日別アーカイブ: 2010年4月10日

政権交代の意義とは(第358回)

「一度は民主党に」という訴えに対して、昨年夏に民主党政権を中心とした政権交代が行われた。
そして、約8ヶ月たっておそらくほとんどの有権者が「何も変わらなかった」と思っているのではないだろうか?
政治と金の問題も政治手法についても。
善悪はともかくとして、唯一事業仕分けだけはある種の清新なイメージを持ったが、ショータイムが終わってみれば単なるパフォーマンスだった。
高速道路にいたっては全国無料が大幅縮小となり、今後は逆に高くなるところまであるというひどい話になっている。
普天間の基地移転問題も考え合わせると、むしろ「政権後退」の部分が多くなってしまっているのである。
人間社会は補助金にせよ給付にせよ一度でも既得権益を得てしまうとそれをやめるのは非常に難しい。
現実の問題としては、止めるどころか給付額の減額でも至難の業である。
本当に必要な人に福祉が行き渡らない。目的は達成しているのに、いつまでも税金が使われてしまう。
こうした問題点が、選挙という洗礼を受ける民主主義国家の弱点の一つである。
今回の政権交代は、こうした「民主主義の弱点は政権交代で解決できない」ことを明らかにした。
むしろ反対に既得権益を増大させる方向に動いてしまった感がある。
すると政権交代の意義とは一体何だったのだろうか?
今のところ民主党政権には、核持込みの密約が明らかになったといった極めて限定的な意義しか見出せない。
結局、大きな政党が政権を争うだけでは単なるサービス合戦で終わってしまう。
行政の無駄をチェックし、政策効果をきちっと指摘できる健全な第三極の政党がやはり必要だと思うのである。