってしまう。
行政の無駄をチェックし、政策効果をきちっと指摘できる健全な第三極の政党がやはり必要だと思うのである。