月別アーカイブ: 2月 2009

病院がなくなるということ(第254回)

2月19日、プラザ菜の花で開催された市民公開シンポジウム『安全と医療確保の街づくり』に参加した。
盛りだくさんの内容で濃密な時間であった。
そのなかで考えさせられたのは順天堂大学医学部附属浦安病院の木所明夫がん医療センター長の報告だった。
この3月31日に浦安市川市民病院がいったん廃院となるという。
344床の病床がいきなり50床になり、公立病院が民営化される。
すると現在でも毎日2000人からの外来患者が来る順天堂の浦安病院にさらに大勢の患者が殺到するだろう。
そのときに浦安病院の医療体制が持つかどうか。
最悪の場合、東葛南部の地域医療が崩壊するかもしれないと言う危機感がひしひしと感じられた。
たとえば銚子市は市立病院の廃院が市長リコールにまで発展し、近々住民投票が行なわれる。
しかし、たとえ市長が替わったからといって病院が新設なるはずもない。
こうした地域医療の危機がすぐお隣の市川市や浦安市で起っている事実を真正面から受け止めねばならない。
仮に、松戸市において数百病床規模の二次救急病院がなくなったらどうなるだろうか?
ぞっとする仮定である。
われわれの住む地域の医療資源はどこにどれだけあるのか?
こんな基本的な診療機能情報すら私たちは持っていないのである。
ともかく、こうした私たちができることから先ず手をつけていくことが大事だと痛感したのである。

格差加速の時代(第255回)

小泉改革が格差を拡大したと言うのは、おそらく間違ってはいないが小泉改革がなかったとしても格差は拡大しただろうと思う。
小泉改革の根幹は三位一体の改革だ。
これにより地方は財政難に苦しめられることになった。
都道府県の知事がそろって批判することも理解できる。
しかし、よく考えてみると地方自治体も団塊の世代の大量退職時代を向かえ、その退職金の原資がない。
地方財政はそもそも退職金の引き当てを想定していないので知事や議会には責任がない。
法律をきちっと守ってやっていただけではある。きちっとやっていた結果として地方自治体は退職手当債と言う借金をすることになる。
その一方で、三位一体改革のお蔭で国からの来るはずのお金が減らされ、臨時財政対策債も出さなければならない。これも借金である。
国の方は言うまでもなく、800兆円と言われるような途方もない金額の借金を抱えている。
これから景気が悪くなれば、さらに借金をして国も債務残高がどんどん増える。
実際には景気動向などよりも、これからの人口減などで世界が経験したことのないスピードで高齢化が進み、それに伴って介護や医療へ使うお金が激増することが大問題である。
さて、ではこれらの借金は誰からするのか?
それは他ならぬ我らが同胞、日本国民から借りるのである。少なくともこれまでと現在は国内で債券が引き受けられている。
私自身は貯蓄がゼロなので、国や地方の債券を買うという貢献ができていないのが情けないが、買う余力のある人が買っていたしこれからも買うことになる。
また、買ってもらえるような金利を国も地方もつけることになる。
ここに債券を持つことのできる人と持つことのできない人との格差が生じる。
結局、小泉改革が格差拡大の根源ではなく、日本社会の時代の流れこそが格差を拡大しているのだ。
そして、これからは拡大のスピードがまさに加速されていく時代に入る。
国、地方の重層的なセーフティネット構築が急がれるのである。

福祉は応能負担で(第253回)

2月17日の公明新聞に『自立支援法見直し「応能負担」に評価』との記事があった。
これは障がい者が福祉サービスを利用する際の負担を、所得に応じて上限額を設定する「応能負担」へ改めるという方針に対して、障がい者団体が高く評価したという内容の記事であった。
自立支援法の定率1割負担は非常に評判が悪かった。
2007年4月からは、利用したサービス量にかかわらず月額負担上限額を4分の1するなど大幅に下げたものの対症療法だったことは否めない。
私は、今回の見直しのように福祉は応能負担であるべきと思う。
障害の程度や年齢がどうあれ、負担する余裕のある人はその余裕の度合いに応じて負担をしてもらう。
逆に障害の程度や年齢に関係なく、負担する余裕の乏しい人には負担を求めない。
これが互助の精神であろうし、負担をすることについて損をしたと言う考えを持つ人はほとんどいないと思うのである。
さらに実は、もう一つ考えねばならない問題もある。
社会保険方式では、納付した人は納付した分だけの給付があり、納付していない人には給付がないという公平の原則がある。
これは納付の自由が確保されている限りにおいては正しいのだが、納付しない自由が認められていない強制加入制度においては合理的ではなくなってしまうのだ。
たとえば国民健康保険、たとえば介護保険、これらはどれほど所得が低くても、生活保護でない限り負担ゼロとはならない。
すると、負担に耐えられない家計は生活保護を選ぼうという望ましくない傾向になる。
さらには給付と負担のバランスを取るために仮に保険料(負担)を上げようと思っても、低所得者の負担が増えるため制度から零れ落ちてしまう人が増えてしまう。したがって、現実問題として保険料を上げることができない。
無理に上げると制度そのものを壊しかねない危険性を内在しているのだ。
したがって強制加入の場合では、せめて年金制度のような免除申請を設けるべきなのである。
今回の自立支援法の見直しが福祉分野の応能負担化につながっていけばと思うのである。

イラクの民主化(第252回)

前回はソマリアの海賊について書いた。
しかし、100万人以上の国民がまともな食糧もなく難民化しているソマリアの国情について日本では無関心だ。
私自身、いくつもの武装勢力が首都制圧を狙って内戦を起こしているというイメージしか持ちえていない。
多分、その首都にはエチオピア軍がまだいるのだろう?
海賊への対処を議論するなら、やはり20年近く続いてきた無政府状態の国情そのものもある程度は伝えてほしいものである。
さて、イラクは今どうなのだろうか?
伝えられるところによれば1月31日に地方評議会選挙が行なわれて、マレキ首相率いるシーア派中心の政党連合が大都市では多数派になったという。(Japanese Radioというインターネットサイトによる)
つまり反米派の政党やスンニ派の政党は負けたということになる。
こうした結果もさることながら、そもそも選挙が平和的、民主的に行なわれたのかどうかがむしろ気になるのである。
言うまでもなく現在の世界は不況と非常な信用収縮に見舞われている。
これは先進国のみならずイラクやソマリアの経済にも当然厳しい不況の荒波が押し寄せているのであり、その深刻さは先進国以上と見なければならないだろう。
経済の弱い国というのは、一般に経済効率の悪い国といえる。
たとえば象徴的な例は、アメリカが真っ先に造ろうとしていた大型発電施設がイラクで未だに実現を見ていない。
結果としてアメリカのカミンズ社製の発電機を住民がばらばらに使用せざるを得ない効率の悪さがある。
また、あくまで一般論ではあるが、中央政府への信用度が低く部族や地域社会への依存度が高い傾向がある。
そして、こうした非効率性は経済の立ち直りにも時間を要するのである。(わが国における道州制ではこういう議論を聞いたことがないのはどうしたことだろう?)。
一方、平和的、民主的というのは治安の良さとは似て非なるものだ。
極端な話、略奪しつくしてしまえば治安は落ち着くこともあるのである。
したがって、選挙であればせめて投票率がどうしても知りたいポイントの一つだ。
いずれにせよ駐留米軍地位協定により2011年末にはアメリカはイラクから撤退する。
オバマ大統領の誕生によりこの出口だけは間違いないところだろう。
フセインを倒して民主化、平和化がどれだけ進んだか、いよいよ問われる刻限が迫ってきているのである。

海賊退治の時代(第251回)

日経ビジネス2月16日号にザ・ウォール・ストリート・ジャーナル2月1日号の「ソマリア海賊と交渉56日」という記事が掲載されていた。
これは昨年11月28日夜に乗っ取られた大型タンカー・ビスカグリア号の乗務員が1月22日に開放されるまでのルポである。
その際の海賊の武装はAK47自動小銃(有名な1947年型カラシニコフ)と携行式ロケット弾だったという。
実際問題、T72型戦車33台含む対空砲、対戦車ロケット弾を満載した貨物船がソマリア海賊に乗っ取られたこともあるので、こと武器に関しては彼らはほぼすべての火器を所有していると見て間違いない。
ビスカグリア号も海賊を警戒して仏海軍の船団についていったのであるが、スピードの差で遅れ気味となり事件当時は約2時間の距離が開いていた。
そういう状況を予備知識として、彼らの手口を見てみよう。
夜の海を高速艇で接近して発砲。
続いて梯子をかけ甲板に上る。
乗組員の立てこもった船橋の窓に銃弾を打ち込み、船長と機関長を引っ張り出す。
その頃には警戒に当たっていた仏軍と独軍の武装ヘリが駆けつけてくるが、海賊は二人の人質に銃を突きつけて追い払う。
乗っ取りを完了して人気のない砂漠地帯の沿岸へ回航する。
身代金の回収は現金を積み込んだ密閉性のコンテナをアデン湾へ空中投下させ、それを高速艇で回収する。
海賊事件の起るアデン湾は公海であり司法権を持つ国はない。そしてソマリアは無政府状態である。
2007年には乗っ取られた船舶は一隻だけだったが2008年には32隻に急増、特に2008年10?12月だけで50件もの海賊被害が発生し、国連は海賊への武力行使容認決議を採択した。
また、国連海洋法条約第100条には「すべての国は、最大限に可能な範囲で、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない場所における海賊行為の抑止に協力する」 とある。
これを受けて現在は、NATO諸国、中国、インドなど14ヶ国20隻の軍艦が派遣されている。
仮に、日本が派遣ということになれば、ヘリ搭載型護衛艦の「ひゅうが」の出動ということになるのかもしれない。
これまではマラッカ海峡のみが問題として取り上げられてきた。
しかし、アデン湾の手口は完全にビジネス化されており、他地域へ飛び火しないという保証はない。
この流れだけは阻止しなければならない。
そのためには艦艇派遣という力による対症療法と国際社会の足並みをそろえた根本治療が必要なのだが。